死んだ男

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
──これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代──
活字の置き換えや神様ごっこ──
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

鮎川信夫
「鮎川信夫詩集」所収
1947

浅春偶語

    「物象詩集」の著者丸山薫君はわが二十余年来の詩友なり、この日
    新著を贈られてこれを繙くに感慨はたもだす能わず、乃ち

友よ われら二十年も詩を書いて
已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた

友よ 詩のさかえぬ国にあつて
われらながく貧しい詩を書きつづけた

孤独や失意や貧乏や 日々に消え去る空想や
ああながく われら二十年もそれをうたつた

われらは辛抱づよかつた
そうしてわれらも年をとつた

われらの後に 今は何が残されたか
問うをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない

悲哀と歎きで われらは己にいつぱいだ
それは船を沈ませる このうえ積荷を重くするな

われら妙な時代に生きて
妙な風に暮したものだ

そうしてわれらの生涯も おいおい日暮に近づいた
友よ われら二十年も詩を書いて

詩のなげきで年をとつた ではまた
気をつけたまえ 友よ 近ごろは酒もわるい!

三好達治
一点鐘」所収
1941

ランプ

野中にさみしい一けん家
あたりはもう薄暗く
つめたく
はるかに遠く
ぽつちりとランプをつけた
ぽつちりと點じたランプ
ああ
何といふ眞實なことだ
これだ
これだ
これは人間をまじめにする
わたしは一本の枯木のやうだ
一本の枯木のやうにこの烈風の中につつ立つて
ランプにむかへば自ら合さる手と手
其處にも人間がすんでゐるのだ
ああ何もかもくるしみからくる
ともすれば此の風で
ランプはきえさうになる
そうすると
私もランプと消えさうになる
かうして力を一つにしながら
ランプも私もおたがひに獨りぼつちだ

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

行進

ししん しんしん ししん しんしん
ししん しんしん ししん しんしん
    しんしん 歩め

  きみたち行進する
  土偶たち行進する

    集まれ波 波うて波
    ばらばら波 はがれ波
    くだけ波 あられ波
    波のない波

地球につもらぬ雪のふるなかを

ししん しんしん ししん しんしん
ししん しんしん ししん しんしん
    おこれよ地震

  落下傘兵が落下傘を追いかけている
  夢の底なんかであるものか
  飛行機雲が飛行機を追いかけている

ううん うんうん ううん うんうん
ううん うんうん ううん うんうん
    うなれよ 仲間

  土偶たち行進する
  おれたち行進する

    集まれ波 波うて波
    はなびら波 ちぢれ波
    めがね波 うろこ波
    波のない波

  地球にささらぬ氷の散るなかを

ううん うんうん ううん うんうん
ううん うんうん ううん うんうん
    うめけよ 影たち

  落下傘兵が落下傘に追いつかない
  夢の底なんかであるものか
  飛行機雲が飛行機に追いつかない

はっは はははは はっは はははは
はっは はははは はっは はははは
    はきだせ 炎

  土偶たち行進する
  きみたち行進する

    集まれ波 波うて波
    糸くず波 なみだ波
    まぎれ波 えくぼ波
    波のない波

  地球に落ちない光りの舞うなかを

はっは はははは はっは はははは
はっは はははは はっは はははは
    はじけろ 縄文

  落下傘兵が落下傘に追いぬいている
  夢の底なんかであるものか
  飛行機雲が飛行機に追いぬいている

はっは しんしん うんうん はっは
ししん はっはは ううん しんしん

  地球をとりまく 眩暈となって

    集まれ波 波うて波
    びいだま波 指輪波
    ぼたん波 ほたる波
    波のない波

    波うたぬ波の波のなか
    波うたぬ波に波うたせ

  おれたち行進する
  きみたち行進する

宗左近
「縄文」所収
1979

汽車 一

だれが人の足を踏みたいか
だがおれたちはぎりぎりと踏んだ
靴と薄歯とで
はつとするほどほかの足を踏んだ
そしてきんきん踏まれた
おれたちのからだが人波にもまれて失われそうだつた

