ウラルの狼の直系として─自由詩型否定論者に与ふ─

お前詩人よ
己れの才能に就いての
おもひあがり共よ
天才主義者よ
腹いつぱい糞尿のつまつて立つた胴体よ、
君等の詩は立派すぎる
おゝ、りつぱとは下手な詩を書くことだ、
私は才能などといふものを
君たちのやうに盲信しないから
君たちのやうな立派な下手さで詩をかゝない
真実を語るといふことに
技術がいるなどとは
なんといふ首をくくつてしまふに
値する程の不自由な悲しさだらう、
すばらしいことは近来
人間たちがどうやら
苦しみと喜びの実感を歌ひだしたことだ、
悪魔は腹を抱へて笑つてゐる
日本の詩人もどうやら
地獄に墜ちる資格ができた――と
フレー、フレー日本の詩人、
醜態をいち早く現はしたものが
詩人としての勝だ
私は醜態を
真先にさらけ出してそして勝つた、
気取り屋と、嘘吐きと、こけおどかしと、
頭も尻尾もない散文詩型から
足をちよつと出してみたり
手を一寸だしてみたり
そのうごき廻る格好は
アミーバそつくり
そもそもこれらの
蟻地獄の詩型の苦しみは
散文へのナガシメから出発した、
私のやうに極度に
馬鹿な頭で
単純な苦痛の訴へ手は
智識の複雑な方々には
到底お気に召すまい
おゝ、才能あるもろもろの詩人よ、
醜態と過失を
永久に犯すことを怖れてゐる神よりも
王よりも立派な人たちよ、
すべてこれらの人々の言はれることは立派である
配列よく、位置よく、
おどろくべきは
動乱と激動の渦中にあつて
自由詩を軽蔑なさる、
そして新律格、新韻律の詩型とやらを
つくると宣言する、
私は諸君のやうに
詩と散文の雑種ではない、
私は自由詩の純粋種だ
つまりウラルの狼の直系さ
詩型の秩序と韻の反覆は
当分あなたにおまかせしよう。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

構造

 よろこびは いかなる日にあったか。あるいは苦しみが。よろこびと苦しみの その構造を除いて。いかなる自由においてえらばれたにせよ えらばれたのは自由でも 苦悩でもなく つねにその構造であったということを。語りつがれたものはその構造でしかなく 構造をうながしたものは 永久に訪ねるもののない原点として残りつづけたし 残りつづけるのだということを 一度だけは確認する必要があるだろう。
 ゆえに 語りつがれなければならないのはつねに それを強いた構造ではなく それが強いられた構造である。しいられた果てを おのれにしいて行く さらに内側の構造である。
 その構造において 構造をそのままに おのれにしいる静寂があったということを およそ語りつぐものは一人であり 語りつがれるものもまた一人である。
 われらが構造にやすんじあえるのは まさにそのゆえである。

石原吉郎
「禮節」所収
1974

僕は君が生れた時

僕は君が生れた時隣りの部屋で
夢中になつて君の母の苦しみを聞きながら原稿を書ゐていた
だつて僕はその時金が一文もなかつたからさ
僕は原稿を書き終へたら君は生れた
僕は原稿をポストへ入れに出ながら
わななく心を押へながら上野にゐる友達に金を借りに行つた
僕はアーク灯のぼんやりした公園の森の中を
声高々と歌を歌つて歩いて行つた
自然に僕は歌つてゐたのだ
僕は自分に氣がついてからも歌つた
僕は愉快でならなかつた
友は金と一緒におむつとタオルを渡してくれた
みな玄関に出て僕を見つめてゐた
僕は皆の顔を見て笑つた
僕はその金でどつさり思い切つて果物を買つて
君の母の所へ歸つて来た
だが 君は生れて
父の生れた土地へも行かない
母の生れた土地へも行かない
両方とも僕達をきらつてゐるのさ
僕はどつちへも通知しない
然しそんな事が何んだ
君はここの所から出発すればいいんだ
何者も怖れるな
勇敢なるかつ誠実なる戦ひの旗を
僕は死ぬまで君のために振るよ。

