Category archives: 1980 ─ 1989

ジャムをつくる

イチゴのジャムでもいいし、
黒すぐりのジャムでもいいな。
ニンジンのジャムやリンゴのジャム、
三色スミレのジャムなんかもいいな。

わたしが眠りの森の精だったら、
もちろんネムリグサのジャム。
もし赤ずきんちゃんだったら、
オオカミのジャムをつくりたいな。

だけど、数字の一杯はいった
算数のジャムなんかもいいな。
そしたら算数も好きになるとおもうな。
いろんなジャムをつくれたらいいな。

「わたし」というジャムもつくりたいな。
楽しいことやいやなこと、ぜんぶを
きれいなおろし金できれいにおろして
そして、ハチミツですっかり煮つめて。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

キャラメルクリームのつくりかた

用意するもの、
コンデンスミルク一缶と
アガサ・クリスティ一冊。
ミルクの缶は蓋を開けずに
鍋に入れて、かぶるくらい水を差す。
そのまま火にかけて、文庫本をひらく。
こころおどる殺人事件。
アンドーヴァーで最初の殺人。
犯人不明。手掛りはなし。
ベクスヒル海岸で、チャーストンで
謎の殺人が次々とつづく。
第四の殺人のまえに差し湯する。
湯のなかにかならず
缶が沈んでいるようにする。
ポワロ氏が髭をひねって微笑する。
「誰が何をいうと思う?ヘイスティングス、
嘘さ。
探偵は嘘によって真実を知るのさ」
急転、事件が解決したら
缶を取りだす。
充分にさましてから開ける。
すると!
缶のコンデンスミルクが
見事なキャラメルクリームに変わっている。
ABCのビスケットに
キャラメルクリーム。
アガサ伯母さんの味だ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本の空壜をのこすだけ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

絶望のスパゲッティ

冷蔵庫のドアを開けて、
一コの希望もみつからないような日には
ピーマンをフライパンで焼く。
焼け焦げができたら、水で冷やして、
皮をむき、種子をとる。
トマトを湯むきし、乾燥キノコも
水に浸けてもどし、20粒ほどの
オリーブの種子をていねいにぬいて、
それらぜんぶとアンチョビーとケーパー、
パセリをすばらしく細かく刻む。
玉葱、大蒜、サルビアも刻む。
もうだめだというくらい切り刻む。
それからじっくりと弱火で炒める。
火をとめて、あら熱がとれたら
パルメザンチーズをたっぷりと振る。
しゃきっと茹でた熱いままの
スパゲッティにかけてよく混ぜあわせる。
スパゲッティ・ディスペラート。
絶望のスパゲッティと、
イタリア人はそうよぶらしい。
どこにも一コの希望もみつからない
平凡な一日をなぐさめてくれる
すばらしい絶望。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

おおきな木

 おおきな木をみると、立ちどまりたくなる。芽ぶきの
ころのおおきな木の下が、きみは好きだ。目をあげると、
日の光りが淡い葉の一枚一枚にとびちってひろがって、
やがて雫のようにしたたってくるようにおもえる。夏に
は、おおきな木はおおきな影をつくる。影のなかにはい
ってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえる
ような気配にとらえられる。
 おおきな木の冬もいい。頬は冷たいが、空気は澄んで
いる。黙って、みあげる。黒く細い枝々が、懸命になっ
て、空を摑もうとしている。けれども、灰色の空は、ゆ
っくりと旋るようにうごいている。冷たい風がくるくる
と、こころのへりをまわって、駆けだしてゆく。おおき
な木の下に、何があるだろう。何もないのだ。何もない
けれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。

長田弘
深呼吸の必要」所収
1984

サンタクロースのハンバーガー

玉葱をみじんに切ると、
涙がこぼれた。
挽き肉と卵に玉葱と涙をくわえ、
牛乳にひたしたパンを絞ってほぐした。
粘りがでるまでにつよく混ぜあわせる。
できた塊は三ツに分けた。
深いフライパンでじっくりと焼いた。
柔らかなパンを裂いてハンバーグをはさんだ。
これでよし。
それから火酒を一壜わすれちゃいけない。
世界はひどく寒いのだから。
今夜はどこで一休みできるだろう。
アルバータで一ど、トーキョーで一ど、
ハイファで一どは休めるだろう。
髭のニコラス老人は立ちあがった。
老人は、まだ
一どもクリスマス・ディナーを食べたことがない。
クリスマスはいつも手製のハンバーガー。
とにかく一晩で世界を廻らねばならない。
夜っぴて誰もが夢の配達を待っている。
年に一ど、とはいえきつい仕事である。
夢ってやつは、溜息が出るほど重いのだ。

長田弘
食卓一期一会
1987

視線

こっちを見てほしくて
待って 待っていたのに

やっとこっちを向いてくれたのに

なぜか スーッと
わたしだけをとばして
視線はうごいてゆく

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

隠れんぼう

 雨空を、すばらしい青空にする。角砂糖を、空から墜
ちてきた星のカケラに変える。五本の指を五本の色鉛筆
にして、風の色、日の色をすっかり描きかえる。庭にチ
ョコレートの木を植える。どんなありえないことだって、
幼いきみは、遊びでできた。そうおもうだけで、きみは
誰にでもなれた。左官屋にだって。鷹匠にだって。「ハ
ートのジャック」にだって。
 できないことができた。難しいことだって、簡単だっ
た。遊びでほんとうに難しいのは、ただ一つだ。遊びを
終わらせること。どんなにたのしくたって、遊びはほん
とうは、とても怖しいのだ。
 きみの幼友達の一人は、遊びの終わらせかたを知らな
かった。日の暮れの隠れんぼう。その子は、おおきな銀
杏の木の幹の後ろに、隠れた。それきり、二どと姿をみ
せなかった。銀杏の木の後ろには、いまでもきみの幼友
達が一人、隠れている。

長田弘
深呼吸の必要
1984

いま

もう おそい
いつも
そう 思った

いまから思うと
おそくはなかったのに

まだ 早い
いつも そう思った
そうして いつも
のりおくれた

大事なのは いまだ
やっと 気がついた
もう おそい

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

夫婦

──動物園へ行ってみない
夕食のあと お茶を飲みながら
妻が言った

何を言いだすのかと思ったら──
夕刊を読みながら 私は
黙っていた

子どもが小さかったころ 子どもを連れて
動物園へは二度行った
二度とも妻は家に残っていた

どんな思い出を 動物園に
妻はもっているのだろう
私の知らない 私に言わない──

──行ってみようか
こんどは妻が返事をしなかった
黙っていた

大木実
」所収
1981