おれたちはおれたちのからだを人波のなかからもぎ取らねばならなかつた
おれたちは手荷物にしがみついた
おれたちは切符を握りつぶした
子供の泣き声がおれたちの股の下から叫んだ
女の頭がおれたちの鼻さきでばさばさになった
だれが人の足を踏みたいか
だがおれたちはむちやむちやに踏んだ
踏んでも下が見られなかつた
顔をねじむけることができなかつた
おれたちはからだを浮きあがらせたかつた
おれたちは浮きあがらなかつた
地面にすきまがなかつた
無数の足がくつついていた
おれたちはぎりぎりと踏んだ
いつでもぎりぎりと

中野重治
中野重治詩集」所収
1935

イノセント

為るたびに
ぴったりくる
いいと思う

合うのか
合わせるようになったのか
良さも解って
むしろ素朴な格好で
おつかいに行くように
慣れてゆく
一線を超えることに

とりあえず死ぬわけじゃなし
冷静に見上げればこの雲もまた
四季のひとつ
七十五日なんてすぐ
直におさまる
ジキ と頷けば
いい人 から降りてしまえば
雲を躱して
かるがると
月は昇る
ちょっと明るくなる

価値観は相似だし
深呼吸したら元気もでて
しみじみ今夜も二人して
月の下 まるまると
無罪である

佐藤正子
人間関係」所収
1994

詩が住んでいられる空間は、もっと広い。(詩と写真)

 少し意識をずらすだけで、別の見え方が現れることがある。例えば、雨の中、ビニール傘をさして歩いているとき、一瞬、透明なビニールを滑る水滴へまなざしを移せば、視界は、空を流れる雫の眺望に変わってしまう。少しのずれから生まれる微かな非日常は、些細でも、きらめきがある。私は日々の些細な裂け目を、詩を書くときに大切にしたい。それは写真でも変わらない。1999年1月からHP「北爪満喜の詩のページ(ただいま小休止中)を開設し、ブログのはしりの言葉と写真のコーナー「memories」を始めた。今も更新し続けていて、いつもコンパクトデジタルカメラを持ち歩いている。(注)  どこかへ行くとき立ち止まって撮ったり、部屋で光や何かに反応して撮ったりと、生活の一部のようになっている。ファインダーを覗かずに撮れるカメラは、撮ることを人の目の高さから解放し、固定した視野からも解き放った。だから私は、柔軟に周囲や対象と向き合って撮ることができる。

 これまで写真を撮ることは、銃を撃つイメージと重ねられてきた。今使っているファインダーがないコンパクトデジタルカメラでは、撮ることは対象を撃つよりも、探ることに近い。固定された視野からではなく多様に撮ることは、意図しない新鮮さを探ることでもある。そこに詩のまなざしが写真を見いだし、言葉を呼び、生きられる広がりがある。これまでこの違いについて何か語られた言葉を読んだことがない。けれど「人の目の高さから解放」されたことは、特別な出来事ではないか。

 人の目は、思ったほど自由に物を見ることができない、という事実はあまり意識されていないようだが、社会の中で人は習慣化した目で見ながら過ごしている。その習慣化した見方や、既成概念に捕らわれた枠から、外れる見え方を得る可能性が、コンパクトデジタルカメラで撮ることに隠れている。私は、腕が動き手首が回る範囲の体の動きに添って、コンパクトデジタルカメラで瞬間瞬間に反応しながら、できるだけ柔軟に撮りたい。光なのか、遠さなのか、質感なのか、色彩なのか、対象へのこだわりなのか、状況なのか、その瞬間瞬間に反応しているのは、はっきりとした一つの動機だけではないことが多い。あらかじめ分かって詩の言葉を書くことがないように、なぜ撮っているのかを意識してみると、それは発語の奥行きの深さや多様さを彷彿とさせる。だから柔軟に撮って、そこに詩のまなざしが呼吸できる光の切れ端をメモリーにたくさん記録する。