萩原恭次郎
断片」所収
1931
 

雪もよい

寒い。

わかい歯科医のもとへ 一句
「歯石はづす 夜の皓さに
睫毛鳴る」とかき送つて
その夜、まつしろいものに埋つて寝た。

寒い。

青い視野の奥のはうで
鵞ペンは、わたしの鵞ペンは寝たやうだ
行燈まがひの卓上電気も もはや 眠つたらしい
それから わたしの子供も 句帖も。

ところで
のこつた、眠らないのがただひとつ
膨らんで阿呆のやうな、きたならしい、このひだりの胸の哀求律。

寒い。

夜のからんからんに乾いた空気の、その底で
うつかり 咳をとりおとすと
発止!
それは青く火を発して 鳴つた。

高祖保
「雪」所収
1942

第二の遺書

 神に捧ぐる一九一九年二月七日の、いのりの言葉。
 私はいま、私の家へ行つて歸つて來たところなのです。牛込から代々木までの夜道を、夢遊病者の樣にかへつて來たとこです。
 私は今夜また血族に對する強い宿命的な、うらみ、かなしみ、あゝどうすることも出來ないいら立たしさを新に感じて來たのです。其の感じが私の炭酸を滿たしたのです。
 あゝすべては虐げられてしまつたのだと私は思ひました。何度か、もうおそらく百度くらゐ思つた同じことをまた思ひました。
 親子の愛程はつきりと強い愛はありませうか、その當然すぎる珍しからぬ愛でさへ私たちの家ではもう見られないのです。何といふさびしい事でせう。
 しかも、とりわけて最もさびしい事は其の愛が私自身の心から最も早く消えさつてゐることなのです。私は母の冷淡さをなじつても、心に氷河のながれが私の心の底であざわらつてゐることを感ぜずには居られませんでした。私がかく母をなじり、流行性感冒の恐ろしさを説き、弟の手當を説いたかなりにパウシヨラケートな言葉も實は、私の愛に少しも根ざしてはゐないのでした。それどころか、恐ろしい、みにくい、利己の心が、たしかに其の言葉を言はせたのです。眞に弟を思つたのではないのです。私はたゞたゞ私自身の生活の自由と調和とが家庭の不幸弟の病氣等に依つてさまたげられこはれんことを恐れて居るのです。弟の病氣が重くなつては私の世界が暗くなるからなのです。
 ああ眞に弟を思ひその幸福のためにいのつてやる貴いうつくしい愛はどこへ行つたのでせう。またはいつ落としてしまつたのでせう。其れはとにかくない物なのだ。私の心のみか、私の家の中にはどこにもないものなのだ。何たるさびしさでせう。私は母をなじつて昂奮して外へ飛び出し、牛込から乘つた山の手電車の入口につかまつてほんとに泣きました。涙がにじみ出ました、ほんとです。ほんとです。このさびしさが泣かずにゐられませうか。私は泣きました。愛のない家庭といふ世にもみにくい家庭が私のかゝり場所かと思つて。それよりも私を、このみにくい私を、何たる血族だらう。このざまは何だらう。虐げられてしまつたのだ。すつかり虐げられてしまつたのです。もとはこれではなかつた。少なくとも私の少年時代は。
 神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。
 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。
 神さま、ほんとです。いつでも私をおめし下さいまし。愛のない生がいまの私のすべてです。私には愛の泉が涸れてしまひました、ああ私の心は愛の廢園です。何といふさびしさ。
 こんなさびしい生がありませうか。私はこの血に根ざしたさびしさに殺されます。私はもう影です。生きた屍です。神よ、一刻も早く私をめして下さいまし。私を死の黒布でかくして下さいまし。そして地獄の暗の中に、かくして置て下さいまし。どんな苦をも受けます。たゞ愛のない血族の一人としての私を決してふたゝび、ふたたびこの世へお出しにならない樣に。
 私はもう決心しました。明日から先はもう冥土の旅だと考へました。
 神よ、私は死を恐れません。恐れぬばかりか慕ふのです。たゞ神さまのみ心に逆らつて自殺する事はいたしません。
 神よ、み心のまゝに私を、このみにくき者を、この世の苦しい涙からすくひ玉はんことを。くらいくらい他界へ。

村山槐多
「村山槐多詩集」所収
1919

背後

きみの右手が
おれのひだりを打つとき
おれの右手は
きみのひだり手をつかむ
打つものと
打たれるものが向きあうとき
左右は明確に逆転する
わかったな それが
敵であるための必要にして
十分な条件だ
そのことを確認して
きみは
ふりむいて きみの
背後を打て

