若菜集(序文より)

こゝろなきうたのしらべは

ひとふさのぶだうのごとし

なさけあるてにもつまれて

あたゝかきさけとなるらむ

 

ぶだうだなふかくかゝれる

むらさきのそれにあらねど

こゝろあるひとのなさけに

かげにおくふさのみつよつ

 

そはうたのわかきゆゑなり

あぢはひもいろもあさくて

おほかたはかみてすつべき

うたゝねのゆめのそらごと

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の

人なきときに夜いでて

秋の葡萄の樹の影に

しのびてぬすむつゆのふさ

 

恋は狐にあらねども

君は葡萄にあらねども

人しれずこそ忍びいで

君をぬすめる吾心

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

一葉は花は露ありて

風の来て弾く琴の音に

青き葡萄は紫の

自然の酒とかはりけり

 

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

おくれさきだつ秋草も

みな夕霜のおきどころ

笑ひの酒を悲みの

盃にこそつぐべけれ

 

秋は来ぬ

  秋は来ぬ

くさきも紅葉するものを

たれかは秋に酔はざらめ

智恵あり顔のさみしさに

君笛を吹けわれはうたはむ

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

髪を洗へば

髪を洗へば紫の

小草のまへに色みえて

足をあぐれば花鳥の

われに随したがふ風情あり

 

目にながむれば彩雲の

まきてはひらく絵巻物

手にとる酒は美酒の

若き愁をたゝふめり

 

耳をたつれば歌神の

きたりて玉の簫を吹き

口をひらけばうたびとの

一ふしわれはこひうたふ

 

あゝかくまでにあやしくも

熱きこゝろのわれなれど

われをし君のこひしたふ

その涙にはおよばじな

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

別離

 人妻をしたへる男の山に登り其

女の家を望み見てうたへるうた

 

誰かとゞめん旅人の

あすは雲間に隠るゝを

誰か聞くらん旅人の

あすは別れと告げましを

 

清き恋とや片し貝

われのみものを思ふより

恋はあふれて濁るとも

君に涙をかけましを

 

人妻恋ふる悲しさを

君がなさけに知りもせば

せめてはわれを罪人と

呼びたまふこそうれしけれ

 

あやめもしらぬ憂しや身は

くるしきこひの牢獄より

罪の鞭責をのがれいで

こひて死なんと思ふなり

 

誰かは花をたづねざる

誰かは色彩に迷はざる

誰かは前にさける見て

花を摘まんと思はざる

 

恋の花にも戯るゝ

嫉妬の蝶の身ぞつらき

二つの羽もをれ/\て

翼の色はあせにけり

 

人の命を春の夜の

夢といふこそうれしけれ

夢よりもいや/\深き

われに思ひのあるものを

 

梅の花さくころほひは

蓮さかばやと思ひわび

蓮の花さくころほひは

萩さかばやと思ふかな

 

待つまも早く秋は来て

わが踏む道に萩さけど

濁りて待てる吾恋は

清き怨となりにけり

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

詩集はどこに売っているのか

鈴木志郎康さんの詩ではないですが、本当に詩集って売っていないです。
町の小さな書店はもちろん、下手をするとかなり大型の書店であっても詩集を置いていないことが多いです。
そこで、今回は私が調査した結果をここに公表し、実際に詩集を購入する方々のためにご参考にしていただきたいと思います。私が実際に足を運べる範囲でしかないので、不完全な部分もあると思います。もし皆さんが情報をお持ちでしたら下にあるコメント欄で是非シェアしてくださいね。

それでは紹介していきましょう!(赤文字をクリックするとリンク先のサイトが見られますよ!)