 そうして撮った無数の瞬間は、夜、パソコンに移し変えるのだが、それらはまだ写真以前の光の切れ端だと思っている。後で一枚一枚を選んでゆくときに、光の切れ端は、初めて写真になる。選んだ一枚の写真が起点になって、無意識の何かに背を押され、写真を背にして歩きだすように詩の言葉を進めてゆくことがある。また言葉も写真も並行して行き交いながら、詩と組写真になってゆくこともある。ただ、皮膚の外である外部を撮った写真と、言葉は別のものだから混じることはない。けれど、それはまるで、言葉と写真が少しずつ出会いながら、育ってゆくひとときのようだ。詩は詩で、写真は写真で、どちらかがどちらかの背景ではなく、自立して作品となることをこれからも目指したい。

 写真誌『アサヒ・カメラ』昭和14年10月号に萩原朔太郎が詩人としてエッセイを寄稿していて「記録写真のメモリイを作る為でもなく、また所謂芸術写真を写すためでもない」機械の光学的な作用を借り「郷愁」を写したい、と語っている。今になってとても響く。機械の光学的な作用を借り、私は、日常の習慣的な見方や既成概念の捕らわれを崩し「脱出」する一枚一枚を写したい。そして言葉と写真の両方で詩を求めてゆきたい。

 展示は何度やっても不慣れで分からないことばかりで不安もあるが、続けている。銀座3丁目のビルの通路での展示は常設で、HPに地図(北爪満喜・詩と写真展2016.10.7よりfile.15)を掲載している。また、今年2013年3月20日から24日、前橋市のミニギャラリー千代田で開催した詩と写真展『記憶の 窓は水色の枠』はYouTubeにアップロードした。詩への入口を増し、間口を広げて、街を行きながら、ネットを見ながら、ふと目を向けてくれた誰かに、詩が届くことを願う。

 ビルを訪れる様々な目的の人々が、ふと写真や言葉を目にし、日常の些細な裂け目にざわつくとしたらどうだろう。通路で広告の言葉ではない言葉を読むことで、気になってしまったらどうだろう。通路は見慣れない場所になり、人々の中に別の空間をつくる。そこは詩の住みはじめた空間なのだ。詩が住んでいられる空間は、出会う毎にうまれ、作品や文字を離れ、もっと広いのだと思う。

 先日の前橋の展示で印象的な出来事があった。見知らぬ若い女性が、トイレの男女の記号を写した写真を指差して「救われた気持ちになった」と言った。私には届かない、作品が完全に旅立った瞬間だった。詩と7枚の組写真の中の一枚だったが、彼女が展示した言葉を見て、どの部分かを強く受け止め、写真から何かの声を聞いて、新しい詩を作ったに違いない。彼女は、あまり詩が身近ではいな人のようだった。彼女に生まれた詩の空間を祝いたい。

北爪満喜
「現代詩手帖2013年8月号」初出
2013

注  HP「北爪満喜の詩のページ」・・ただいま小休止してます。
北爪満喜 詩と写真展 file.15
通路の詩と写真展常設(銀座3丁目のビル1階通路) 2016年10月7日から file.15 展示しております。  

(萩原朔太郎と写真 参考文献)
下記のLinkにステレオ写真愛好家氏による萩原朔太郎の「僕の写真機」の紹介があります。
http://midi-stereo.music.coocan.jp/irohastr/hagiwara.htm

