Category archives: 2000 ─ 2009

帰りたい

もう帰りたいのだけれど
言いだしかねて
ズルズル居すわっているのである
それを察して
まあいいじゃないですか
もう少しぐらいと
いわれて
すわっているのである
退くつきわまりないので
腰を浮かしてみたりするのだが
さて どこへ帰るかとなると
はっきりとはしないのである
とにかく ここを
出たいのである

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

青をめざして

たゞ目の前のシグナルを
青のシグナルを見つめて
脇見をしないで
歩いた
どこへ行くのか考えたことも
なかった
青をみつめて
青だけをみつめて
わたしは歩いていった

どこが悪かったのだ
みんなどこへ消えたのだ

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

その言葉は
釘のように グイと
打ちこんできた

いや しかし と
言おうとしたのに

ふたゝび 奥へ
たゝきこんできた

そしてもう一発
ガーンと止めの一撃

もう動けなかった

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

バケツのかたちの水を
かたむけ
パッと 放おると
菱形にゆがんで浮いたのも束の間
コンクリートに叩きつけられ
悲鳴をあげてペチャンコになり
助けを求めるように触手をのばし
すこし もがいていたが
ひっそり 息絶えた

杉山平一
青をめざして」所収
2004

雫のように

つぼみが
だんだんふくらんできて
パッと
花ひらくとき

雫のように
何か大切なものが
ポタリ と
落ちたのです

杉山平一
青をめざして」所収
2004

ひとり暮し

一人では
生きてゆけないように
どうも人間はなっているらしい

群れて群れて生きてきた習性かしら
補いあってここまできた人類の遺伝子なのかしら
喜怒哀楽の桶のなか
ごろごろと泥つき里芋洗うよう
犇めきあって暮らすのが一番自然な
人の生き方なのかしら

ものごころついた時は
父と母と弟と四人で暮し(あの頃はよかった)
学生時代は寮生活 四、五人いっしょにわやわや暮し
結婚してからはあなたと二人
今はじめて 生まれてはじめて一人になって
ひとり暮し十年ともなれば
宇宙船のなか
あられもなく遊泳の感覚
さかさまになって
宇宙食嚙るような索漠の日々

手鏡をひょいと取れば
そこには
はぐれ猿の顔
ずいぶん無理をしている
寂寥がぴったり顔に貼りついて
パック剤剥はがすようにはいかなくなった
さりとて もう
ほかの誰かとも暮す気はなし
あなた以外の誰とも もう
しかたがない
さつまいもでも嚙りましょう

茨木のり子
歳月」所収
2007

ゴキブリ考

ひとり暮らしで家じゅう乱雑をきわめているので
今年はもうゴキブリが出てきた
はじめに出てきたのは ミナコと呼ぶことにしている
みんな名前がついているのだ

死んだ妻は蟻も殺さなかったので
私もその生き方をまもっている
妻とはゴキブリにはキナコを食べさせた
はじめの時 ゴキブリはあまりの好遇に戸惑って
しきりにヒゲをふるわせていたが
二度目からは キナコをみせると寄ってきた
ゴキブリにキナコは ネコにマタタビに似た作用があるらしく 食べ終わると 踊るような足どりで去ってゆく

ミナコは私の若いころ妻になったかもしれない従妹である
戦争のため むろんすべては崩れたが
ミナコはヅカファンで紫の袴を穿いて遊びにきた おふくろに逢いにきたのだ ミナコの母は美人で若死にしてしまったが 私は少年のころこの叔母にあこがれていた
だからミナコにも気を惹かれていた ゴキブリのミナコも紫の袴を穿いている  といえないこともない

ミナコのあとにはタケオが出てくる
タケオはいちばん仲のよい幼ともだちだったが かれは戦争の時ガダルカナルで戦死した だからきまって 逢いにくるのだ かれは中隊長になっていたので ゴキブリになってもしっかりしている

タケオの弟のマスオ 提灯屋のタツキチ 小学生のころ黒板に相合傘の絵を描かれた役場の収入役の娘のサチコ
みんなゴキブリになっているが いつも出てくるとは限らない 向こうにも都合があるのだ

