Category archives: 1980 ─ 1989

胸の泉に

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ 
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人
    私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

塔和子
未知なる知者よ」所収
1988

部屋

私が入ってきたとき、中は真暗でした。
手をのばして探りながら歩いてきたら、お皿に(たぶんお皿に)ぶつかってしまったんです。
で、私はお皿のことを思い出しました。
お皿は丸くて(あるいはギザギザで)、冷たく(固く)、たぶん空っぽで、ぶつかった指の先から、すぐ離れました。
あのとき小さな音がしましたから。たぶん暗闇の中を、ゆっくりと辷っていったのだと思います。
それから、すぐテーブルのことを思ったんです。
テーブルは四角くて(あるいは正方形で)、灰色で(砂色をして)、私の手の下にあり、たぶんずっと以前からそこにあったのではないでしょうか。
それはザラザラなのにどこか濡れていて、どこまでも広がっているようでどこからか辷り落ちており、例のお皿がどうなったかなどということは、もう見当もつきませんでした。それから、急に、部屋が感じられました。それを考えるのは、とてもむづかしいことのようでした。
 だって部屋ほど曖昧なものって、あります?
階段のてすりや、本箱があることもあれば、どこかの隅に肖像画がかかっていることもあり、何十年も前の絵の具の間に、そっと入りこんでいる闇だってあるのです。
でも、何もない部屋っていうのも、あります。
部屋って、本当は何にもないんです。ただのいれものなんです。でも私にはただのいれものが、何故か空気のように優しく思われました。
ひょっとしたら、私はいつか、ここに来たことがあるのではないでしょうか。一度、二度、いいえ何度でも。もちろん遠い私の記憶にもけっしてないことなのですけれど。
部屋は矩形で(あるいは多角形で)、まっすぐで(曲っていて)、凹んでいるか尖っており、閉じているか開いており、そうです、この闇と同じ形、同じ深さ、私の周りにある黙った闇と同じ呼吸をしているのでした。そして私はといえば、やっぱりこの漠然とした闇と同じ呼吸をしているのに、ちがいありません。
ただ闇の中で。じっと息をつめて立止っていると、どこかでお皿が静かに止っている気配が、ふっと、するんです。

黒部節子
「まぼろし戸」所収
1986

しかられた神さま

ずっと ずっと むかしから
北海道に住んでいたアイヌの人たちは
いろりの火のそばでも 家のなかでも
川でも 野でも 森でも 狩りのときでも
いつも神さまといっしょだったって
その姿は見えないけれど
いつも神さまといっしょだったって
だから たとえばさ
夜 川の水をくむときは
まず水の神さまの名前を呼んで
神さまを起してから くんだんだって
神さまも夫婦で住んでいるから
お二人の名前を呼んだんだって
でもさ
子どもが川におぼれたりすると
ちゃんと見張っていなかったからだと
水の神さまは いくら神さまでも
人間からしかられたんだって

川崎洋
しかられた神さま」所収
1981

さくらの はなびら

えだを はなれて
ひとひら

さくらの はなびらが
じめんに たどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ
 
ひとつの ことが
さくらに とって
 
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
 
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
 
かけがえのない
ひとつの ことが

まど・みちお
くまさん」所収
1989

日々

小鳥がいて
黒猫の親子がいて
庭には犬がいて

夕方の買いものは
小鳥のための青菜と
猫のための小鯵と
犬のための肉と
それに
カレーライスを三杯もおかわりする
息子がいた
あのころの買い物籠の重かったこと!

いまは 籠も持たずに表通りに出て
パン一斤を求めて帰って来たりする

みんな時の向こうに流れ去ったのだ
パン一斤の軽さをかかえて
夕日の赤さに見とれている

高田敏子
薔薇の木」所収
1980

キツネうどんを売る男

うまいで やすいで
やすいで うまいで
うまいで あついで
あついで うまいで
エエ 100円!
ないか?
80円

男が自動販売機で買ったばかりのキツネうどんを 両
手に一つずつ持って叩き売りをやっていた

できたて あつあつ
うまいで やすいで
ないか 80円
エエ! 60円
60円やで これでもないか
買わんか おっさん

買うたばっかしのうどん
なんですぐ売る
ふしぎやろけど わけはいわん
わけはいわんが 一つだけ売る
やすいで うまいで 50円
ないか

30円まで値が下がっても 誰も買おうとしなかった

やすいで のびるで
のびるで うまいで
はやいもん勝ち
10円でどや?

買うた! しゃがれた声がかかって 黄色い顔したじい
さんが手に握りしめた10円玉を男に渡した 男とじいさ
ん 二人ならんで道端に腰をおろし キツネうどんを食
いはじめた。

家に帰り 痛む歯をおさえて考えていた なぜあの男は
キツネうどんを二つも買い 10円に値下げしてまでその
一つを売りたがっていたのだろう もしかしたら あの
男は売ることよりも 本当は誰でもいい誰かと 二人で
キツネうどんを食いたかったのじゃないだろうか

そうだとしたら──

   ×月×日 快晴
   今日もまた街角に立つ。
   ジジイ一人。10円で。七五歳くらい。
   病気のせいか、手が震えていた。
   二人でのびかかったうどんを食う。(何の話もせず)
   親知らずの痛み治らず 親殺しのような

黒瀬勝巳
「幻燈機のなかで」所収
1981

ほたる

ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
もういちど空へかえろうと
あんなにはげしく とぶのです
けれども空は
(けれども空は)
あんまり高くて とどかない

ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
水にうつった星かげを
あんなに 恋しがるのです
けれども水は
(けれども水は)
あんまり深くて もぐれない

そうしていまは
ホタルは 草の葉の涙
ホタルは 草の葉の涙

吉原幸子
「樹たち 猫たち こどもたち」所収
1986

喜び

男は
鯛の生きづくり
と 注文した。
鯛はありませんが
鰈ならあります
と 店員が答えた。
運ばれてきた皿の上で
口を天井に仰向け
自分の姿態をスカートのようにひろげてみせた魚。
ひらかれ そがれ 並べられた
白く透きとおるほどの身の置きどころ。
お酒をやると喜びます
店員が言った。
男がとっくりを手に
魚の口から酒をそそぐと
パクッとうごいた。
もう一口!
連れの女もまねた。
それから互に杯を傾け合った。
酒は半身の冷たい絶壁を
骨づたいに
熱く 熱く 落ちて行った。
――まだ生きている。

石垣りん
やさしい言葉」所収
1984

男は疲れていた
人類の鼻という鼻に。
はなばなしい希望に
うちひしがれて
肉ダンゴを
食おうか どうしようか
迷いがでている
──これからの一生は
  鼻とは関わりなく生きてみたい
妻に向かって そう言おうとして
妻のひかる鼻を見
やめる
そんなふうな夕食どきである
ところで
わたしも疲れているのだが
わたしの鼻に。

黒瀬勝巳
「幻燈機の中で」所収
1981

くちびる

あなたのくちびるを想った日々
あなたのくちびるをはげしく想った日々
その内側に
歯がずらり並んでいるなど
考えもせずに

黒瀬勝巳
「幻燈機の中で」所収
1981