渋谷で夜明けまで

夏の一日
ぼくは
渋谷で
ポリネシアの戦士の歌を聞きながら
魂をやすめていた
オルペウス神統記にもあきて
書物はすべて放棄してしまった
ぼくの時計は柔かく変形してゆく
中世の城のような旅館が見えてきた
ああ
素晴らしい徴候だ!
この絶対温度に
乳房をちかづけてくれるな!
貴女にも
きっと
ぼくの姿は見えないだろう
無能だ!という声に
振り返りもしないで
豪華なペルシャ猫のように世界を沈んでゆく
さあ
貴女とキスしよう
ぼくは動詞だけしか信用しない!
なんという
魂の不思議な膨張係数か!
グラマーな地下鉄の通過
新聞活字が陽光をさえぎる!
失業するぜ 失業するぜ
ふっと
まどろむと
欅並木が滑走路をかこむ
懐しい風景がよみがえる
ああ
巨大な横田基地よ!
ぼくの育った武蔵野の雑木林の俤と蜉蝣たつ金属的な滑走路が なんと調和していることだろう
ツルゲーネフ風に夢を素足で歩いてみよう
バッカード・ポニャック・クライスラー
と歌にして覚えた
あの夕暮をだれが忘れようものか
ラッキー・ストライクのように
鮮烈にやってきた
アメリカの青年たちにアイサツしよう
ぼくが愛した
あの兵士たちは
いまごろベトナムで戦っているのか
星条旗のように整列して
アッ
ボクハ日本刀ヲ握ッテイル!
ガム吐き出して
フレディーと一緒に歩いた砂川の風景を激しく憎悪する!
ああ もっと抱いてよ
優しく大きな乳房の輪郭線で、ゴシック体のように眼を見開かないように・・・・
オンリー、スーベニール
オンリー、スーベニール
魂に言葉の圧力がかかってくる
夏のシーツに、素肌に
都市全体が落雷となって集中する
貴女ノ家ニ帰リナサイ!
渋谷のホテルで
ぼくは
激しく乱れて
世界全体をゆるがしはじめる
貴女ノ家ニ帰リナサイ!
ああ純粋数学の復権だ!
ベッドの鉄わくにつかまれ
若駒が幾何学的な風にのって駆けてくる!
ああ心臓の戸口を銀色の手がたたく
全身、海のようなミドリだ!
貴女ハ帰レ!
大時計はとまり、空間がぐらっと傾斜する
うまれるぞ 船をこげ
日本ノ砂漠デ占星術ガ誕生スルノカ!
太極のマークが窓から乱入してくる
天上大風だ!
男根と男根の交叉!
見たこともない紋章が浮びあがってくる
影像人間は分裂して
火山へ!
火山へ!
おお エトナのエンペドクレースよ!
巻きあげられる感覚世界
なにが見えるか!
青い遊星
それとも
胎児の眼の破裂か!
街角を曲る
幸福という文字
美しい鈴ならす廃品回収の人影か!
ああ 魂が破壊される!
よだれたらして
犬のように
ただもう放置されるだけだ
ダレカガ呼ンデイル
扉が激しく叩かれる
魂が破壊の神を呼んでいるのか!
青い青い断片の
天国と地獄からの襲来!
立っていられない
言葉の橋が流出してしまう
しかし
筆は真青になって失速してはならない
昨日の夜
今日の夜
明日の夜
筆は真赤に輝いて進行する
それが
夜空を落下する流星の
筆のさだめだ!

