戦争はよくない

俺は殺されることが
嫌ひだから
人殺しに反対する、
従って戦争に反対する、
自分の殺されることの
好きな人間、
自分の愛するものゝ
殺されることの好きな人間、
かゝる人間のみ戦争を
讃美することが出来る。
その他の人間は
戦争に反対する。
他人は殺されてもいゝと云ふ人間は
自分は殺されてもいゝと云ふ人間だ。
人間が人間を殺していゝと云ふことは
決してあり得ない。
だから自分は戦争に反対する。
戦争はよくないものだ。
このことを本当に知らないものよ、
お前は戦争で
殺されることを
甘受出来るか。
想像力のよわいものよ。
戦争はよしなくならないものにせよ、
俺は戦争に反対する。
戦争をよきものと断じて思ふことは出来ない。
 
武者小路実篤
「種蒔く人」初出
1921

序詩

思ひ出は首すぢの赤い蛍の
午後のおぼつかない触覚のやうに、
ふうわりと青みを帯びた
光るとも見えぬ光?

あるひはほのかな穀物の花か、
落穂ひろひの小唄か、
暖かい酒倉の南で
ひきむしる鳩の毛の白いほめき?

音色ならば笛の類、
蟾蜍の啼く
医師の薬のなつかしい晩、
薄らあかりに吹いているハーモニカ。

匂ならば天鵞絨、
骨牌の女王の眼、
道化たピエローの面の
なにかしらさみしい感じ。

放埓の日のやうにつらからず、
熱病のあかるい痛みもないやうで
それでゐて暮春のやうにやはらかい
思ひ出か、ただし、わが秋の中古伝説(レヂェンド)?

北原白秋
思ひ出」所収
1911

接吻の後に

「眠りたまふや」。
「否」といふ。

皐月、
花さく、
日なかごろ。

湖べの草に、
日の下に、
「眼閉じ死なむ」と
君こたふ。

三木露風
廃園」所収
1909

母国語

外国に半年いたあいだ
詩を書きたいと
一度も思わなかった
わたしはわたしを忘れて
歩きまわっていた
なぜ詩を書かないのかとたずねられて
わたしはいつも答えることができなかった。
 
日本に帰って来ると
しばらくして
詩を書かずにいられなくなった
わたしには今
ようやく詩を書かずに歩けた
半年間のことがわかる。
わたしは母国語のなかに
また帰ってきたのだ。
 
母国語ということばのなかには
母と国と言語がある
母と国と言語から
切れていたと自分に言いきかせた半年間
わたしは傷つくことなく
現実のなかを歩いていた。
わたしには 詩を書く必要は
ほとんどなかった。
 
四月にパウル・ツェランが
セーヌ川に投身自殺をしたが、
ユダヤ人だったこの詩人のその行為が、
わたしにはわかる気がする。
詩とは悲しいものだ
詩とは国語を正すものだと言われるが
わたしにとってはそうではない
わたしは母国語で日々傷を負う
わたしは毎夜 もう一つの母国語へと
出発しなければならない
それがわたしに詩を書かせ わたしをなおも存在させる。

飯島耕一
「ゴヤのファースト・ネームは」所収
1974

手に手に棒きれをもち石をもちおまえたちは
おれをとりかこんでしまつた
はじめはじようだんだとおれは思つたくらいだ
一つの石はいきなりとんでおれの目玉をぐしやりつぶし
つづいて石だ石だ石だ石だ
ぐしやりとまた
おれの胸はやられ
口からは血が

  あのいいにおいのするくさむらへ
  かえつてゆきとぐろをまき
  ひなたの音楽をゆつくりきき

匍つて逃げる
だめかもしれない
逃すな逃すな棒きれでぐいとくびを押さえ
口あいたまんま
舌はさわぎ

  くさむらくさむら
  まつくらぎらぎらひかつている
  かみなりの晩
  縞子さんとあいびきしたね縞子さん
  縞子さんはあのとき甘えておれに
 
がしやり頭をとうとうやられ

  おれに石を投げたおまえたちよ
  けれどもおれには立ちあがつておまえたちに石を投げかえすことができない

血と泥
ひんまがつて
おれはおまえたちのなすがままだ

    ああ夕やけ雲が
    あんなにきれいおまえたちの肩の上に
    風は凪いだようだな
    さあ棒きれと残りの石をおれの死骸のそばにほうりだして
    おまえたちは帰れ

鳥見迅彦
「けものみち」所収
1955

中国紀行

やがて朝焼けが、
拡散し、煙突や船橋の壁に
闇の中からの最初の分離を
与えていくと
わたしたちもまた
朝に
移り変わっていったのかもしれない。

夜通し目覚めていて、お互いもう眠っているのかもしれないと、黙って空をみていた。
海鳴りのただなかの、強風の甲板で、二人しらじらと明けゆく。青いフィルムが一枚ずつ剥がれて、さめざめとした光が重たい朝もやの中に、岸沿いの造船所や紡績工場を浮かび上がらせると、波のうえに白く海鳥が、
清浄な死者へ手向ける
献花のようにみえる。

(どうしてこんな、寂しいことをおもうのか。
(夕べあんなに芳しい、誘いだす花のようだったのに
(やわらかい、卵形に似た秘密の隔絶
(特別なやり方の目配せや、芳醇な沈黙が
(今朝はもう渡っていった。そして黄泉の国へ、尾を引いて落ちた。
(わたしたちは夜通し若さをアルコールのように灯し
(暁がくると、いっぺんに老いてしまったような気がする。
(そして朝が、まぎれもない朝が
(新鮮な果実や魚を運んでくる

