Category archives: 1890 ─ 1899

おきく

くろかみながく
    やはらかき
をんなごころを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごころの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢の毛を
黄楊の小櫛に
    かきあげよ

あゝ月ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なんと
    よみいでし
あつきなさけは
    誰がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衛はいづれ
    恋か名か
忠兵衛も名の
    ために果つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごころは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
蛇となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき

島崎藤村
若菜集」所収
1897

路傍の梅

 少女あり、友が宅にて梅の実をたべしにあまりにうまかりしかば、そのたねを持ち帰り、わが家の垣根に埋めおきたり。少女は旅人が立ち寄る小さき茶屋の娘なりき、年経てその家倒れ、家ありし辺りは草深き野と変わりぬ。されど路傍なる梅の老木のみはますます栄えて年々、花咲き、うまき実を結べば、道ゆく旅客らはちぎりて食い、その渇きし喉をうるおしけり。されどたれありて、この梅をここにまきし少女のこの世にありしや否やを知らず。

国木田独歩
武蔵野」所収
1898

胡蝶

一もと菫 物思ふ
ゆふべ胡蝶の 舞ひ落ちぬ。
しきりに蝶は ささやきつ、
うれしげに花は うなづきつ。
仮の契りに 紫の
露やこぼして 別れけん、
再び蝶は 帰り来ず、
菫は終に 萎みけり。

正岡子規
「この花」所収
1897

若菜集(序文より)

こゝろなきうたのしらべは

ひとふさのぶだうのごとし

なさけあるてにもつまれて

あたゝかきさけとなるらむ

 

ぶだうだなふかくかゝれる

むらさきのそれにあらねど

こゝろあるひとのなさけに

かげにおくふさのみつよつ

 

そはうたのわかきゆゑなり

あぢはひもいろもあさくて

おほかたはかみてすつべき

うたゝねのゆめのそらごと

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の

人なきときに夜いでて

秋の葡萄の樹の影に

しのびてぬすむつゆのふさ

 

恋は狐にあらねども

君は葡萄にあらねども

人しれずこそ忍びいで

君をぬすめる吾心

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

一葉は花は露ありて

風の来て弾く琴の音に

青き葡萄は紫の

自然の酒とかはりけり

 

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

おくれさきだつ秋草も

みな夕霜のおきどころ

笑ひの酒を悲みの

盃にこそつぐべけれ

 

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

くさきも紅葉するものを

たれかは秋に酔はざらめ

智恵あり顔のさみしさに

君笛を吹けわれはうたはむ

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

髪を洗へば

髪を洗へば紫の

小草のまへに色みえて

足をあぐれば花鳥の

われに随したがふ風情あり

 

目にながむれば彩雲の

まきてはひらく絵巻物

手にとる酒は美酒の

若き愁をたゝふめり

 

耳をたつれば歌神の

きたりて玉の簫を吹き

口をひらけばうたびとの

一ふしわれはこひうたふ

 

あゝかくまでにあやしくも

熱きこゝろのわれなれど

われをし君のこひしたふ

その涙にはおよばじな

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

別離

 人妻をしたへる男の山に登り其

女の家を望み見てうたへるうた

 

誰かとゞめん旅人の

あすは雲間に隠るゝを

誰か聞くらん旅人の

あすは別れと告げましを

 

清き恋とや片し貝

われのみものを思ふより

恋はあふれて濁るとも

君に涙をかけましを

 

人妻恋ふる悲しさを

君がなさけに知りもせば

せめてはわれを罪人と

呼びたまふこそうれしけれ

 

あやめもしらぬ憂しや身は

くるしきこひの牢獄より

罪の鞭責をのがれいで

こひて死なんと思ふなり

 

誰かは花をたづねざる

誰かは色彩に迷はざる

誰かは前にさける見て

花を摘まんと思はざる

 

恋の花にも戯るゝ

嫉妬の蝶の身ぞつらき

二つの羽もをれ/\て

翼の色はあせにけり

 

人の命を春の夜の

夢といふこそうれしけれ

夢よりもいや/\深き

われに思ひのあるものを

 

梅の花さくころほひは

蓮さかばやと思ひわび

蓮の花さくころほひは

萩さかばやと思ふかな

 

待つまも早く秋は来て

わが踏む道に萩さけど

濁りて待てる吾恋は

清き怨となりにけり

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

みゝずのうた

   この夏行脚してめぐりありけるとき、或朝ふと

   おもしろき草花の咲けるところに出でぬ。花を

   眺むるに餘念なき時、わが眼に入れるものあり、

   これ他の風流漢ならずして一蚯蚓なり、おかし

   きことありければ記しとめぬ。

 

わらじのひものゆるくなりぬ、

まだあさまだき日も高からかに、

ゆうべの夢のまださめやらで、

いそがしきかな吾が心、さても雲水の

身には恥かし夢の跡。

 