この夜更け私はミナコにキナコを与えながら
タケオ タケオ 会いたいよ と呼ぶ
私は伍長だったから タケオが出てくると敬礼する かれはそれが嬉しいのだ

とりとめのないことに
この世の生きる意味をさぐりあてているような
この ひとり暮らしのなかの味わい深いいとなみよ
本来は 何十万年も前から生きつないでいるらしいゴキブリにも 私は私なりの敬意は払っているのだ

伊藤桂一
2001

海で

今年の夏 ついこのあいだ
宮崎の海で 以下のことに出逢いました
浜辺で
若者が二人空びんに海の水を詰めているのです
何をしているのかと問うたらば
二人が云うに
ぼくらうまれて始めて海を見た
海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだ
だからこの海の水を
びんに入れて持ち帰り
盥にあけて
水が終日揺れるさまを眺めていようと思う
と云うのです
やがて いい土産ができた と
二人は口笛をふきながら
暮れかける浜から立ち去りました
夕食の折
ぼくは変に感激してその話を
宿の人に話したら
あなたもかつがれたのかね
あの二人は
近所の漁師の息子だよ
と云われたのです

川崎洋
海があるということは」所収
2004

お茶碗

お手やわらかにと挨拶をして
茶室に入ると
人間(じんかん)いたるところ地獄(ぢごく)あり
と書かれた(ふりがなつきで)軸がかけられている
主人に地獄とはつとめですかと訊くと
まぁ、そう、あとかていとかさ。
とこたえる
茶がでる
実はこいつにゃ銘がねぇんだよ、
気楽な愛称でいいから
あんたよびなをつけてやってくんねぇか。
と言われる
すがすがしい茶の湯だ
緑に目が洗われる
ずずずーいっと啜ると底から
あっしの名まえ何とかなりませんか、
と陽気な声がする
そうさなぁ、
すぐは無理だな、次逢うまでに。
と告げると
あるじも笑ってうなずいている

礼を述べて
通称蛇のみちをくねくね帰ってゆくとき
蛇行する道の、ちょうど川なら
三カ月湖のできているあたりで
ごろんとシンノスケが寝ころがっていた
(大儀そうであるな)
(カホーハネテマテサ)
シンさんは本気を出せば
箱根八里もひとっとびさ
前脚のつけ根の上あたりから大翼が生えて
ぴかぴかの大空へねバサバサアッ

薄暮には少し早い空を仰いだ
古い風景画にあらわれる形の
雲の隙から
おっさんの髭面がぬっと出て
ニカッと笑って消えてしまったことがあった
少年の日の初夏のできごと──
皐月の暮れ方は
天空はまだ青いのに
地上のものは全て黒い影に包まれているふうだ
じきに雲間の髭男についても
忘れてしまっていたのだった
蛇のみちを歩きながら思い出された
雲割ってぬっと出現した男の破顔
それは少年の
四十年後の
笑顔だったとも
(自分の子供時代は心配または興味に値するだろ)

浮雲の上より
下界を覗くと
くねくねした道を少年がゆく
その子はいずれ
ある名器の名づけ親となるべきひとだ

岩佐なを
鏡ノ場」所収
2003

私の日記

朝です
ふすまひとつへだてた、一軒の家の中で
唯、身を横たえて生きている父と、隣り合っている
親子、という堅密な
しかも世代をわかつ二人の人間の間隔が
わずか二、三メートルの差であることを見せられるのは
何という気味の悪さでしょう。

おおいやだ
あの声、タカコオシッコ、という泣き声
あの残された甘やかなもの
幼児の愛らしさと同居しているあの言葉
あの言葉のどこに
六十年の歳月があろう?
どれだけの成長があろう?
老いつかれた父の唇にのぼる
あまりに稚拙な生理の表白。

おおその言葉のように
私も父と同居だ
私は今、かろうじて若く
手も足も自分の自由になり
半身不随の父の苦しみを知るよしもない
そのへだりが僅か二、三メートルであることを
私は見るのだ
私の一生かけた成長のあとが
あの稚拙さで終る日がふすまをへだててありありと見えるのだ。

石垣りん
レモンとねずみ」所収
2008