Category archives: 1980 ─ 1989

性的な夢

 北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、性的な夢を、みなくなる。長いあいだ、ぼくは、そのことに気付かなかったが、ぼくの瞳孔を、覗きこんでいた医師が、ある日、その事実を、ぼくに、告げた。北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの瞳の虹彩は、まるで、死界に咲きひらく花のように、精いっぱいに、ひらかれるという。だから、ぼくの内部には、おびただしい量のひかりが入りこみ、乱反射して、いかなる夢も、その像を、結ぶことが、できないというのだ。
 父の話しでは、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの若い母は、死んだという。母のしろく、美しい乳房を、癌が、犯していて、まだ幼なかったぼくは、しきりに、すでに抉りとられた、母の乳房の幻影を、まさぐっていたと、いうのだ。それが、ぼくが性夢をみなくなる原因であるということが、わかったとき、ぼくは、ぼくの内部にあふれる、白いひかりのなかで、涙を流した。
 だから、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、生まれたばかりの、ぼくの手が、まさぐっていた、癌の感触と、母の、しろく美しい乳房の幻影を、無意識のうちに、想い浮かべ、そのとき、ぼくの瞳の虹彩は、まるで死界に咲きひらく花のように、精いっぱいにひらかれて、ぼくは、性的な夢を、みなくなるのだ。

高岡修
水の木」所収
1987

日本のさくら

もういちど はじめから
やり直そう
そう思った
さくらの花を仰ぎながら

ボロの復員服を着て
ボロ靴をはき
南方帰りのぼくに
日本の春は寒かった
さくらの花だけが鮮やかだった

家もなく
金もないが
いのちがある
もういちど そう思った
あのときぼくは三十だった

あの年のさくらのように
さくらはことしも美しい
ゆめのように
希望のように
梢に高く咲いている

大木実
「蝉」所収
1981

長いあいだ
男の家に
海に棲まない魚が住みついていた
帰宅どき
男は
軒先から
家の奥ふかく太い網を打つ

潮の匂いを抜きとっても
毎夜
白い腹をみせ
激しく網に挑む魚よ
いつかは 網を食いちぎり
台所の壁にそって這いのぼり
天井を伝って
男を追っていくのか

今夜の夢はきりきりと疼く
網の重みに崩れかかった窓から
明りが洩れ
魚の鱗が光を浴びて
炎をあげている

身仕度をととのえた人を
夜の町に手放したあと
私は深い沼の底に沈んでいった

氷見敦子
「石垣のある風景」所収
1980

しずかな夫婦

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
──ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
──ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった──
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
──久しぶりに街へ出て と私は云った。
  ニシンソバでも喰ってこようか。
──ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

天野忠
「夫婦の肖像」所収
1983

鳥が

鳥が
空を見上げるように
花が つぼみを ほどく

鳥が
羽ばたこうとするように
花が 葉をしげらせる

鳥が
飛びたつように
花が 咲きそめる

鳥が
歌うように
花が におう

そして
人は ことばで
鳥のように飛び
花のように咲く

川崎洋
食物小屋」所収
1980

遊園地

化物屋敷から子供たちの叫び声が聞こえる
海賊船が子供たちを乗せて
左右に大きく揺さ振りついに直立する
高い空の中で全速力のコースターが連続二回宙返り
子供たちが今にもバラバラ落ちて来そうだ
遊園地の子供たちよ
力一杯声を出して恐がるがいい
やがて大人になると
眼に見えない妖怪が何処からか現われて
声が出ないほどに立ち竦んでしまうのだから

上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982

胸の泉に

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ 
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人
    私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

塔和子
未知なる知者よ」所収
1988

部屋

私が入ってきたとき、中は真暗でした。
手をのばして探りながら歩いてきたら、お皿に(たぶんお皿に)ぶつかってしまったんです。
で、私はお皿のことを思い出しました。
お皿は丸くて(あるいはギザギザで)、冷たく(固く)、たぶん空っぽで、ぶつかった指の先から、すぐ離れました。
あのとき小さな音がしましたから。たぶん暗闇の中を、ゆっくりと辷っていったのだと思います。
それから、すぐテーブルのことを思ったんです。
テーブルは四角くて(あるいは正方形で)、灰色で(砂色をして)、私の手の下にあり、たぶんずっと以前からそこにあったのではないでしょうか。
それはザラザラなのにどこか濡れていて、どこまでも広がっているようでどこからか辷り落ちており、例のお皿がどうなったかなどということは、もう見当もつきませんでした。それから、急に、部屋が感じられました。それを考えるのは、とてもむづかしいことのようでした。
 だって部屋ほど曖昧なものって、あります?
階段のてすりや、本箱があることもあれば、どこかの隅に肖像画がかかっていることもあり、何十年も前の絵の具の間に、そっと入りこんでいる闇だってあるのです。
でも、何もない部屋っていうのも、あります。
部屋って、本当は何にもないんです。ただのいれものなんです。でも私にはただのいれものが、何故か空気のように優しく思われました。
ひょっとしたら、私はいつか、ここに来たことがあるのではないでしょうか。一度、二度、いいえ何度でも。もちろん遠い私の記憶にもけっしてないことなのですけれど。
部屋は矩形で(あるいは多角形で)、まっすぐで(曲っていて)、凹んでいるか尖っており、閉じているか開いており、そうです、この闇と同じ形、同じ深さ、私の周りにある黙った闇と同じ呼吸をしているのでした。そして私はといえば、やっぱりこの漠然とした闇と同じ呼吸をしているのに、ちがいありません。
ただ闇の中で。じっと息をつめて立止っていると、どこかでお皿が静かに止っている気配が、ふっと、するんです。

黒部節子
「まぼろし戸」所収
1986

しかられた神さま

ずっと ずっと むかしから
北海道に住んでいたアイヌの人たちは
いろりの火のそばでも 家のなかでも
川でも 野でも 森でも 狩りのときでも
いつも神さまといっしょだったって
その姿は見えないけれど
いつも神さまといっしょだったって
だから たとえばさ
夜 川の水をくむときは
まず水の神さまの名前を呼んで
神さまを起してから くんだんだって
神さまも夫婦で住んでいるから
お二人の名前を呼んだんだって
でもさ
子どもが川におぼれたりすると
ちゃんと見張っていなかったからだと
水の神さまは いくら神さまでも
人間からしかられたんだって

川崎洋
しかられた神さま」所収
1981

さくらの はなびら

えだを はなれて
ひとひら

さくらの はなびらが
じめんに たどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ
 
ひとつの ことが
さくらに とって
 
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
 
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
 
かけがえのない
ひとつの ことが

まど・みちお
くまさん」所収
1989