Category archives: 1900 ─ 1909

接吻の後に

「眠りたまふや」。
「否」といふ。

皐月、
花さく、
日なかごろ。

湖べの草に、
日の下に、
「眼閉じ死なむ」と
君こたふ。

三木露風
廃園」所収
1909

我子の声

われはきく、生れざる、はかりしれざる
子の声を、泣き訴ふ赤きさけびを。
いづこにかわれはきく、見えわかぬかかる恐怖に。

かの野辺よ、信号柱は断頭の台とかがやき、
わか葉洩る入日を浴びてあかあかと遙に笑ひき。
汽車にしてさてはきく、轢かれゆく子らの啼声。

はた旅の夕まぐれ、栄えのこる雲の湿に、
前世の亡き妻が墓の辺の赤埴おもひ、
かくてまた我はきく追懐の色とにほひに、
埋もれたる、はかりしれざる子の夢を、胎の叫を。

帰りきてわれはきく、ひたぶるに君抱くとき、
手力のほこりも尽きて弱心なやむひととき、
たちまちに心つらぬく
赤き子の高き叫を。

北原白秋
第二邪宗門」所収
1909

猿の喰逃げ

お山の猿はおどけもの、
今日も今日とて店へ來て、
胡桃を五つ食べた上、
背廣の服の隱しから、
銀貨を一つ取り出して、
釣錢はいらぬと、上町の
旦那のまねをしてゐたが、
銀貨は贋の人だまし、
お釣錢のあらう筈がない、
おふざけでないと言つたれば、
帽子を脱いで、二度三度
お詫び申すといふうちに、
背廣の服のやぶれから
尻尾を出して逃げちやつた。

薄田泣菫
こもり唄」所収
1908

皷いだけば

皷いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。

与謝野晶子
恋衣」所収
1905

塵塚

隣の家の穀倉の裏手に
臭い塵溜が蒸されたにほひ、
塵溜のうちにはこもる
いろいろの芥の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかつかと爛れてる。
塵溜の中には動く稲の虫、浮蛾の卵、
また土を食む蚯蚓らが頭を抬げ、
徳利壜の虧片や紙の切れはしが腐れ蒸されて
小さい蚊は喚きながら飛んでゆく。

そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻くもの死するもの、秒刻に
かぎりも知れぬ命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀がさもあるらしく、
をりをりは悪臭まじる虫螻の
種々のをたけび、泣声もきかれる。

その泣声はどこまでも強い力で
重い空気を顫はして、また軈て、
暗くなる夕の底に消え沈む。
惨しい「運命」はたゞ悲しく
いく日いく夜もこゝにきて手辛く襲ふ。
塵溜の重い悲しみを訴へて
蚊は群つてまた喚く。

川路柳虹
1907

小諸なる古城のほとり

  一

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む

  二

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を靜かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ

島崎藤村
落梅集」所収
1901

扣鈕

南山の たたかひの日に

袖口の こがねのぼたん

ひとつおとしつ

その扣鈕惜し

 

べるりんの 都大路の

ぱつさあじゆ 電燈あをき

店にて買ひぬ

はたとせまへに

 

えぽれつと かがやきし友

こがね髪 ゆらぎし少女

はや老いにけん

死にもやしけん

 

はたとせの 身のうきしづみ

よろこびも かなしびも知る

袖のぼたんよ

かたはとなりぬ

 

ますらをの 玉と碎けし

ももちたり それも惜しけど

こも惜し扣鈕

身に添ふ扣鈕

 

森鴎外

うた日記」所収

1907

安乗の稚児

志摩の果安乗の小村

早手風岩をどよもし

柳道木々を根こじて

虚空飛ぶ断れの細葉

 

水底の泥を逆上げ

かきにごす海の病

そゝり立つ波の大鋸

過げとこそ船をまつらめ

 

とある家に飯蒸かへり

男もあらず女も出で行きて

稚児ひとり小籠に坐り

ほゝゑみて海に対へり

 

荒壁の小家一村

反響する心と心

稚児ひとり恐怖をしらず

ほゝゑみて海に対へり

 

いみじくも貴き景色

今もなほ胸にぞ跳る

少くして人と行きたる

志摩のはて安乗の小村

伊良子清白

孔雀舟」所収

1905

水底の感

水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、

永く住まん、君と我。

黑髪の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢なら

ぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。

うれし水底。淸き吾等に、譏り遠く憂ひ透らず。有耶無

耶の心ゆらぎて、愛の影、ほの見ゆ。

 

夏目漱石

寺田寅彦宛の端書より

1904

朱のまだら

日射しの

緑ぞここちよき。

あやしや

並たち樹蔭路。

 

よろこび

あふるる、それか、君、

彼方を、

虚空を夏の雲。

 

あかしや

枝さすひまびまを

まろがり

耀く雲の色。

 

君、われ、

二人が樹蔭路、

緑の

匂ひここちよき。

 

軟風

あふぎて、あかしやの

葉は皆

たゆげに飜へり、

 

さゆらぐ

日影の朱の斑、

ふとこそ

みだるれわが思。

 

君はも

白帆の澪入りや、

わが身に

あだなる戀の杙。

 

軟風

あふぎて澪逸れぬ、

いづくへ

君ゆく、あな、うたて。

 

思ひに

みだるる時の間を

夏雲

重げに崩れぬる

 

緑か、

朱か、君、あかしやの

樹かげに

あやしき胸の汚染。

 

蒲原有明

有明集」所収

1908