宿醉の朝に

泥酔の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛々しいところに噛みついてくる。夜に於いての恥ずかしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髄まで紫色に変色する。げに宿酔の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌々しい悔恨を繰返さないやうに、断じて私自身を警戒するであらう。と彼らは腹立たしく決心する。けれどもその日の夕刻が来て、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤独の寂しさが、彼らを場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、酔った幸福を眺めさせる。思へそこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。そこでこそ彼は真に生甲斐のある、ただそればかりが真理であるところの、唯一の新しい生活を知ったと感ずるであらう。しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦々しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な飲んだくれの生活ではない。それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。ああ泥酔と悔恨と、悔恨と泥酔と。いかに悩ましき人生の雨景を蹌踉することよ。

 

萩原朔太郎

宿命」所収

1939

モデル女に

あゝ美しきかな

汝の全體

 

先づ吾を戰慄せしむるは

汝の胸上なる二つの肉感的なる球なり

美しくとがりたる乳房なり

汝の腕なり

そは鍾乳石にも比すべきかまた

汝の首なりまた

汝の長く肥りたる兩足の交錯なり

そこにうねれる凸凹の美しさよ

あでやかなる肉はまた汝の□□(1)に浮く

そこに紫の□(2)の威あるかな

 

あゝ美しきかな

女の裸體

 

われはむしろ「□□□」(3)の名を受けて世界中の□□□(4)をのぞきまはらん

    ピカソ展覽會のカタログを見て

    ピカソの戀をおぼえそめけり

ムツシユーピカソ――

ピカソさん

あなたの畫に僕はすつかり

崇拜を捧げます

 

私もあなたの如く

立派に描きたう思つて居る

日本のゑかきの

新兵です

 

□は当時の検閲による伏字。それぞれ下記の言葉が入っていたと推定される

注 1)谷間、2)毛、3)無頼漢、4)モデル

 

村山槐多

1919

贈りもの(古いアルバムからの)

    草原の斜めに傾いた風が

    まばらな樹々と石と岩とところどころの

    土のうえに夕陽をおいてはどけてゆく

    二人をかこんでいる

    風が

    東から吹いてくる少しばかり潮と鳥の

    匂いをさせながら

    二人の手と手に見えない花輪をかけてゆく

            一九七八年一月二十八日

 

古い日付をもつ紙片が

風にめくられて(頁がとぶように)

失われる

 

朝、上着の水滴をはらいながら

雨あがりのひとけない坂道をのぼってゆく

 

ツツジの緑の小径をぬけると

黒い塀の一軒家があって

おはようございます

 

ガラスペンをください

竹の軸、さもなければ

木の軸があります

まっすぐのペン尖、さもなければ

蕪菁のペン尖があります

(ぷっくりとふくらんだ蕪菁のペン尖)

失われた紙片のかわりにゆっくりと文字を

書いてみたいのです

 

さんと出会ったのも雨あがりだった(だろうか)

洋書の紙とインクがすこし黴くさく匂っていた

ほそい鉛筆のようだったさん

それからしばらくして私たちは再会した

渡仏するまでの蜜の様な

濃密な

 

そして私は眠っていたようだ

ジンチョウゲの

悩ましいかおり、さまざまな草の

いきれ

でなしだから

脚や腕をおおきくふって歩いてゆく

風がふくたびに

水滴まみれになる

ねえ、さん

いつからいっしょにいるんだい

さみしい蛇崩の坂道

 

蕪菁のペン尖をつけた木軸に光が射しこんで

ダヴィンチが壁の剥げた漆喰に貴婦人を透視したように

その杢のひとつひとつの屈折に

私の夢のかけらがあらわれては消えてゆく

泡杢のつがって泳ぐウヲの黄金

鳥瞰図法の

アヲ

孔雀杢の微風と愛撫にたふたふ揺蕩ふ黒髪

虎杢の(といっても焔のようにすこしずつ乱れる)

うしろから抱く臀

 

玉杢の

瑠璃も玻璃もいのちの泡も

沸騰する

射干

 

そして私は眠っていたようだ

鬢からいいかおりのするお嬢さん、こちらは黄楊、さもなければ

櫻、さもなければ楓、欅、黒柿

やわらかい木は持つとなじみがいいですし

かたい木はつかえばつかうほどあじわいがでます

アブラ紙につつまれた

慎重にえらんだ木軸とガラスの蕪菁のかすかに蒼い

ペン尖をだいじに握って

水滴をはらい

またはらいながら

私は帰り道をいそいだのだ、いつの日にか

私はゆっくりと文字を書くだろう

古い紙片のように

その文字もまた

風にめくられて(頁がとぶように)

失われる

 

ねえ、さん、雨はもうとうにあがったね

緑は

あざやかだけれど、スズメやヒバリも鳴きはじめているけれど

(まがまがしい蛇崩のまがり道)

どうしてもこの空洞から抜けでることができないよ

 

死にたくなるような朝

まばゆいばかりの

 

