Category archives: 1910 ─ 1919

歓楽の詩

ひまはりはぐるぐるめぐる
火のやうにぐるぐるめぐる
自分の目も一しよになつてぐるぐるめぐる
自分の目がぐるぐるめぐれば
いよいよはげしく
ひまはりはぐるぐるめぐる
ひまはりがぐるぐるめぐれば
自分の目はまつたく暈み
此の全世界がぐるぐるとめぐりはじめる
ああ!

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

父の顔

父の顔を粘土にてつくれば
かはたれ時の窓の下に
父の顔の悲しくさびしや

どこか似てゐるわが顔のおもかげは
うす気味わろきまでに理法のおそろしく
わが魂の老いさき、まざまざと
姿に出でし思ひもかけぬおどろき
わがこころは怖いもの見たさに
その眼を見、その額の皺を見る
つくられし父の顔は
魚類のごとくふかく黙すれど
あはれ痛ましき過ぎし日を語る

そは鋼鉄の暗き叫びにして
又西の国にて見たる「ハムレット」の亡霊の声か
怨嗟なけれど身をきるひびきは
爪にしみ入りて瘭疽の如くうづく

父の顔を粘土にて作れば
かはたれ時の窓の下に
あやしき血すぢのささやく声……

高村光太郎
道程」所収
1911

恐怖

どしり、どしりと地ひびきして、
何処からか何か来る。

画室の内は昼間よりも明るく蒼白い光りが漲つて、
はだかの女は死んだやうにねてゐる。
ギアランス。カドミウム。ナアブル。コバルト。ウウトルメエル。
そして、にちやにちやと──ああ気味のわるい──真赤な血のいろ。
画筆をもてば、ぷすりと何かがつきぬきたく、しんしんと歯が病める。
たぎり立つ湯は、湯の玉を暖炉の上に弾かせ、
時計はけろりと魔法使ひの顔をして、
高い天井の隅に歯ぎしりの音。
たしかに己は女をころした。
流れてゐるのはたしかに血だ。
どろり、たらたらと、あれ、流れる、落ちる。
血だ。血だ。
ああ、さうよなあ。
いつそ、手も足も乳ぶさも腸もひきちぎつて、かきむしつて
布の上にたたきつけようか。
眼がくらくらして来た。
咽喉がえがらつぽい。
血だ。血だ。
はだかの女はまだねてゐる。
戸の外は闇だ。風がふく。
己の手に何かついてゐる。
しかし、己は今画をかいてゐたに違ひない。悪い事をした覚えはない。毛頭ない。
が、何だらう。

どしり、どしりと地ひびきして。
何処からか何か来る。何か来る・・・・

高村光太郎
高村光太郎詩集」所収
1911

かなりあ

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

西條八十
「赤い鳥」初出
1918

キリストに与へる詩

キリストよ
こんなことはあへてめづらしくもないのだが
けふも年若な婦人がわたしのところに來た
そしてどうしたら
聖書の中にかいてあるあの罪深い女のやうに
泥まみれなおん足をなみだで洗つて
黒い房房したこの髮の毛で
それを拭いてあげるやうなことができるかとたづねるのだ
わたしはちよつとこまつたが
斯う言つた
一人がくるしめばそれでいいのだ
それでみんな救はれるんだと
婦人はわたしの此の言葉によろこばされていそいそと歸つた
婦人は大きなお腹をしてゐた
それで獨り身だといつてゐた
キリストよ
それでよかつたか
何だかおそろしいやうな氣がしてならない

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

永遠にやって来ない女性

秋らしい風の吹く日
柿の木のかげのする庭にむかひ
水のやうに澄んだそらを眺め
わたしは机にむかふ
そして時時たのしく庭を眺め
しをれたあさがほを眺め
立派な芙蓉の花を讃めたたへ
しづかに君を待つ気がする
うつくしい微笑をたたへて
鳩のやうな君を待つのだ
柿の木のかげは移つて
しつとりした日ぐれになる
自分は灯をつけて また机に向ふ
夜はいく晩となく
まことにかうかうたる月夜である
おれはこの庭を玉のやうに掃ききよめ
玉のやうな花を愛し
ちひさな笛のやうなむしをたたへ
歩いては考へ
考へてはそらを眺め
そしてまた一つの塵をも残さず
おお 掃ききよめ
きよい孤独の中に住んで
永遠にやつて来ない君を待つ
うれしさうに
姿は寂しく
身と心とにしみこんで
けふも君をまちまうけてゐるのだ
ああ それをくりかへす終生に
いつかはしらず祝福あれ
いつかはしらずまことの恵あれ
まことの人のおとづれのあれ

