最も鈍い者が

言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日

人を教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が
それぞれの分野で生涯を掛けるのではあるまいか

言葉の道に行き昏れた者が
己にかかわりのない人々にまで
言いがかりをつける寒い日

吉野弘
「自然渋滞」所収
1989

また

 私はトゲトゲの多い小さい草の実だから、それで人にとりつこうとするほかなかったのだ。
 その人もやっぱりさびしい旅行者だったので、草の実をはこんだけれどおしまいには私を落した。
 トゲが折れ摩滅した時、はなれて落ちるのは草の実として当然のことにちがいない、それで事は成就するのだから──
 だから悲しみというものは人間に必要なことに属するのだ。
 かんじんなことは何が成就したかを知ることだ。そしてそのことでさびしさをいやす努力をすることだ。
(タトエバ仮リニ、詩ヲカクト云ウコトダケデモ・・・・)

永瀬清子
短章集「流れる髪」所収
1977

伝言

ときどき
会社にいくのがいやになるから
いかないんだ
ベッドにひっくりかえって
ちりぢりばらばらの
友だちのことなんかかんがえている
ひとりで笑って
あれこのまえおれが笑ったのはいつだっけ
なんてかんがえたり
へんだろおれって

でも半月もぼんやりしてるとさ
金もなくなる食いものもなくなる
じゃかすかのびるのはひげばかりで
しかたがないから近所の
コンビニエンスストアでアルバイト
いがいと評判がよかったりしてさ
おれもはりきって あーあくたびれた
今日は帰るか なんて大声でいってみたり
へんだなおれって

まえの会社は病欠っていうのかな
月にいちどは電話があるんだ 母のところに
母はおろおろしているけれど
おれはなんだか筋肉がついちゃったし
背丈までのびたみたいだ
もちろんおれは書くのは苦手だから
何といったかな あの生涯ヒラ社員の
(子使いさんを夢みるひと)
に頼んで書いてもらう
おれの名前は出さないそうだけど
これ おれなんだ わかるかな

辻征夫
河口眺望」所収
1993

彼は待つてゐる

彼は今日私を待つてゐる
今日は来る と思つてゐるのだが
私は今日彼のところへ行かれない

彼はコツプに砂糖を入れて
それに湯をさしてニユームのしやじでガジヤガジヤとかきまぜながら
細い眼にしはをよせて
コツプの中の薄く濁つた液体を透して空を見るのだ

新しい時計が二時半
彼の時計も二時半
彼と私は
そのうちに逢ふのです

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

時刻表

大型時刻表と
小型時刻表と
二つの列車時刻はどう違いますか。そういう問いあわせが
旅行斡旋所へくる。
笑わせはするが
それもそうだ、と思う。

私のこれまでの旅の度数は
たぶん、
百回、二百回を数える。
その時どきに
旅疲れにひっくるんで
使い棄てに放り出した時刻表は何冊を数えるだろう。

太く短く。
細く長く。
という時間哲学がある。これに照らして
どうやら私は
後者のタイプか。
そうだとすれば小型の方が時刻操作に役立つだろう。

ところがこのごろ
ひどく皺よった私の時間は
胸のあたりでつかえたり、しゃっくりしたり、
震えたりする。
そうだとすれば大型で
いくらかでも幅ひろくする方がいい。

手こずるのは、
太くもほそくもない
長くもみじかくもない
精神的漂白という奴。
こいつは
大型、小型のどちらに組みこまれるか。

近頃流行は
ディスカバー・ジャパンという
旅のそそのかし。
さては、
金権暴力横行地方の
暗黒裏面ひっぺがしの旅。その発掘であるか。

 (いや、何に。
  ただ遠くへ行きたい、だとさ)

こんどの旅に
大型、小型の
どちらの時刻表を買うか。
Kiosk なんぞと文字マークをくっつけてる
駅ホームの売店で訊いて
時間をムダにしない方の一冊を選ぶとしよう。