朝吹亮二

まばゆいばかりの」所収

2008

紙ヒコーキ

おまえのいなくなった部屋に

紙ヒコーキがひとつ落ちている

ぼくが催しでもらってきたもの

仕事が一段落したら

公園で飛ばしてやろうと思っていたが

その前に

おまえの方が空高く

いってしまった

 

休日のよく晴れた午後

外に出て

ひとり公園に行く

楽しげに親子連れが遊んでいる

ボールを蹴ったり

バドミントンをしたり

砂遊びをしたり・・・・・・・

 

ぼくは

持ってこなかった紙ヒコーキを手に持って

思いきり

空に向かって飛ばす

それは高く軌跡を描いて飛んでいく

おまえはよろこぶ

ぼくのとなりで

そうしていつまでも

ふたりでその跡を追っている

 

高階杞一

早く家へ帰りたい」所収

1994

無限に

一人が淋しい、

いやだ。

三人行くと、

二人の談話はよくあふが

やはり一人が淋しい、

いやだ。

そんなら五人はどうだ、

手を握る二組ができて

一人が残される。

その一人が淋しい、

無限に。───

七人、九人、十一人と、

奇数は無限にさびしい一人を生む

母の影だ。

一人が淋しい、

いやだ。

 

山村暮鳥

山村暮鳥全集「拾遺詩篇」所収

1924

The Lighted Window

 He said:

“In the winter dusk

When the pavements were gleaming with rain,

I walked thru a dingy street

Hurried, harassed,

Thinking of all my problems that never are solved.

Suddenly out of the mist, a flaring gas-jet

Shone from a huddled shop.

I saw thru the bleary window

A mass of playthings:

False-faces hung on strings,

Valentines, paper and tinsel,

Tops of scarlet and green,

Candy, marbles, jacks—

A confusion of color

Pathetically gaudy and cheap.

All of my boyhood

Rushed back.

Once more these things were treasures

Wildly desired.

With covetous eyes I looked again at the marbles,

The precious agates, the pee-wees, the chinies—

Then I passed on.

 

In the winter dusk,

The pavements were gleaming with rain;

There in the lighted window

I left my boyhood.”

 

Sara Teasdale

From “Rivers to the Sea”

1915

愛の詩集に

室生君。

僕は今君の詩集を開いて、

あの頁の中に浮び上つた

薄暮の市街を眺めてゐる。

どんな惱ましい風景が其處にあつたか

僕はその市街の空氣が

實際僕の額の上にこびりつくやうな心もちがした。

しかしふと眼をあげると、

市街は、──家々は、川は、人間は、

みな薄暗く煙つてゐるが、

空には一すぢぼんやりと物凄い虹が立つてゐる。

僕は悲しいのだか嬉しいのだか自分にもよくわからなかつた。

室生君。

孤獨な君の魂はあの不思議な虹の上にある!

 

芥川龍之介

「愛の詩集」所収

1918

扣鈕

南山の たたかひの日に

袖口の こがねのぼたん

ひとつおとしつ

その扣鈕惜し

 

べるりんの 都大路の

ぱつさあじゆ 電燈あをき

店にて買ひぬ

はたとせまへに

 

えぽれつと かがやきし友

こがね髪 ゆらぎし少女

はや老いにけん

死にもやしけん

 

はたとせの 身のうきしづみ

よろこびも かなしびも知る

袖のぼたんよ

かたはとなりぬ

 

ますらをの 玉と碎けし

ももちたり それも惜しけど

こも惜し扣鈕

身に添ふ扣鈕

 

森鴎外

うた日記」所収

1907

はつ鮎

藁科川に初鮎をつるかたがた

もしや脚絆わらぢの釣り支度で

竿をもたない年寄りがいつたら

お邪魔でもすこし席をあけて

釣りを見せてやつてください

背の高い半身不随の

もののいへない年寄です

彼はわれとわが心から

淋しく 苦しく 不仕合せで

釣りのほかには楽しみがなく

これといつて慰めもありません

老衰のうへに病気もてつだつて

重たい鮎竿がもてないため

さうしてひと様の釣りを見てあるきます

そんな老人にお逢ひでしたら

私の伝言を願ひます

私はここにきてゐると

うきや糸まきおもりなど

かたみの品もあるから

ゆつくり寄つて休むやうにと

どうぞ皆さんお願ひします

彼は私の亡くなった兄です

 

中勘助

「藁科」所収

1951

わかれる昼に

ゆさぶれ 青い梢を 

もぎとれ 青い木の実を 

ひとよ 昼はとほく澄みわたるので 

私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ 

 

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる 

追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで 

単調な 浮雲と風のもつれあひも 

きのふの私のうたつてゐたままに 

 

弱い心を 投げあげろ 

噛みすてた青くさい核を放るやうに 

ゆさぶれ ゆさぶれ 

 

ひとよ 

いろいろなものがやさしく見いるので 

唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ 

 

立原道造

萱草に寄す」所収

1937