秋の日の下

 秋の日の下、物思いの午後、芝生の上。

取り出せるは、皺になれる敷島の袋、

残れる一本を、くわえて、火を点ず、

残れる火を、さて敷島の袋にうつす、

秋の日の下、物思いのひるさがり、芝生の上、

めらめらと、袋は燃ゆらし 灰となりゆく、

あわれ、我が肺もこの袋の如、

日に夜に蝕まれゆくか、

秋の日の下、くゆらす煙草のいとからし。

 

梶井基次郎

「梶井基次郎全集」所収

1922

 恐怖に澄んだ、その眼をぱつちりと見ひらいたまま、もう鹿は死んでゐた。無口な、理窟ぽい青年のやうな顔をして、木挽小屋の軒で、夕暮の糠雨に霑れてゐた。(その鹿を犬が噛み殺したのだ。)藍を含むだ淡墨いろの毛なみの、大腿骨のあたりの傷が、椿の花よりも紅い。ステッキのやうな脚をのばして、尻のあたりのぽつと白い毛が水を含むで、はぢらつてゐた。

 どこからか、葱の香りがひとすぢ流れてゐた。

 三椏の花が咲き、小屋の水車が大きく廻つてゐた。

 

三好達治

測量船」所収

1930

都会のデッサン

 Ⅰ

 

日曜日―僕らは幸福をポケットに入れてあるく 時々取出したり又ひっこめたりしながら 磨かれた靴 軽い帽子 僕らは独身もののサラリイマンです さうして都会よ 君はいつでも新刊書だ オレンヂエエドの風のあとに 見たまへあの舗道の上 またもプラタヌの並木の影はいつせいに美しい詩を印刷する 爽やかな拍手とともに

 

 Ⅱ

 

百貨店―エレベエタアよ 気が向いたら地獄まで墜ちてくれたまへ 天国まで昇ってくれたまへ―ここは屋上庭園だ 遠い山脈 そして青空とアドバルウン ああ今僕らは感じる あの金網の動物たちよりももつと悲しく 都会よ 君の巨きな掌に囚へられてゐる僕ら自身を

 

木下夕爾

「田舎の食卓」所収

1939

夕方私は途方に暮れた

 夕方、私は途方に暮れた。

海寺の階段で、私はこっそり檸檬を懐中にした。

 

──海は疲れやすいのね。

 

女が雪駄をはいて私に寄添った。

帆が私に、私の心に還ってくる、

記憶に間違いがなければ、今日は大安吉日。

海が暮れてしまったら、私に星明りだけが残るだろう。

 

それだのに、

夕方、私は全く途方に暮れてしまった。

 

津村信夫

「愛する神の歌」所収

1935

眞赤な風車

リトマス試驗紙は轉寢をし、タイル張りの螺旋階段は締切つた。

けれども三面鏡は間斷なく機關銃を亂射し、太陽から眼帶を略

奪した。スヰトピイの花瓶をたたき壊した彼は、決然とドアを

蹴つた。

 

克山滋

「白い手袋 克山滋遺稿集」所収

1948

汽車は二度と来ない

わずかばかりの黙りこくった客を

ぬぐい去るように全部乗せて

暗い汽車は出て行った

すでに売店は片づけられ

ツバメの巣さえからっぽの

がらんとした夜のプラットホーム

電燈が消え

駅員ものこらず姿を消した

なぜか私ひとりがそこにいる

乾いた風が吹いてきて

まっくらなホームのほこりが舞いあがる

汽車はもう二度と来ないのだ

いくら待ってもむだなのだ

永久に来ないのだ

それを私は知っている

知っていて立ち去れない

死を知っておく必要があるのだ

死よりもいやな空虚のなかに私は立っている

レールが刃物のように光っている

しかし汽車はもはや来ないのであるから

レールに身を投げて死ぬことはできない

高見順

死の淵より」所収

1964

Advice to a Blue-Bird

 Who can make a delicate adventure

Of walking on the ground?

Who can make grass-blades

Arcades for pertly careless straying?

You alone, who skim against these leaves,

Turning all desire into light whips

Moulded by your deep blue wing-tips,

You who shrill your unconcern

Into the sternly antique sky.

You to whom all things

Hold an equal kiss of touch.

 

Mincing, wanton blue-bird,

Grimace at the hoofs of passing men.

You alone can lose yourself

Within a sky, and rob it of its blue!

 

Maxwell Bodenheim

From “Introducing Irony

1920

新婚旅行

うさを

あけたりしめたりしている

サバ

ふくらはぎ の なめらかな したたかな魚的に白い ふくらみ に

ミスプリント(ジャバと書いてある

何?

ジャワ科 ジャパン科)

のゆかたなど着せて

晴らす障子の うっすラ・イト

お宿のお蒲団 ぬくぬくと 悪気もなく

口をマさぐっては離れ うとう してる

鳩 だまれ

ずっとずっと吸っていたい

就職してるわけでもないのに

朝です、、、と目覚ましに叱られ

避難訓練みいたいなテレビのせわしなく

朝の汁が酸化する

お連れの おんな の かた は

と聞いてくれれば

わたしの妻です

と おんながてら に

かってらに

しとしとやかに

ところが

「その ガイ の 方 は」

と お宿 の おかみ は 尋ねる

「その 外部 の 方 は トーストは

めしあがれますか」  (差別用語を避けているみたいな様子 さすが京都)

納豆 と 言おうとして まちがえたの鴨

それとも時代が変わったの

時代がかわったおんなは みんな偏食視される

たべられますか めしますか めし/あがりますか

おかわり しますか? おかわり ありませんか?

おかわりした おんな かわった おん

この ひと おんな で ね

わたし も おんな で ね

でも わたし たち けっこん してます

けっこん

漢字を間違えて おかみは あわてて洗濯し始める

ぬるぬる と 真っ赤に

選択した 感じ では

なにがなんでも 血痕の疑いを洗い落として

おんな と おんな を

ふうふ(う)と(熱い汁を吹きながら)見なしたくない

たくない

らしい

なにしろ 観光地ですから と

そんな ささなこと を 言い訳にして

 

多和田葉子

傘の死体とわたしの妻」所収

2006

春のゆふべ

汀ににほふ糸桜、

うつる姿のやさしきに、

駒の手綱もゆるみては、

小草をあさる黒かげの、

たてがみかろき春の風。

 

手折りて君か給ひたる、

色香にたへなるこの枝の、

上ふく風に二三ひら、

長きみ袖にちりかゝる、

花の心もなつかしや。

 

雲になりゆく花のかげ、

みかへる君も朧ろにて、

香おくる風の床しくも、

たれの胸より立ち初めし

長き思ひもなびかせて。

 

山川登美子

「新声」第1編第4号 所収

1899

水底の感

水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、

永く住まん、君と我。

黑髪の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢なら

ぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。

うれし水底。淸き吾等に、譏り遠く憂ひ透らず。有耶無

耶の心ゆらぎて、愛の影、ほの見ゆ。

 

夏目漱石

寺田寅彦宛の端書より

1904