 

都内の書店ではこちらですね。

八重洲ブックセンター

六階とやや行きにくいフロアですが、詩集が豊富に揃っています。都内ではジュンク堂書店と並んで一番の品揃えではないでしょうか?日本の詩集、海外の詩集、詩論と、それぞれに一つの棚が割り当てられています。また現代詩手帖に代表される雑誌、同人誌も置いています。

ジュンク堂書店池袋店

上記八重洲ブックセンターとほぼ同じレベルの品揃えです。落ち着いた雰囲気なのでゆっくり詩集を選べると思います。

東京堂書店

意外ですが、神保町の書店で、上記八重洲ブックセンター、ジュンク堂よりも、詩集の品揃えが多いところはありませんでした。その中でも比較的、東京堂書店は多いほうでしたね。

三省堂書店

東京堂書店と並ぶ神保町を代表する大型店ですね。こちらも多いほうです。

他に青山ブックセンター紀伊国屋書店新宿本店も充実しています。
現代詩手帖の2016年10月号に紀伊国屋書店新宿本店で文芸棚を担当している梅﨑実奈さんと穂村弘さんの対談が載っています。棚作りに対する情熱が語られていて読み応えがあります。

 

リアルの本屋での限られたスペースで詩集を置けるのはやはり一部の大型書店に限られるのでしょうか?
どこかに詩集の専門店とかはないのですかね?

リアルの本屋以外では、言わずと知れたアマゾンがありますね。当サイトも出典詩集の名前にアマゾンのリンクを付けています。気になった詩があれば、購入を検討されてはいかがでしょう?

詩集は刷り数が少ないせいか、アマゾンでも品切れになっていることが多いです。場合によってはプレミアがついて定価より高くなっていることもあります。

その場合は出版社のサイトで直接注文することもできます。

まずは詩と言えばこの出版社、思潮社です。
このサイトの在庫一覧でチェックした上で、注文フォームでどうぞ。

そして書肆山田
こちらは在庫の検索はできますが、注文は書店経由となるようです。

詩の出版社ミッドナイトプレス
サイト内に出版目録があります。一部は直接注文できるものもあるようです。サイト内にはエッセイや様々な詩を紹介するコーナーがあり、見ているだけで楽しいですよ!

最後に詩集を扱っている古書店を紹介します。

まずは何と言っても石神井書林さん。いぜんこのサイトでも紹介させていただきました。
店舗が無く、目録販売のみの書店です。
上記のサイトに目録発送依頼の方法が載っています。切手を買って郵便で送ってくださいね。(メールアドレスも載っていますが、以前送っても反応が無かったので、たぶん見ていないのだと思います・・・・)
レア物の本ばかりなので、値段もはりますが、目録を読んでいるだけで充分楽しいと思いますよ。目録の値段は200円です!

それから書肆田髙さん。
こちらはネットでの購入も可能です。

私が集めた情報はこのくらいですが、もし皆さんも素敵な書店をご存知でしたら紹介してくださいね!

 

一点追加です。

詩集の販売ではないですが、多くの詩集を集めた資料館を富沢智さんが運営してらっしゃいます。
榛名まほろば資料館現代詩資料館で蔵書は二万五千冊以上あるそうです。場所は群馬になります。

さらに一点追加です。
大阪に歌集・句集・詩集専門の古書店があるようです。
葉ね文庫
Webを見る限りはなかなか趣のある本屋のようです。一度行って見たい!
TwitterFacebookもあるようですよ。関西在住の方は足を運んでみては?

さらに追加です。
まずは出版社。北村太郎の詩から名前を取った港の人
活版印刷による美しい装丁の詩集を発行しています。(もちろん北村太郎も!)上記のページから直接注文もできるようです。

そして、書肆田髙さんにTwitterでご紹介いただいた渋谷の中村書店こちらの記事を読む限り、歴史あるすごい書店のようです。他に、中野ブロードウェイにある古書うつつ、三鷹の水中書店、池袋の古書往来座、荻窪のささま書店を教えていただきました。情報ありがとうございます!

 

十五の少年

十五の少年

東京で靴磨きをしてゐた

うまくゆかないのであらう

職を求めて大阪へ行つた

大阪にも職はなかつた

東京へ戻るため汽車に乗つた

その汽車の中で少年は服毒した

苦しみだしたので助けられた

遺書があつた

遺書にはかう書いてあつた

もうこれ以上は悪いことをしなければ

生きてゆかれません

 

高橋元吉

「草裡」所収

1944

みゝずのうた

   この夏行脚してめぐりありけるとき、或朝ふと

   おもしろき草花の咲けるところに出でぬ。花を

   眺むるに餘念なき時、わが眼に入れるものあり、

   これ他の風流漢ならずして一蚯蚓なり、おかし

   きことありければ記しとめぬ。

 

