注射器いつぽんが身上
乙に
縞の胴衣なんか着込んでさ
患者には「瘤」と「痒み」を置土産に
せつせと稼ぐ うら藪から往診の藪医者どの
高祖保
「高祖保詩集」より
1945
注射器いつぽんが身上
乙に
縞の胴衣なんか着込んでさ
患者には「瘤」と「痒み」を置土産に
せつせと稼ぐ うら藪から往診の藪医者どの
高祖保
「高祖保詩集」より
1945
おそろしい世情の四年をのりきつて
少女はことし女子医専を卒業した。
まだあどけない女医の雛は背広を着て
とほく岩手の山を訪ねてきた。
私の贈つたキユリイ夫人に読みふけつて
知性の夢を青々と方眼紙に組みたてた
けなげな少女は昔のままの顔をして
やつぱり小さなシンデレラの靴をはいて
山口山のゐろりに来て笑つた。
私は人生の奥に居る。
いつのまにか女医になつた少女の眼が
烟るやうなその奥の老いたる人を検診する。
少女はいふ、
町のお医者もいいけれど
人の世の不思議な理法がなほ知りたい、
人の世の体温呼吸になほ触れたいと。
狂瀾怒涛の世情の中で
いま美しい女医になつた少女を見て
私が触れたのはその真珠いろの体温呼吸だ。
高村光太郎
「高村光太郎詩集」所収
1949
三月なかばだというのに
今朝は珍らしい大雪だ
長靴をはいて
雪の中をざくざく歩くと
これはまたわが足跡のなんと大きなこと
東京のまん中で熊になった
人間は居らぬか
人間という奴は居らぬか
壺井繁治
「壺井繁治詩集」所収
1944
これをたのむと言いながら
風呂敷包にくるんで来たものを
そこにころがせてみると
質屋はかぶりを横に振ったのだ
なんとかならぬかとたのんでみるのだが
質屋はかぶりをまた振って
おあずかりいたしかねるとのことなのだ
なんとなからぬものかと更にたのんでみると
質屋はかぶりを振り振りして
いきものなんてのはどうにも
おあずかりいたしかねると言うのだ
死んではこまるので
お願いに来たのだと言うと
質屋はまたまたかぶりを振って
いきものなんぞおあずかりしたのでは
餌代にかかって
商売にならぬと来たのだ
そこでどうやらぼくの眼がさめた
明りをつけると
いましがたそこに
風呂敷包からころがり出たばかり
娘に女房が
寝ころんでいるのだ
山之口貘
「山之口貘詩集」所収
1940
ーそれよりもいつそ自分が自分を片づけた方がましだ。少くともいつ、どんな風に死ぬかといふことがわかるし、それに、どこに穴をあけるか自分で場所をえらぶ自由もある。
ツルゲーネフ「処女地」
灰で固めた骨片は、
すつても火がでない。
骨よ。おぬしが人間の
最後の抗議といふものか。
なにを叩く。誰をよびさます。
その撥で
骨は、骨のうへで軽業しながら
骨になつた自由をたのしんで、
へうきんに踊りながら答へた。
ーみそこなふなよ。俺さまを。
とつくりそばへよつて嗅いでみな。
かびくさいのは二束三文の
張三の骨、呂四の骨。
薬の毒のしみこんだ紫の骨、
いんばいの骨、のんだくれの骨。
あかがねくさい政治家の骨。
きちがひ茄子のにほふのは、あれは
戦にひつぱり出されたものの骨。
だが飛切上等の骨。
こいつを一つ嗅ぎわけてくれ。
気にいらぬ人生に楯ついて
おのれでおのれを処分したものの骨には
伽羅がにほふ。伽羅がにほふ。
金子光晴
「鬼の児の唄」所収
1949
冬がやってきた
だが木炭がない練炭がないで
市民はみんな寒がっている
でもあきらめよう
とにかくこうして
季節がくると冬がやってきてくれたのだから、
僕の郷里ではもっと寒い
冬には雄鶏のトサカが寒さで
こごえて無くなってしまうこともあるのだ
それでも奴は春がやってくると
大きな声で歌うことを忘れないのだから
勇気を出せよ、
雄鶏よ、私の可愛いインキ壺よ、
ひねくれた隣の女中よ
そこいら辺りのすべての人間よ、
約束しないのに
すべてがやって来るということもあるのだから
なんてすばらしいことだ
約束しないのに
思いがけないことが
やってくるということがあると
いうことを信じよう。
小熊秀雄
「流民詩集」所収
1940
紅い花の咲く
大きな木は
椅子のようにできています
小さい子供が
鈴のように
花の木の椅子にのぼって
あそんでいます
日がくれて
子供がかえるころ
私も一人で
花の木の椅子にこしかけます
ここからは海がみえます
なつかしいおともだちよ
ここから私はあなたを呼びます
月がでるまで私はここで
深いことを夢みていたく思います
山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947