桃子
また外へ出て
赤い茨の実をとって来ようか
八木重吉
「貧しき信徒」
1927
味噌汁
朝は味噌汁をすゝるんだとよ
くらいうちの門さきを過ぎる豆腐屋をよびとめて
朝はどの家でも味噌汁をすするんだとよ
──どの家でも
鍛冶屋のやうに火を閃めかして
くらがりのなかで味噌汁をすゝるんだとよ
百田宗治
「何もない庭」所収
1926
黒い風琴
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。
だれがそこで唱つてゐるの
だれがそこでしんみりと聴いてゐるの
ああこのまつ黒な憂鬱の闇のなかで
べつたりと壁にすひついて
おそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
お弾きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のやうに
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。
ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんといふはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。
萩原朔太郎
「青猫」所収
1923