つぶやきながら結び果てゝ立上り、

歩むとすれば、いぶかしきかな、

われを留むる、今を盛りの草の花、

わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、

この花だにあらばうちもえ死なむ。

 

そこ這ふは誰ぞ、わが花の下を、

答へはあらず、はひまわる、

わが花盗む心なりや、おのれくせもの、

思はずこぶしを打ち擧げて

うたんとすれば、「やよしばし。

 

「おのれ地下に棲みなれて

花のあぢ知るものならず、

今朝わが家を立出でゝより、

あさひのあつさに照らされて、

今唯だ歸らん家を求むるのみ。

 

「おのれは生れながらにめしひたり、

いづこをば家と定むるよしもなし。

朝出る家は夕べかへる家ならず、

花の下にもいばらの下にも

わが身はえらまず宿るなり。

 

「おのれ生れながらに鼻あらず、

人のむさしといふところをおのれは知らず、

人のちりあくた捨つるところに

われは極樂の露を吸ふ、

こゝより樂しきところふらず。

 

「きのふあるを知らず

あすあるをあげつらはず、

夜こそ物は樂しけれ、

草の根に宿借りて

歌とは知らず歌うたふ。」

 

やよやよみゝず説くことを止めて

おのがほとりに仇あるを見よ。

智慧者のほまれ世に高き

蟻こそ來たれ、近づきけれ、

心せよ、いましが家にゆるぎ行きぬ。

 

「君よわが身は仇を見ず、

さはいへあつさの堪へがたきに、

いざかへんなん、わが家に、

そこには仇も來らまじ、安らかに、

またひとねむり貪らん。」

 

そのこといまだ終らぬに、

かしこき仇は早や背に上れり、

こゝを先途と飛び躍る、

いきほひ猛し、あな見事、

仇は土にぞうちつけらる。

 

あな笑止や小兵者、

今は心も強しいざまからむ。

うちまはる花の下、

惜しやいづこも土かたし、

入るべき穴のなきをいかん。

 

またもや仇の來らぬうちと、

心せくさましほらしや、

かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、

ゆきてはかへり、かへりては行く、

まだ歸るべき宿はなし。

 

やがて痍もおちつきし

敵はふたゝびまとひつく。

こゝぞと身を振り跳ねをどれば、

もろくも再びはね落され、

こなたを向きて後退さる。

 

二つ三つ四ついつしかに、敵の數の、

やうやく多くなりけらし、

こなたは未だ家あらず、

敵の陣は落ちなく布きて

こたびこそはと勇むつはもの。

 

疲れやしけむ立留まり、

こゝをいづこと打ち案ず。

いまを機會ぞ、かゝれと敵は

むらがり寄るをあはれ悟らず、

たちまち背には二つ三つ。

 

振り拂ひて行かんとすれば、

またも寄せ來る新手のつはもの、

蹈み止りて戦はんとすれば

寄手は雲霞のごとく集りて、

幾度跳ねても拂ひつくせず。

 

あさひの高くなるまゝに、

つちのかわきはいやまして、

のどをうるほす露あらず、

悲しやはらばふ身にしあれば

あつさこよのふ堪へがたし。

 

受けゝる手きずのいたみも

たゝかふごとになやみを増しぬ。

今は拂ふに由もなし、

爲すまゝにせよ、させて見む、

小兵奴らがわが背にむらがり登れかし。

 

得たりと敵は馳せ登り、

たちまちに背を蓋ふほど、

くるしや許せと叫ぶとすれど、

聲なき身をばいかにせむ、

せむ術なくてたをれしまゝ。

 

おどろきあきれて手を差し伸れば

パッと散り行く百千の蟻。

はや事果しかあはれなる、

先に聞し物語に心奪はれて、

救得させず死なしけり。

 

ねむごろに土かきあげ、

塵にかへれとほふむりぬ。

うらむなよ、凡そ生とし生けるもの

いづれか塵にかへらざらん、

高きも卑きもこれを免れじ。

 

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、

前にも増せる花の色香。

汝もいつしか散らざらむ、

散るときに思ひ合せよこの世には

いづれ絶えせぬ命ならめや。

 

北村透谷

1894

春のゆふべ

汀ににほふ糸桜、

うつる姿のやさしきに、

駒の手綱もゆるみては、

小草をあさる黒かげの、

たてがみかろき春の風。

 

手折りて君か給ひたる、

色香にたへなるこの枝の、

上ふく風に二三ひら、

長きみ袖にちりかゝる、

花の心もなつかしや。

 

雲になりゆく花のかげ、

みかへる君も朧ろにて、

香おくる風の床しくも、

たれの胸より立ち初めし

長き思ひもなびかせて。

 

山川登美子

「新声」第1編第4号 所収

1899