石原吉郎
「斧の思想」所収
1970

遠い花火

唇には歌でもいいが
こころには そうだな
爆弾の一個くらいはもっていたいな
ぼくが呟くと
(ばくだんって
あのばくだん?)
おばさんが首を傾げて質問する
そうですよ ほかにどんなばくだんがあるのですか
こころに
爆弾があって
信管が奥歯のあいだにあって
それをしみじみ噛みしめると
BANG!
ぼくがいなくなってしまうんだ
(いいわね そのときはわたしも
吹きとんでしまうんでしょ?
遠い花火のように)

おばさんとぼく
ぼくが少年のときの海と空を
同時に思い出す
荒れ騒ぐ波のうえを
鷗が数羽とんでいる
はやくあのこのところへ行かなくちゃと
息はずませてボートを漕いでいる
若いおばさんもいる
おばさんには
村の道にぼつんと立っている
たよりない子供の影も見えていて
その子がやがて
<ボートを漕ぐおばさんの肖像>という
いくつかの詩を書くのである

辻征夫
ボートを漕ぐおばさんの肖像」所収
1992

人間の言葉を借りて

生まれたくなかった
胎内で抵抗した
何度か流産のチャンスがあった
チャンスは薬物の力でつぶされた
その日は”難産”だった
緊急処置の帝王切開で
わたしは生まれた
三年ぶりに二人目の子を得た若い父母の喜びが
わたしには、うとましかった
生まれたくなかった
育ちたくなかった
しかし
順調に育った

或る日
三歳になる兄が
眠っているわたしの顔に
小さな透明のビニールの袋をかぶせた
袋は頭をピッタリ包み
わたしは息が出来なくなった
チャンス到来
忽ち気が遠くなり
わたしは人間でなくなった

わたしの異状に兄は驚き
母のもとへ走った
母が駆けつけ
すべてを察した
青ざめて
ビニールの袋をはずし
わたしを荒々しくゆさぶった
動かなかった
母は電話をかけ、病院に車を飛ばした
母の供述のちぐはぐに
医者は不審を抱いた
乳児がビニールの袋をかぶる筈がない
医者の通報で警官が来た
母は事の次第を正直に語った
語って泣いた
警察の穏便な処置で、兄は罪を免れた
母と兄が罪になることなど、わたしは望まなかった
人間でなくなりさえすればよかったのだから
わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
わたしは思い出していた
以前、人間だったことを
再度の人間稼業はごめんだと真底思っていたことを
わたしの望みが何処かの神のお耳に入ればいいと
思っていたことを

理由は
今更、人間に話しても仕方がない
陽気な顔をして何度でも人間に生まれたがっている者に
わたしは、ただ、微笑を贈るばかり

わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
若く優しい父母は泣き
小さな兄は訳もわからず走りまわっていた
わたしは詫び、静かに会釈をして
そこから立ち去って来た
わたしの世界に
わたしと同じ意思たちの住む明るい世界を
人間は信じるでしょうか?

吉野弘
自然渋滞」所収
1989

魂よ

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した
魂よ
生は爆発する火山の熔岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの熔岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した熔岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷(やけど)を負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう

高見順
死の淵より」所収
1964

ショウガパンの兵士

小麦粉はよくよくふるって、
ジンジャー・パウダーと塩と一緒に
ミキシング・ボールに入れて、
オートミールと赤砂糖を混ぜておいて、
そして、小さなソースパンにラードを敷いて、
ゴールデン・シロップをたっぷりと注いで、
ほんのすこし牛乳をくわえて火にかけて、
熱く溶かしてミキシング・ボウルに注いで、
さらに卵を割りいれて混ぜあわせて、
四人の兵士のかたちに
生地をつくって、
オーヴンに入れてきっちりと焼くと、
素敵なショウガパンの兵士のできあがりだ。
いやだ、兵士だなんて、と一人がいった。
てんでまちがってる、と一人がいった。
とにかく逃げだすんだ、と一人がいった。
ぼくらを匿まってくれ、と一人がいった。
もちろんさ、と子どもたちはこたえた。
そして、まんまと大人たちの目を盗み、
四人のショウガパンの脱走兵は姿を消した。
子どもたちの手びきで、
子どもたちの口のなかへ、
もう誰も兵士でなくていい場所へ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987