いつの間にか漫々とした泥水
濁った川波のうえを
船体の低い平べったい舟が
いろいろの品を積み、進んでいく

川風は
潮の境の色をなぶり
青年の焼けた髪をなぶり

彼は、
ハルビンで生まれたという
薄い眸をしている。動物のようだと、耳打ちすると、あなたも笑うと猫に似ているね、と静かな、いくぶん眠そうな面差しのなかで、眸だけがつめたく燃えている。これは荒野に目醒める動物の眼だ、巨星のような。幾年月、被膜もない野曝しの、遺跡のように沈黙していた。ざわめきを閉じ込めたまま沈黙してしまった、
彼の、城跡に似た
うつくしい横顔。

(揚子江は泥水
(上海は煙って黄色い空
(次第に雨。
(人ごみを避けて、裏道
(指先だけでこっそり繋ぎ
(くしゃくしゃのコートを
(あなたと思うだろう、しばらくの間は、たぶんきっと
(ふいにわたしは雨がさみしく(ね、日本は好きですか、
あなたの生まれた街の雨を
思う
(──駅へ、

彼は
祖国に
帰らざる日々を燃やし
つめたい熱の眸はなおいっそう
黒龍江に流れる雨粒を
       (雨に濡れると、
        子どもの頃を思い出す、
        いつもこんな静かな)故郷の水を
からだいっぱいに携えて、
荒野へと 流離ってきた
あなたの眼は深く、遠のいて、
星明りをまっすぐ吸い込んだ
もう一度きりの
ロブノールの湖面。
       (雨が降っていた。緑が綺麗だった。
子どもの頃は、みんな綺麗だった──)

その指冷たく、なめらかに冷たく

乳色の光、列車の窓をすべり落ちる
雨だれ・・・・

川の水は海へと抜け
オホーツクの海峡で冷えゆくとき
故郷をまっすぐ振り返るだろう
あなたが異国の恋人たちのまにまに
かすめとっていく眼差しで
帰還せよ、と呼ぶからだじゅうの水を
宥めすかしながら
渡ってきた道を
いっさんに駆けだしていく
視線の一群
届かざる、
年月

さあ猫みたいな子だね、おいで、こっちに
(列車は西安へ──
だがあなたもまるで
まだ七つほどの、痛ましい清澄。(だから、
傘がないときは、
雨宿りをしなければならない、
ひっそりとさみしさが (わたしたちの 子ども時代の影が
通り過ぎるまで
街や大通りの喧騒の
ひとつ上空からくる

雨だれの中へ埋没していくことを、
ふいに震撼する
あなたとわたしの
輪郭線や
皮膚の下が暴かれる
晴れ間のように潔白な、
真っ白い
分離を引き起こす
その瞬間までは。

暁方ミセイ
「ウイルスちゃん」所収
2011

赤い髪

 ニーナが、なまあたたかい舌で、わたしの右手をなめた。
「わたし、犬」
 あたりをクンクン嗅ぎながら部屋の隅に這っていった。
 そこにニーナの寝床が吊りさげられた毛布で仕切られている。
 冬の間、アンドレシェフスキー夫妻はこの一室を使って暮らしている。ストーヴにオリーヴの根をくべて、わたしたちは数人で話していた。ニーナが犬を演じだしても誰も気にとめない。
 わたしはニーナの犬をひとりじめにした。
 ニーナが、「行かない」と言いだしたら行かない。オリーヴの若木のそばで、「これはニーナの木」と言ったとき、わたしには、ほんとうにそれがニーナの木のように思えた。
今は犬になってしまった。

 食事になってもテーブルにつかない。這ったまま吠えているので、スープ皿を床におろしてやらなければならなかった。
 スプーンを使わずにハアハア言って食べ終わると、ストーヴの火を見ている。じっとしているから、もう気がまぎれたのだろう、とひとりが話しかけてみても口をきかない。
 しばらく頭を振っていたが、ぐったりとわたしの膝に寄りかかってきた。まだ、顔をあげて「ウーッ」とうなる。
 なかなか犬をやめないのはわたしのせいもあるのかもしれない。
 犬の気持をうけいれて、やわらかい赤い髪をなでている。

川田絢音
「サーカスの夜」所収
1984

会社の人事

「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりだという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

中桐雅夫
「会社の人事」所収
1979

妖精の距離

うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった

脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた

麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
欲望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた

それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた

詩は形を持たぬ
という頑なな認識があり、私を捉えてはなさない。
書いているときの
ペンや鉛筆が紙を擦っているが、
これはこれで別の何かの仕事なのか?

言葉は処えらばず
遣って来て、掠めて去る。
私はおんなの名を呼びたいと思うとき
のように、その名を探している。

瀧口修造
「妖精の距離」所収
1937

眺望

屋根といふものがなければ
暮しはできないものなのか
もの哀しい習俗のぐるりの
屋根屋根を濡らして
遥かなる狐の嫁入りが行く
青い風は僕の隣から
眺望を撫でてはゐたけれど
僕はこのまんま
美しい空つぽになりたくて
ほそい山径に群れてゐる
花蝋燭のやうな野苺に
すくないけれど僕も
眺望も呉れてしまつた

淵上毛錢
1950