Category archives: 1980 ─ 1989

砂の思想

わたしの中でいつからか姿を消してしまった
ロプノール 多分そのためだろう
東から西へ 南から北へ
せわしなく移動する鳥の群
何はさて措き彼らの後を追わねばならない

もしも僅かに緑を添える蕁麻でもあれば
地下にせせらぎを響かせているであろう伏流を
その水脈の暗い曲折を想像できる
が 灼けつく光と赤茶けた石ばかりで
鳥の糞一つ落ちていない

考えてもみよ 実体が影をともなわぬ世界だ
朝 砂から出立し 夜 砂に沈む
砂の太陽だなんて大それた──
あらゆる影は蒸発して気配も留めない
まして比喩の影などは

ただ伏流が再び噴き出るかも知れない
わたしの地表 その万が一の地点を卜し
一夜の天幕を張ること その後はもう
言わずと知れたこと 襟首のあたりから
蕁麻が萌え出る夢を見る

星野徹
落毛鈔」所収
1985

果実

ひかりは手加減もなくためらいもなく
いたるところからさんさんとはいってきた
かたくとざしている内側の未熟を
ものなれたあたたかいゆびさきが
ゆっくりと愛撫すると
われにもあらずうっとりとやわらいでいくのだった
とじこめることでかたくまもってきた非熟の生硬さが
いなやもなくひかりにおかされてみちたりていくと
果実はもののみごとに完熟して
もうなんのこころおきもなく
みずからのおいしさだけに身ゆだねるのだった

征矢泰子
花のかたち 人のかたち」所収
1989

どういうわけか、兎

どういうわけか その家には兎が飛びこんでくるのです どういうわけか 寝不足の赤い眼をして どういうわけか 入ってもいい? などと聞くのでした どういうわけか そう言われると つい家の中に入れてしまうのですが でもどういうわけか 兎は飼ってはいけないことになっているのです 国家が法律で禁止しているというわけではないのですが どういうわけか タブーなのです そこで彼はいや彼女はいやわたしなのかな その家に住んでいる人のことなのですが どういうわけか その人は兎の首をつかんで 戸棚に押しこめ錠をおろしてしまいます 決まりを守らないと 隣組のこわいおじさんがどなりこんでくるということもないし どういうわけか 警察に逮捕されたという話も聞きません その人は決まりさえなければ どういうわけか 兎と一緒に暮らしてもいいと思っているし かわいらしい兎なら どういうわけか 一緒に抱きあって寝てもいいとさえ思っているのですよ どういうわけか じっさい内緒の話なのですが あの素性の知れない十七歳の少女のうちにはどういうわけか 男をひきずりこむあやしげな焔が燃えていたのです その顔にはあどけないと言ってもいいような無垢と 研いだ爪を突き立てるような欲情が ちぐはぐに同居していて つまり 言語の学が言いますように ことばはどういうわけか 故郷をもたないでさすらう娼婦のようなものなんですね ですからどういうわけか 地下鉄上社駅の東側にある箱馬車に乗ると 窓から見えるプラタナスのみどりはあざやかですし 眼をつぶればどういうわけか 星空をゆく天馬にひかれて どんなことばとことばのあいだでも 自由に往来できますし一夜の契りを結ぶことも可能ですが 実は週に一度 わたしは箱馬車で五五〇円のカレーライスとコーヒーがセットになった軽食をとるのですが たとえばどうしても漢字でアイサイとは書けないんですね では豚の涙とかしわだらけの岩石とか書けるかと言いますと どういうわけか 美しく聡明で貞淑な奥さんと書いた戦後詩人もいるわけです どういうわけか 詩人なんて昔から飲んだくれが多くて 先に死ねばかならず アイサイに悪口を書かれますよ それが理由というわけでもないでしょうが結局 兎は夜が明ける前に 戸棚のなかに押しこまれてしまいました それというのも毛をすっかりむしりとられて痛々しい兎は どういうわけか まっすぐに立とうとせず 右へ右へと傾いていっちゃうんですね それでいてどういうわけか倒れそうになると急に反転してこんどは左に身体を折り曲げるのです まるで兎が自分の長身を利用して疑問符を描いているようでしたね その人は不安にかられて もうそれを見ていられなかったんです こうして その人の戸棚はどれも兎だらけなのですが どういうわけか 戸棚もどんどんふえてゆくんですね 閉じこめられた兎たちは あばれたり 腹が減って死にそう 助けて下さい と叫んでもよさそうですが どういうわけか どの戸棚も静かです ただしばらくすると 古い戸棚から順になにか大事なものの腐りだすようないやなにおいが流れだします どういうわけかその人は腐臭のする戸棚にかこまれて いまのいま 詩を書き終わったところです・・・・

