はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくは だれだっけ
だれだっけ
はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずに うつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな
まど・みちお
「くまさん」所収
さくら
夜
さくらは天にむかって散っていく
せかいはひとつの網膜で
はなびらのひとつひとつは
そのぬるむせかいのはてなさを
おののくのだ
やがて鶴の群れとなり
はなびらは 死のひろがりへ
はばたいていく。
うすももいろというとき
その認識にまつわるはじらいは
さくらのはなびらの どこに
受けとめられるというのか
さくらのころ
わたしらに斜めにふりかかるひかりが
はなやかな風光を
ほのぐらい地平へ
うながすことがある
そのとき じつにわずかなときだが
さくらのはなびらは
わたしらの足もとを
どこにもないひかりでてらす
もはや わたしらは
背中にしずかにまわされた
みえないあつい手に
めまいする静寂
そのおそれの岸へといざなわれているのだ。
片岡文雄
「悪霊」所収
1969
崖
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
石垣りん
「表札など」所収
1968
銭湯で
東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。
一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮しにゆとりがなかつたので
たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困つて
洗面道具のなかに落としたりする。
おかげで
たつぷりお湯につかり
石鹸のとばつちりなどかぶつて
ごきげんなアルミ貨。
一円は将棋なら歩のような位で
お湯のなかで
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。
お金に
値打ちのないことのしあわせ。
一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいつている。
石垣りん
「表札など」所収
1968
悲しき自伝
裏町にひとりの餓鬼あり、飢ゑ渇くことかぎりなければ、パンのみにては充たされがたし。胃の底にマンホールのごとき異形の穴ありて、ひたすら飢ゑくるしむ。こころみに、綿、砂などもて底ふたがむとせしが、穴あくまでひろし。おに、穴充たさむため百冊の詩書、工学事典、その他ありとあらゆる書物をくらひ、家具または「家」をのみこむも穴ますます深し。おに、電線をくらひ、土地をくらひ、街をくらひて影のごとく立ちあがるも空腹感、ますます限りなし。おに、みづからの胃の穴に首さしいれて深さはからむとすれば、はるか天に銀河見え、ただ縹渺とさびしき風吹けるばかり。もはや、くらふべきものなきほど、はてしなき穴なり。
寺山修司
「田園に死す」所収
1965