わらじのひものゆるくなりぬ、

まだあさまだき日も高からかに、

ゆうべの夢のまださめやらで、

いそがしきかな吾が心、さても雲水の

身には恥かし夢の跡。

 

つぶやきながら結び果てゝ立上り、

歩むとすれば、いぶかしきかな、

われを留むる、今を盛りの草の花、

わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、

この花だにあらばうちもえ死なむ。

 

そこ這ふは誰ぞ、わが花の下を、

答へはあらず、はひまわる、

わが花盗む心なりや、おのれくせもの、

思はずこぶしを打ち擧げて

うたんとすれば、「やよしばし。

 

「おのれ地下に棲みなれて

花のあぢ知るものならず、

今朝わが家を立出でゝより、

あさひのあつさに照らされて、

今唯だ歸らん家を求むるのみ。

 

「おのれは生れながらにめしひたり、

いづこをば家と定むるよしもなし。

朝出る家は夕べかへる家ならず、

花の下にもいばらの下にも

わが身はえらまず宿るなり。

 

「おのれ生れながらに鼻あらず、

人のむさしといふところをおのれは知らず、

人のちりあくた捨つるところに

われは極樂の露を吸ふ、

こゝより樂しきところふらず。

 

「きのふあるを知らず

あすあるをあげつらはず、

夜こそ物は樂しけれ、

草の根に宿借りて

歌とは知らず歌うたふ。」

 

やよやよみゝず説くことを止めて

おのがほとりに仇あるを見よ。

智慧者のほまれ世に高き

蟻こそ來たれ、近づきけれ、

心せよ、いましが家にゆるぎ行きぬ。

 

「君よわが身は仇を見ず、

さはいへあつさの堪へがたきに、

いざかへんなん、わが家に、

そこには仇も來らまじ、安らかに、

またひとねむり貪らん。」

 

そのこといまだ終らぬに、

かしこき仇は早や背に上れり、

こゝを先途と飛び躍る、

いきほひ猛し、あな見事、

仇は土にぞうちつけらる。

 

あな笑止や小兵者、

今は心も強しいざまからむ。

うちまはる花の下、

惜しやいづこも土かたし、

入るべき穴のなきをいかん。

 

またもや仇の來らぬうちと、

心せくさましほらしや、

かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、

ゆきてはかへり、かへりては行く、

まだ歸るべき宿はなし。

 

やがて痍もおちつきし

敵はふたゝびまとひつく。

こゝぞと身を振り跳ねをどれば、

もろくも再びはね落され、

こなたを向きて後退さる。

 

二つ三つ四ついつしかに、敵の數の、

やうやく多くなりけらし、

こなたは未だ家あらず、

敵の陣は落ちなく布きて

こたびこそはと勇むつはもの。

 

疲れやしけむ立留まり、

こゝをいづこと打ち案ず。

いまを機會ぞ、かゝれと敵は

むらがり寄るをあはれ悟らず、

たちまち背には二つ三つ。

 

振り拂ひて行かんとすれば、

またも寄せ來る新手のつはもの、

蹈み止りて戦はんとすれば

寄手は雲霞のごとく集りて、

幾度跳ねても拂ひつくせず。

 

あさひの高くなるまゝに、

つちのかわきはいやまして、

のどをうるほす露あらず、

悲しやはらばふ身にしあれば

あつさこよのふ堪へがたし。

 

受けゝる手きずのいたみも

たゝかふごとになやみを増しぬ。

今は拂ふに由もなし、

爲すまゝにせよ、させて見む、

小兵奴らがわが背にむらがり登れかし。

 

得たりと敵は馳せ登り、

たちまちに背を蓋ふほど、

くるしや許せと叫ぶとすれど、

聲なき身をばいかにせむ、

せむ術なくてたをれしまゝ。

 

おどろきあきれて手を差し伸れば

パッと散り行く百千の蟻。

はや事果しかあはれなる、

先に聞し物語に心奪はれて、

救得させず死なしけり。

 

ねむごろに土かきあげ、

塵にかへれとほふむりぬ。

うらむなよ、凡そ生とし生けるもの

いづれか塵にかへらざらん、

高きも卑きもこれを免れじ。

 