伊藤信吉
「望郷蛮歌 風や天」所収
1979

言葉の死

言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときはもう死んでいた。

言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった、
いつでも言葉とは一緒だったが。

言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ、
いったい言葉が死ぬなんて。

言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか、
そうじゃないと誰もが知っていた。

言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。

言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。

言葉が死んでいた。
誰にもアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。

言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「私だ」と名乗る誰もいなかった。

長田弘
言葉殺人事件」所収
1977

或る声・或る音

発車合図の笛が駅のホームに響き
電車が静かに動き出すと
隣り座席の若い母親の
膝に寝かされた一歳ほどの男の子が
仰向いたまま
また、声を発する。
初めは低く
次第に声を高め
或る高さになったところで
そのあと、ずーっと同じ声を発し続けるのだ。
電車が次の駅のホームにすべりこむと
その声は止む
電車が動き出すと
その子は再び声を発し
次第に声を高め
或る高さの声を保ち続ける
母親の膝に仰向いたまま、微笑んで。
──私は気付いた
レールを走る車輪の音を、その子は
声で真似ていたのだ。
発車して、車輪が低いサイレンのように唸り始める
速度を増すにつれて、やや高まり
走行中、唸りは切れめなく続く
その音を、声でなぞっていたのだ。
レールを走る車輪の音に、こんなにも親しく
どこの大人が
声で寄り添ったりしただろう。
電車に乗れば足もとから
必ず湧き上がってくる車輪の音に
私は、なんと久しく耳を貸さなかったことか。
私は俄かに身の内が熱くなり
目をつむり
あどけないその子の声と
その声に寄り添われた鉄の車輪の荒い息づかいを
そのとき、聞いた
聞えるままに、素直に聞いた。

吉野弘
陽を浴びて」所収
1983

トラックが来て私を轢いた時

 トラックが来て私を轢いた時、私の口からは「飢えたる魂」がとび出す。私の肋骨からははめられていた格子が解かれて「自由」が流れだす。
 トラックが轢かないうちは、それはただの他人とみわけがつかない。
 だから詩を書くことはトラックに轢かれる位の重さだと知ってもらいたい。あんまり手軽には考えてほしうない。

永瀬清子
短章集「蝶のめいてい」所収
1977

見知らぬ子へ

何だかとてもおこりながら
すたすた歩いて行くおかあさんのうしろから
中学に入ったばかりかな? 女の子が
重い鞄をぶらさげて
泣きながらついて行く

ときどき振り向いて
いいかげんにしなさいと
おかあさんは叱るけれど
悲しみは泣いても泣いても減らないから
やっぱり泣きながらついて行く

あんなにおおきな悲しみが
あんなにちいさな女の子に
あってもよいものだろうかと
とあるビルからふらりと出て来た
男のひとがかんがえている

そのひとはね ちいさいときに
とても厳しいおかあさんがいて
男の子は泣くものではありません! て
あんまりたびたび叱られたものだから
いつも黙っている 怖い顔のひとになっちゃったんだ

そのひとは(怖い顔のままで)
きみのうしろ姿を見ていた
それから
黙ってきみに呼びかけた
振り向いて ぼくを見てごらん!

涙でいっぱいの まっ赤な眼で
もちろんきみは振り向いて
黒々と立っている 見知らぬひとを見たのだけれど
そのひとが 黙ったまま
こう言ったのは通じただろうか

もうだいじょうぶだよ
なぜだかぼくにもわからないけれど
きみはだいじょうぶだとぼくは思うんだ
でも泣きたいときにはたくさん泣くといい
涙がたりなかったらお水を飲んで

泣きやむまで 泣くといい

辻征夫
鶯─こどもとさむらいの16篇」所収
1990

豆本

二人の幻術使いが
向き合って、たがいに印を結んだ。

一人の幻術者の咒文は
相手の天空を地面に引きずり下ろした。

もう一人の幻術者の咒文は
相手の立つ地面をぐんぐん縮めた。

天と地の境いが無くなる。
生きて立つ足場が無くなる。

薄っぺらい一枚の紙型に化した一方の幻術者。
足場が無くなって奈落の底へ落ちていったもう一方の幻術者。

昔の豆本で読んだ
いのちの瀬戸際の作り話である。

幼年の記憶が
老年の私におそいかかる。

私の生活が薄っぺらい紙型になる。
私の生が地上の面積から蹴落とされる。

伊藤信吉
「上州」所収
1976