太陽など問題外だ!
狂気を彫る精神の労働が、さまざまの記号の暗示を受けて決潰しただけだ!
おお 魂のリアリズム
三文判は会計係に返上しよう
菊の花を刺し通せ!
望みはなんだ
よし おれを陵辱するがよい!
B・Gよ
冒険家よ
欲望ははてしない霊魂の卑猥な一側面に
自らの肉を焼いて
祭壇に登る、神秘的な一筋を刻め!
食料を与えるって
なにお
風の末裔となって、桃色の五本の指を自ら食って生きのびてやろう
ああ 法華子よ!
焼身自殺とは、太極に存在する虹の絢爛たる同心円だ!
オ時間デス オ時間デス
去れ! ひからびた女よ!
ボクハ日本刀ヲ握ッテイル!
肉体の花弁をひらく、素肌のあらゆる陰唇をぼくは自分でひらく
海のむこうから
<ルイジアナで檞の木が茂っている>
という偉大な歌声が聞えてくる
ホテルでも
夢の中でも
世界全体を感情のもっとも鋭敏な個所に集中して
シンバルを叩け
もう朝だ
初発電車が動き出した
しかしまだ
まるでオデッサの階段のように説明のつかない熱病がおれの首を巻いて荒れ狂っている
外界へ出る
だった一人で
全身にワイパーをつけて透視する
アレワ人間カ
自動車だ!
機械的な冷気が頬をかすめて
やがて
太陽が東の空に昇ってくるころ
魂の熱気はさめはじめる
廃人のように
没落貴族のように
新しい朝の狂気へ姿を消してゆく
カッカッと
ハイヒールの音が鳴り
一人通りすぎてゆく
ああ
ぼくは
朝鮮人みたいに泣きたいなあ
振り返ってはいけない
曲れ! 直角に、鋭く、覚悟をきめて

新しいイメージの狩人よ
沈黙の歌人よ
風よ
風よ
ある夏の一日
これらは
渋谷で真実おこった事なのだ

吉増剛造
頭脳の塔」所収
1971

襤褸(ぼろ)

悲しい叫びが起つた
仰天して窓は地上に砕けた
頭髪を乱した洋燈が街路を駆けてゐた

私の喉に
泥沼のごとく狼の咬傷は開いた
そこから赤い夜は始まつた

私の眼は地上に落ちた
それは孤独の星であつた
私はもはや石灰の中に私を探さない
私はもはや私に出遇はない
私の行くところ
到るところ襤褸は立ち上がる

 ★

かつて唇に庭園はあつた
かつて石に涙の秩序はあつた
笑ひは空井戸の底に
倦怠は屋根にあつた
呼吸しない広場で
風の歌が鳴つてゐた
私のゐるとき
それはいつでも夜であつた
睡眠は壁の中に
星は卓子の上にゐた