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、

前にも増せる花の色香。

汝もいつしか散らざらむ、

散るときに思ひ合せよこの世には

いづれ絶えせぬ命ならめや。

 

北村透谷

1894

風と語る言葉

いとけなき少年の日より

私は常に魂のありかを風に求めてゐた

空にそよぐ葉つぱから、初めて人間の智慧を拾うてから

私は風と話をする心をもつた

今、私は母と散歩に出たある夕暮れを思ひ出す

道のほとりに風に散った木の葉より

秘められた人間の悲哀を拾うたことを思ひ出す

その木の葉を掌にとつて

「風はどこからも生れやしない

風は土に萌え出た人間の愛葉脈さみしい草の愛木の葉のような心に生れて

どこにも住家なくまづしい灰色の寝台をそこここにおくきりなのだ」

さう呟いた憂欝な日から私は風と話をした

 

何時であつたか

「生れたのは嘘だ、信ずるのも嘘だ、さういふ気がします」

ひとり私が祈禱の夜だった、雨と太陽に、日に焼け痩せた顔を見せて、言つたことがあるそれも忘れた日であつた

「未だお考へはつきませんか」と

庭の椅子の本のペーヂに面ふせてゐたとき

風は樫の葉の上から、私の首に手をかけて言つた

「否」私はさう言つて、また本を読んだ

結局本はさみしさの泉で

さういふ風の話のみが、私を生かして来た

 

私がいつも黙つてゐると

風はさみしく其処に坐つてゐるのを見る

夕暮れ首をすぼめて

高い空の方から、小鳥や雲とたはむれる姿とも思へず

帰つてゆく風は、窓辺に来て沈んでゐる

「ご飯は?」とその寒げな姿に言ふ

「腹が空いても菜つ葉のやうなさみしい空気きりなんです」

「草の根のやうなものを嚙み水のやうに下るのも我慢するのです」

「痩せましたねお貰ひさん!あたたかにしておいでお貰ひさん」

さうも言はれさうだ

夕暮れ門口に立つた、思ひやり深い家婦の瞳に

 

痩せた魂は何処まで吹かれてゆくのだらう

風もそれは知らないと言ふ

生れればもう吹かれるそれだけが真実だと言ふ咽喉も痛い悲しい思ひを呑み下して血とするきりだといふ

愛は悲しみで木の葉が真実を知つてゐるきりだといふ

立ち上る煙や木の葉が美しかつた朝は

あなたのお祈りをしばし自然の小さい者にかけて下さい

私はどつかでよろこびますと言ふ

風はさう言つて一層さびしい顔をくもらせる

おお私は人間の世のことは風にたづねまい

風は木の葉に自分は窓に共に語らう

 

春もま近いきさらぎとなつた

風よ野に行かう草原に日の照る所に

せめて君や草や私達三人してお互いにしんみりと話し慰め合ふ

今日はあたたかい土曜の午後だ

春あさい丘にまろくすわつて話でもきかしておくれ

草木芽ぐむ春を小鳥さへづる春を見も知らぬ処女の胸に思ひわく春を

たくさんの慰めを詩として私に与へておくれ

 

萩原恭次郎

1919

苦しい唄

隣人とか

肉親とか

恋人とか

それが何であろう――

 

生活の中で食うと言う事が満足でなかったら

描いた愛らしい花はしぼんでしまう

快活に働きたいものだと思っても

悪口雑言の中に

私はいじらしい程小さくしゃがんでいる。

両手を高くさしあげてもみるが

こんなにも可愛い女を裏切って行く人間ばかりなのか!

いつまでも人形を抱いて沈黙っている私ではない。

 

お腹がすいても

職がなくっても

ウヲオ! と叫んではならないんですよ

幸福な方が眉をおひそめになる。

 

血をふいて悶死したって

ビクともする大地ではないんです

後から後から

彼等は健康な砲丸を用意している。

陳列箱に

ふかしたてのパンがあるが

私の知らない世間は何とまあ

ピアノのように軽やかに美しいのでしょう。

 

そこで始めて

神様コンチクショウと吐鳴りたくなります。

 

林芙美子

蒼馬を見たり」所収

1929