室生犀星
愛の詩集」所収
1918

アンコとの対話

  アンコと呼べど其名を知らず少年は十二歳なりと云ふ。手に鞭をもちて日毎
  に牛を牧す。此詩は或朝彼と語りて、帰るさに成れるものなり。

「アンコよ
君に問ふことあり」
我れ此く云ひて彼と皆に
青野が上にねころびぬ。

日は晴れたり
大空は光のみ・・・・・
いかで其処に
何もなし。

「アンコは日毎此処に居て
何も考へることなきや
仕事の暇は
何時何時ぞ」

「我れは十時半来れば
牛をみな入れるなり
されば我れは此処に居て
其事より考へず。」

「されば今ここに
神ありと思はずや
アンコよ、日は照りて
牧場の露は乾くなり。」

アンコ答へて
「否、我れは神を見ざるなり
ただ知るは此の牧場にて
また彼の光のみ。

正午近くなれば
我れは太陽を仰ぎ
この萋々としたる草に
気ままに居るを喜ぶなり。

牛の数は十に余り
そは皆犢なるが
其一つはなほ病みて
気づかはしくぞ思ふなる。

彼等は二歳、また一歳
崖の端まで善く走る
彼等の脚は勁健ゆゑ
なかなか追へず。

其時崖の上に
簇がる雲の美しし
我れは其の輝きを
早く見んとて走るなり。」

「さればあの崖の上に
何を見しや」
「そは雲なりしかば
我れは雲を見て楽しとおもふ」

「アンコよ、冬が来て雪積らば
いかに恐ろしからんぞ」
「さなり、海風は
げに恐ろし。

海風が吹かば
我手は凍ゆべし、
されど其季来れば牛は子舎につき
我れも温かに休み得なり。」

「さらばアンコよ、これらの犢
もしアンコの所有ならば楽しからん」
我れかく云へば
彼はほほゑむ面持して答ふ
「否、然かあるも同じからん。」

三木露風
「良心」所収
1915

二人連

 若い男といふものは、時として妙な氣持になる事があるものだ。ふわふわとした、影の樣な物が、胸の中で、右に左に寢返りをうつてじたばたしてる樣で、何といふ事もなく氣が落付かない。書を讀んでも何が書いてあるやら解らず。これや不可と思つて、聲を立てて讀むと何時しか御經の眞似をしたくなつたり、薩摩琵琶の聲色になつたりする。遠方の友達へでも手紙を書かうとすると、隣りの煙草屋の娘が目にちらつく。鼻先を電車が轟と驅る。積み重ねておいた書でも崩れると、ハツと吃驚して、誰もゐないのに顏を赤くしたりする。何の爲に恁うそわそわするのか解らない。新しい戀に唆かされてるのでもないのだ。
 或晩、私も其麼氣持になつて、一人で種々な眞似をやつた。讀さしの書は其方のけにして、寺小屋の涎くりの眞似もした。鏡に向つて大口を開いて、眞赤な舌を自由自在に動かしても見た。机の縁をピアノの鍵盤に擬へて、氣取つた身振をして滅多打に敲いても見た。何之助とかいふ娘義太夫が、花簪を擲げ出し、髮を振亂して可愛い目を妙に細くして見臺の上を伸上つた眞似をしてる時、スウと襖が開いたので、慌てて何氣ない樣子をつくらうて、開けた本を讀む振をしたが、郵便を持つて來た小間使が出て行くと、氣が附いたら本が逆さになつてゐた。
 たまらなくなつて、帽子も冠らず戸外へ飛出して了つた。暢然歩いたり、急いで歩いたり、電車にも乘つたし、見た事のない、狹い横町にも入つた。車夫にも怒鳴られたし、ミルクホールの中を覗いても見た。一町ばかり粹な女の跟をつけても見た。面白いもので、何でも世の中は遠慮する程損な事はないが、街を歩いても此方が大威張で眞直に歩けば、徠る人も、徠る人も皆途を避けてくれる。
 妻を持つたら、決して夜の都の街を歩かせるものぢやない、と考へた。華やかな、晝を欺く街々の電燈は、怎しても人間の心を浮氣にする。情死と決心した男女が恁麼街を歩くと、屹度其企てを擲つて驅落をする事にする。
 さらでだにふらふらと唆かされてゐる心持を、生温かい夏の夜風が絶間もなく煽立てる。
 日比谷公園を出て少許來ると、十間許り前を暢然とした歩調で二人連の男女が歩いてゐる。餘り若い人達ではないらしいが何方も立派な洋裝で、肩と肩を擦合して行くではないか、畜生奴!
 私は此夜、此麼のを何十組となく見せつけられて、少からず憤慨してゐたが、殊にも其處が人通の少い街なので、二人の樣子が一層睦じ氣に見えて、私は一層癪に觸つた。
 と、幸ひ私の背後から一人の若い女が來て、急足で前へ拔けたので、私は好い事を考へ出した。
 私は、早速足を早めて、其若い女と肩を並べた。先刻から一緒に歩いてゐる樣な具合にして、前に行く二人連に見せつけてやる積りなのだ。
 女は氣の毒な事には、私の面白い計畫を知らない。何と思つたか、急に俯いて一層足を早めた。二人連に追付くには結句都合が可いので、私も大股に急いで、肩と肩を擦れさうにした。女は益々急ぐ、私も離れじと急ぐ。
 たまらない位嬉しい。私は首を眞直にして、反返つて歩いた。
 間もなく前の二人連に追付いて、四人が一直線の上に列んだ。五六秒經つと、直線が少許歪んで、私達の方が心持前へ出た。
 私は生れてから、恁麼得意を覺えた事は滅多にない。で、何處までも末頼母しい情人の樣に、態度をくづさず女の傍に密接いて歩きながら滿心の得意が、それだけで足らず、些と流盻を使つて洋裝の二人連を見た。其麼顏をしてけつかるだらうと思つて。
 私は不思首を縮めて足を留めた。
 親類の結婚式に招ばれて行つた筈の、お父さんとお母さんが、手をとり合つて散歩ながらに家に歸る所だ!
『おや光太郎(私の名)ぢやないか! 帽子も冠らずに何處を歩いてゐるんだらう!』
 とお母さんが……
 私は生れてから、恁麼酷い目に逢つた事は滅多にない!

