私はトゲトゲの多い小さい草の実だから、それで人にとりつこうとするほかなかったのだ。
その人もやっぱりさびしい旅行者だったので、草の実をはこんだけれどおしまいには私を落した。
トゲが折れ摩滅した時、はなれて落ちるのは草の実として当然のことにちがいない、それで事は成就するのだから──
だから悲しみというものは人間に必要なことに属するのだ。
かんじんなことは何が成就したかを知ることだ。そしてそのことでさびしさをいやす努力をすることだ。
(タトエバ仮リニ、詩ヲカクト云ウコトダケデモ・・・・)
永瀬清子
短章集「流れる髪」所収
1977