「眠りたまふや」。
「否」といふ。
皐月、
花さく、
日なかごろ。
湖べの草に、
日の下に、
「眼閉じ死なむ」と
君こたふ。
三木露風
「廃園」所収
1909
隣の家の穀倉の裏手に
臭い塵溜が蒸されたにほひ、
塵溜のうちにはこもる
いろいろの芥の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかつかと爛れてる。
塵溜の中には動く稲の虫、浮蛾の卵、
また土を食む蚯蚓らが頭を抬げ、
徳利壜の虧片や紙の切れはしが腐れ蒸されて
小さい蚊は喚きながら飛んでゆく。
そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻くもの死するもの、秒刻に
かぎりも知れぬ命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀がさもあるらしく、
をりをりは悪臭まじる虫螻の
種々のをたけび、泣声もきかれる。
その泣声はどこまでも強い力で
重い空気を顫はして、また軈て、
暗くなる夕の底に消え沈む。
惨しい「運命」はたゞ悲しく
いく日いく夜もこゝにきて手辛く襲ふ。
塵溜の重い悲しみを訴へて
蚊は群つてまた喚く。
川路柳虹
1907
一
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む
二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を靜かに思へ
百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
島崎藤村
「落梅集」所収
1901
水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、
永く住まん、君と我。
黑髪の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢なら
ぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。
うれし水底。淸き吾等に、譏り遠く憂ひ透らず。有耶無
耶の心ゆらぎて、愛の影、ほの見ゆ。
夏目漱石
寺田寅彦宛の端書より
1904