Category archives: 1980 ─ 1989

夏は緑の葉っぱの子供と

夏は緑の葉っぱの子供と
花の咲く子をつれて海へ行った
二人にははじめての小さな島の海
ぼくが子供のときに泳いだ海だ
(おとうさんおおきな波がきたらたすけてね)
(わたしのこともたすけてね)
もちろんたすけてあげるから安心して
遊びなさい 水中メガネで
水の中を見てごらん
海は無定形と無秩序の状態であり
神々と人間が力をつくして守らなければ
文明はいつでもそこへ逆行するとオーデンは言ったけれど
いまは無秩序と無定形の混沌に触れることが必要なときだ
風と波浪に癒されなければ
子供のときの海に全身で浸らなければーー
ほらたくさんいるのがニシキベラ 他の名前は知らないけれど
ぼくが子供のときにもああして泳いでいた魚たちだ そのときにも
水の中はこんな風にほの暗かったし そのときにも
潜って行けばどこまででも潜って行けた
いまももちろん遠くまで行けるさ
(おとうさん青空はすっかり秋の色)
(魚たちも 秋の魚です)

辻征夫
東京新聞 1988年9月掲載

ここは何処なのか

遠いことはいいことだ
愛が 憎しみが 心だって
なにもかも遠くなる

丘に日がしずみ
水がこきざみにながれ
やさしい空気が道に迷う

別れることはいいことだ
なにもかもひとすじになって自分に帰ってくる
沈黙だって
時だって
自分の影だって
見えないものがすべて自分のものだ

ひとりになる
死をたぐりよせてみる
やさしい自分のさいごをいたわってみる
まごうかたなくそれは自分なのだ

ああ在りし日にぼくはどこを彷徨っていたのか
ここは何処なのか

嵯峨信之
「アリゼ」9月号掲載
1988

手を清潔にしたい そして髪をかきあげたい

手を洗っています
もう二十回も洗いました
今二十一回めです
夜です
とても寒い
虫の声みたいな音が聞こえます
しんしんしんしんと言っています
白いネグリジェの裾が
床に触れるのではないかと不安です
蛇口に水をかけます
いっかい、にかい、さんかい、よんかい……
十かい、十一かい、十二かい
蛇口をしめます
蛇口の飛沫が
また、ついてしまいました
もう一度やりなおしです

蛇口をひねります
蛇口についた誰かのバイキンが
指先にこびりつきます
何度も洗います
何十回も手をこすります
冷たい水です
流しをバイキンが流れてゆきます
バイキンが吸水口のところにたまります
蛇口についているバイキンを
水をかけておとします
バイキンはなかなかおちません
何度も水をかけます
やっと、おちたみたいです
蛇口をしめます

でもまだバイキンは
私の手に残っているかもしれない
私は、髪をかきあげたい
でもバイキンが残っているかもしれません
バイキンは髪にこびりつくかもしれない
私はもう一度だけ手を洗って
それから髪を耳にかけようと思います

蛇口をひねります
ほらバイキンがついた
何度もこすります
手の先が赤く、しびれてきました
ネグリジェの裾がとても気になります
涙が出てきます
どうして私は泣いているのでしょう
鼻水もでてきます
でも手はバイキンで汚れていて
鼻をぬぐうことができない
蛇口には誰かのバイキンがついています
ネグリジェの裾から
廊下のしめったバイキンが上ってきます
私はどうすればいいのだろう
そう思うと体が硬直します
蛇口に水をかけます
かけながらネグリジェの裾が気になります
もう黄ばんでいるかもしれない
手を
清潔にしなければなりません
蛇口に水をかけます 速く
もっと速く
体が硬直します 速く
速く ハヤク

脅迫性障害蛇口に水をかけます

榊原淳子
「世紀末オーガズム」所収
1983

べ氏のユーウツな妄想

街があって
それはいくつもの四角い箱で構成されている
私はその街の
中心よりもやや西に住んでおり
住居はやはり四角い箱である
まず最初に
四角い箱そのものが
私に恐怖を与える
私は自分の住居である四角い箱
もちろんある程度の恐怖を与える私の生活に
カギをかけるのだが
そのカギはかなりおそまつである
そのおそまつさは
やがておこるべきできごとを暗示している
私はその時点で
すでにそれを了承済みである

まず少数のゾンビの集団が現れ
街の人々を襲う
襲われた人はゾンビになってしまう
ゾンビと人間の区別は容易である
ゾンビは左薬指に特殊な指輪をしている
その指輪は
透明感のないグリーンである
指輪をしていないゾンビの場合
爪の色が特殊な緑である
私は寝台に横たわったままの状態で
街の人々の大半がゾンビになってしまったことを知る
私を助けようとする親類縁者がいるのだが
その人もゾンビにされてしまう
そのことを寝台の上の私はまだ知らない