北川透
「ポーはどこまで変れるか」所収
1988

雨中の鶏

 私の娘はまだ二歳だが、実に外出好きで、朝早くから赤いゴム長靴をはいて、階段をおりて外へ出て行く。一日外で遊んで飽きることがない。羨ましいほどである。雨が降るとレインコートを着て出かけて行く。
 日曜日。外は大雨であった。秋の始めのひさかたぶりの雨である。私は布団の中で本を読んでいた。娘は朝からさわいでいる。外へ出たくてしかたがないのである。何回も外の雨を見せるのだが納得しない。そのうちとうとう泣き出してしまった。そこで私が外へ連れて行くことになった。赤ん坊の時のおぶりひもでおんぶし、傘をさして近くの小学校へ行った。
 校庭にはだれもいなかった。家鴨の小舎を見て、鳩小舎を見、鶏小舎を見て、それから無人の教室に入って椅子に座り、黒板に貼ってある絵をひとつずつ眺めた。娘は大喜びである。「ピッピちゃーん」と大声で呼ぶ。鳥類はすべて「ピッピちゃん」である。
 ひとしきり見たので帰ろうとして、鶏小舎の方へ行くと、一、二年生らしい小学生達が五、六人で餌をやっていた。二段になっている高い小舎で、餌は刻んだキャベツとトウモロコシである。子供達はみなおっかなびっくりで扉を開け、餌箱を放り投げるようにして入れる。クチバシでつつかれるのが怖いのである。鶏は子供達を馬鹿にしたようにうまそうに餌を食べ、水を口に含んで大声でトキの声をあげた。
 それでもいちばん大柄な女の子は怖がらず、上段の小舎の扉を開けて餌箱を差し入れた。すると中から数羽の鶏がクチバシを突き出した。女の子はびっくりして手を放した。鶏はいっせいに外へ飛び出した。
 五羽の鶏が校庭に飛び出したのを見て、子供達は大さわぎになった。女の子はきゃあといって逃げ出した。「先生、々々」といって男の子まで逃げ出した。鶏達は久しぶりの外に興奮したのか一ヶ所にかたまって、水溜りをけちらせ、こぼれた餌を拾って食べ、トキの声をあげた。捕えてやろうと私が追いかけると、鶏達は争って逃げた。背中の娘は狂ったように喜んだ。
 そこへ子供達に呼ばれて女の先生がやってきた。若い女学生のような先生である。ズックの靴をはいていた。彼女は餌をついばんでいる鶏の背後からそっと近寄ると、サッと捕まえ羽をつかんで、ジタバタするのを鶏小舎の上段へ放り投げた。水溜りを避けながらひょいひょいと跳んで、次々鶏を捕まえ小舎に放りこんだ。あっという間の早業だった。鶏達も猫のようにおとなしいのがなにやらおかしかった。全部を収容すると子供達が拍手をした。先生は少し頬を染めた。
 鶏達は静かになった。先生も子供達もいなくなった。帰りがけ私は背中の娘に聞いた。「ピッピちゃんどうした?」
「ピッピちゃんピョンしてた。センセイ、ピッピちゃんをつかまえた」
 娘は大声で答えた。