石川啄木
啄木詩集」所収
1912

第二の遺書

 神に捧ぐる一九一九年二月七日の、いのりの言葉。
 私はいま、私の家へ行つて歸つて來たところなのです。牛込から代々木までの夜道を、夢遊病者の樣にかへつて來たとこです。
 私は今夜また血族に對する強い宿命的な、うらみ、かなしみ、あゝどうすることも出來ないいら立たしさを新に感じて來たのです。其の感じが私の炭酸を滿たしたのです。
 あゝすべては虐げられてしまつたのだと私は思ひました。何度か、もうおそらく百度くらゐ思つた同じことをまた思ひました。
 親子の愛程はつきりと強い愛はありませうか、その當然すぎる珍しからぬ愛でさへ私たちの家ではもう見られないのです。何といふさびしい事でせう。
 しかも、とりわけて最もさびしい事は其の愛が私自身の心から最も早く消えさつてゐることなのです。私は母の冷淡さをなじつても、心に氷河のながれが私の心の底であざわらつてゐることを感ぜずには居られませんでした。私がかく母をなじり、流行性感冒の恐ろしさを説き、弟の手當を説いたかなりにパウシヨラケートな言葉も實は、私の愛に少しも根ざしてはゐないのでした。それどころか、恐ろしい、みにくい、利己の心が、たしかに其の言葉を言はせたのです。眞に弟を思つたのではないのです。私はたゞたゞ私自身の生活の自由と調和とが家庭の不幸弟の病氣等に依つてさまたげられこはれんことを恐れて居るのです。弟の病氣が重くなつては私の世界が暗くなるからなのです。
 ああ眞に弟を思ひその幸福のためにいのつてやる貴いうつくしい愛はどこへ行つたのでせう。またはいつ落としてしまつたのでせう。其れはとにかくない物なのだ。私の心のみか、私の家の中にはどこにもないものなのだ。何たるさびしさでせう。私は母をなじつて昂奮して外へ飛び出し、牛込から乘つた山の手電車の入口につかまつてほんとに泣きました。涙がにじみ出ました、ほんとです。ほんとです。このさびしさが泣かずにゐられませうか。私は泣きました。愛のない家庭といふ世にもみにくい家庭が私のかゝり場所かと思つて。それよりも私を、このみにくい私を、何たる血族だらう。このざまは何だらう。虐げられてしまつたのだ。すつかり虐げられてしまつたのです。もとはこれではなかつた。少なくとも私の少年時代は。
 神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。
 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。
 神さま、ほんとです。いつでも私をおめし下さいまし。愛のない生がいまの私のすべてです。私には愛の泉が涸れてしまひました、ああ私の心は愛の廢園です。何といふさびしさ。
 こんなさびしい生がありませうか。私はこの血に根ざしたさびしさに殺されます。私はもう影です。生きた屍です。神よ、一刻も早く私をめして下さいまし。私を死の黒布でかくして下さいまし。そして地獄の暗の中に、かくして置て下さいまし。どんな苦をも受けます。たゞ愛のない血族の一人としての私を決してふたゝび、ふたたびこの世へお出しにならない樣に。
 私はもう決心しました。明日から先はもう冥土の旅だと考へました。
 神よ、私は死を恐れません。恐れぬばかりか慕ふのです。たゞ神さまのみ心に逆らつて自殺する事はいたしません。
 神よ、み心のまゝに私を、このみにくき者を、この世の苦しい涙からすくひ玉はんことを。くらいくらい他界へ。

村山槐多
「村山槐多詩集」所収
1919

悲しい月夜

ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰氣くさい聲をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
靑白いふしあはせの犬よ。

萩原朔太郎
「月に吠える」所収
1917