たくさんのゾンビが
私の住居のまわりをかこんでいる
街中でゾンビにされていない人間は
私と、私の他に一人か二人いるかいないか
そんなところだと私は思う
ゾンビが戸をたたいたり
煙突からのぞいたりしている
ゾンビの集団は
おそまつなカギを容易にこわして
私の寝室になだれこんでくる
私はこわれた扉の下にかくれ
スキをついて逃げだす
ゾンビが追ってくる
私の背後に
大アップのゾンビの顔がある

私を助けてくれるはずの親類縁者が
前からやってくる
その左薬指の緑色の指輪を見て
私は息をのむ
「彼もまたゾンビにされてしまった」
急に孤独感が襲ってくる
再びかくれ家にたてこもる私
家全体がぐらぐら揺れている
ゾンビが中に入ろうと
あらゆる壁面を押しているのだ
ガラス窓にはりついた
ゾンビの顔
私はぎりぎりのところまで
追いつめられてしまったことを知る
どうしていいかわからない
体が硬直する
下半身の力が抜け
耳からはオーラが吹きでる
その感覚の中で
ただ混乱している
ゾンビに威圧されて・・・

君もまたゾンビになってしまえばいいのだと
あなたは言うが
私にはできない

榊原淳子
「ボディ・エレクトリック」所収
1988

折紙

八歳の姉が、四歳の弟を呼んでいる。
K助。昨日はんぶんこした折紙を持っておいで。
弟が持ってくると、姉は一枚いちまい子細に検討し、色の綺麗なの
を自分に、悪いのを弟に、そして言う。   これではんぶんこ。
次の日。姉はまた弟にいう。
K助。昨日はんぶんこした折紙を持っておいで。
弟が持ってくると、姉は模様の良いのを自分に、汚れたのを弟に、
そしていう。
これではんぶんこ。
次の日。姉はくちゃくちゃになった自分の紙を弟にやる。弟は喜ん
で、これA子ちゃんにもらった、とはしゃぐ。かくして姉の許には
色紙が集まり、弟は弟で喜んでいる。

井川博年
「待ちましょう」所収 「子供の世界」より
1989

港の人

無は一つみたいだけれど
じつにたくさんある

必然をいくら細かに砕いてみても
ちっとも
偶然はでてこない

海の教訓は
とてもきびしい
でも
もっときびしくしてもいいとおもいながら

午後
やました公園をひとまわりして
部屋に帰って
静物の位置をすこしなおす

北村太郎
港の人」所収
1988

ジャムをつくる

イチゴのジャムでもいいし、
黒すぐりのジャムでもいいな。
ニンジンのジャムやリンゴのジャム、
三色スミレのジャムなんかもいいな。

わたしが眠りの森の精だったら、
もちろんネムリグサのジャム。
もし赤ずきんちゃんだったら、
オオカミのジャムをつくりたいな。

だけど、数字の一杯はいった
算数のジャムなんかもいいな。
そしたら算数も好きになるとおもうな。
いろんなジャムをつくれたらいいな。

「わたし」というジャムもつくりたいな。
楽しいことやいやなこと、ぜんぶを
きれいなおろし金できれいにおろして
そして、ハチミツですっかり煮つめて。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

キャラメルクリームのつくりかた

用意するもの、
コンデンスミルク一缶と
アガサ・クリスティ一冊。
ミルクの缶は蓋を開けずに
鍋に入れて、かぶるくらい水を差す。
そのまま火にかけて、文庫本をひらく。
こころおどる殺人事件。
アンドーヴァーで最初の殺人。
犯人不明。手掛りはなし。
ベクスヒル海岸で、チャーストンで
謎の殺人が次々とつづく。
第四の殺人のまえに差し湯する。
湯のなかにかならず
缶が沈んでいるようにする。
ポワロ氏が髭をひねって微笑する。
「誰が何をいうと思う?ヘイスティングス、
嘘さ。
探偵は嘘によって真実を知るのさ」
急転、事件が解決したら
缶を取りだす。
充分にさましてから開ける。
すると!
缶のコンデンスミルクが
見事なキャラメルクリームに変わっている。
ABCのビスケットに
キャラメルクリーム。
アガサ伯母さんの味だ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本の空壜をのこすだけ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

絶望のスパゲッティ

冷蔵庫のドアを開けて、
一コの希望もみつからないような日には
ピーマンをフライパンで焼く。
焼け焦げができたら、水で冷やして、
皮をむき、種子をとる。
トマトを湯むきし、乾燥キノコも
水に浸けてもどし、20粒ほどの
オリーブの種子をていねいにぬいて、
それらぜんぶとアンチョビーとケーパー、
パセリをすばらしく細かく刻む。
玉葱、大蒜、サルビアも刻む。
もうだめだというくらい切り刻む。
それからじっくりと弱火で炒める。
火をとめて、あら熱がとれたら
パルメザンチーズをたっぷりと振る。
しゃきっと茹でた熱いままの
スパゲッティにかけてよく混ぜあわせる。
スパゲッティ・ディスペラート。
絶望のスパゲッティと、
イタリア人はそうよぶらしい。
どこにも一コの希望もみつからない
平凡な一日をなぐさめてくれる
すばらしい絶望。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987