井川博年
胸の写真」所収
1980

老いよりの眺め

両眼は閉じたまま
痩せ衰えた手は
何かたぐり寄せるように
虚空をまさぐっている
そして何がおかしいのか
低く声を出して笑った
老人は今日も新しい物語を作っている
孫の二人もある息子が
幼い時の姿で一散に駆けてくる
──そらそっちへ行ったら川に落ちるよ
──小鳥が逃げた・・・・
──あなたさまは、どなたさまで
 と、嫁である家内に云っている
老人はもうこの世に眼を閉じてしまった
耳はとうに聴えなくなってしまった
それで遠い記憶がとぎれとぎれにかけめぐる
遠い村の人たちが見える
高校野球で優勝したピッチャーの健ちゃんが見える
学生相撲が好きだった老人に
贔屓の取組が見える
障子に秋の陽ざしが明るくさし込む部屋に寝たきりの老人は
誰にも分らない幻覚に呼び醒まされ
軽くなってしまった夢を両手で大事に掬い上げ
老いよりの眺めを今日も見ている

上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982

動物園の珍しい動物

セネガルの動物園に珍しい動物がきた
「人嫌い」と貼札が出た
背中を見せて
その動物は椅子にかけていた
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
夜になって動物園の客が帰ると
「人嫌い」は内から鍵をはずし
ソッと家へ帰って行った
朝は客の来る前に来て
内から鍵をかけた
「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
雨の日はコーモリ傘をもってきた。

天野忠
「動物園の珍しい動物」所収
1989

青えんぴつ

買ったばかりの
においさえも 青い
青えんぴつの つるつる ぴかぴか

てのひらで なでまわし
目をつぶって ほおずりし
空にかざし していると
まちきれないように
けずりはじめるのです
なにかが そよそよ そよそよと
ほそく ほそく
すずしく すずしく
あたしのからだの ほうまでも

ああ もう あたしは
青い海のなみを
すいすいと ぬってすすむ
ぎんのさかなの サヨリのよう

まど・みちお
まど・みちお詩集」所収
1989

乳房

なにをかくすことがあろう
鬼たちのふるさとは此処だった
母たちのやわらかくまろい乳房のうしろ
ひそかにふかくかくされた冥い迷妄の陥穽
なにを愧じることがあろう
母になることは鬼になること
母たちが母たちであるかぎり
鬼たちはいつもそこ 母たちの乳房のうしろ
うまれては死に死んではうまれて
ほそぼそとしつように
おもいわずらいの瘴気吐きつづけ
はりめぐらしたあやめもしらぬ闇のなか
母たちを犯しつづけて棲んでいた
いまようやく
見も心も独り立っていった子らが
わたしの掌のなかにのこしていった
休火山のようにしずかな乳房
ああ ついきのうまで 母だったのかわたしも

征矢泰子
すこしゆっくり」所収
1984

性的な夢

 北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、性的な夢を、みなくなる。長いあいだ、ぼくは、そのことに気付かなかったが、ぼくの瞳孔を、覗きこんでいた医師が、ある日、その事実を、ぼくに、告げた。北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの瞳の虹彩は、まるで、死界に咲きひらく花のように、精いっぱいに、ひらかれるという。だから、ぼくの内部には、おびただしい量のひかりが入りこみ、乱反射して、いかなる夢も、その像を、結ぶことが、できないというのだ。
 父の話しでは、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの若い母は、死んだという。母のしろく、美しい乳房を、癌が、犯していて、まだ幼なかったぼくは、しきりに、すでに抉りとられた、母の乳房の幻影を、まさぐっていたと、いうのだ。それが、ぼくが性夢をみなくなる原因であるということが、わかったとき、ぼくは、ぼくの内部にあふれる、白いひかりのなかで、涙を流した。
 だから、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、生まれたばかりの、ぼくの手が、まさぐっていた、癌の感触と、母の、しろく美しい乳房の幻影を、無意識のうちに、想い浮かべ、そのとき、ぼくの瞳の虹彩は、まるで死界に咲きひらく花のように、精いっぱいにひらかれて、ぼくは、性的な夢を、みなくなるのだ。

高岡修
水の木」所収
1987

日本のさくら

もういちど はじめから
やり直そう
そう思った
さくらの花を仰ぎながら

ボロの復員服を着て
ボロ靴をはき
南方帰りのぼくに
日本の春は寒かった
さくらの花だけが鮮やかだった

家もなく
金もないが
いのちがある
もういちど そう思った
あのときぼくは三十だった

あの年のさくらのように
さくらはことしも美しい
ゆめのように
希望のように
梢に高く咲いている

大木実
「蝉」所収
1981