富士原清一
「富士原清一詩集 魔法書或は我が祖先の宇宙学」所収
1944

鳥についての短い情報

小学館の図鑑NEO(ネオ) POCKET(ぽけっと)『鳥(とり)』(二〇一二)の、ページの下の部分に、一行で書かれた鳥についての情報の文章があるので、今回はそれを引用して、思ったことを書く
「春(はる)になると、鳥(とり)が繁殖(はんしょく)のために北(きた)へと旅立(たびだ)つのは、北方(ほっぽう)で食(た)べ物(もの)が多(おお)く発生(はっせい)するからです。」
多く発生するものはキノコで、キノコのようなフクロウがキノコを食べて中華料理の材料になる。北には白いシロフクロウがいて、とても丸かった、丸かった
「スズガモは貝(かい)をからごと飲(の)みこみます。からは胃(い)のなかで粉々(こなごな)にされ、はいせつされます。」
カモを見ると、ああ、あのカモの中で、貝殻は粉々になっているのだな、ということを思うことにする。サザエこなごなになる。カルシウムざらざらである、飛んでいる
「ミコアイサのオスは、顔(かお)のもようから、パンダガモの愛称(あいしょう)でよばれることがあります。」
白い部分が多いカモで、目のまわりが黒い、カモ科の鳥である。竹を、食べるのかもしれない。竹は貝殻のように粉々になるだろう。パンダは森で竹をバキッと折る
「鵜(う)飼(か)いは、ウに魚(さかな)を飲(の)みこませてとる漁(りょう)の方法(ほうほう)です。日本(にっぽん)ではウミウを使(つか)います。」
ウが飲み込んだ魚は缶詰の中身になって、金属の色で輝いて、店に暗く並んでいるだろう。店の看板や、缶詰のまわりには、〈新鮮な魚〉と書かれていて、水煮!水煮
「日本(にっぽん)のサギのなかまで、最(もっと)も小(ちい)さいのは、ヨシゴイです。」
アオサギはとても大きな動物であると思いながら、私は自分の上を飛んでいくバッサバッサのアオサギを見ていた。アオサギよりも人間よりも小さな指のような よしごい
「体(からだ)の大(おお)きな種(しゅ)をワシ、中型(ちゅうがた)以下(いか)をタカとよびますが、はっきりした区別(くべつ)はありません。」
イルカとシャチにあまり区別がないので、海岸でキノコを食べているウミウシのような生きものがバサバサ飛んだらシャチのようなタカだったりワシだったりする、みさご
「漢字(かんじ)で水鶏(すいけい)と書(か)いて、クイナと読(よ)みます。水辺(みずべ)にすむ鶏(にわとり)に似(に)た鳥(とり)、という意味(いみ)です。」
ヤンバルクイナがニワトリのようにたくさんいる風景が夢で、ヤンバルクイナの暗い顔が木に並んでいる版画。カラーの、着色された、版画で、めずらしい鳥の美術館
「ウミネコは、鳴(な)き声(ごえ)がネコに似(に)ていることから名(な)づけられました。」
ウミウシは鳴き声が牛に似ていたのかもしれないし、チョウザメは飛んでいた。チョウザメを見て、長いUFOであると思っていた。ミミズクはネコのような動物だった
「海(うみ)鳥(どり)の減少(げんしょう)は、漁(りょう)のあみにかかるものが多(おお)くいることも原因(げんいん)の1つといわれています。」
そのようにしてサメも減少している写真を見た記憶がある。鳥の肉も缶詰になって、私は缶詰が苦手で、缶詰が犬のように鳴くので、滑走する缶詰から逃げる私わたし
「ピジョンミルクは、全体(ぜんたい)の約(やく)74%が水分(すいぶん)です。ウシのミルク(牛乳(ぎゅうにゅう))は、約(やく)89%が水分(すいぶん)です。」
ハトはピジョンミルクを出してヒナを育てるのだ、という。ウミウシもナマコもドロドロになって、水分が牛乳よりも少ないのだろう。絵の具で海底に色を付けたのである
「フクロウ類(るい)の羽角(うかく)は、角(つの)や耳(みみ)ではありません。羽毛(うもう)です。」
ミミズクは鬼のような形相でネズミや地獄の人間を食べてしまうのだろうと思う。それから壁に貝殻を飾っていた。貝殻は虹の色にキラキラ光る熱帯の羽毛のような熱帯魚
「ブッポウソウのひなは貝(かい)がらや金属(きんぞく)を飲(の)みこみ、かたい甲虫(こうちゅう)を消化(しょうか)する助(たす)けにしています。」
めずらしい金属を飲み込むのかもしれなかった。テルルは貝殻のようなものである。甲虫も金属で、貝殻が羽で、壁に貼り付けて、壁を壁画にしてロココにしていた
「キツツキが木(き)にあけたあなは、小鳥(ことり)や小動物(しょうどうぶつ)が巣(す)あなとして利用(りよう)します。」
むささびは木の丸い穴から顔を出していた。穴は闇であった……むささびの顔の後ろに、闇が、広がっている。その穴はキツツキが彫刻したもので、リスの彫刻である
「カケスは鳴(な)きまねがうまく、ほかの鳥(とり)の声(こえ)だけでなく、救急車(きゅうきゅうしゃ)の音(おと)などもまねて鳴(な)きます。」
私が倒れた時、カケスの背中の上にいて、テーブルの上で名前や住所を紙に書いたり、話していたような記憶がある夜。カケスは乾いたゴジラのようなものだっただろうか
「トラツグミの気味(きみ)の悪(わる)い声(こえ)は、想像上(そうぞうじょう)の動物(どうぶつ)「ぬえ」の声(こえ)ではないか、といわれていました。」
わたしトラツグミの鳴き声を聞いた記憶がありますが、ヌエであるとは思わず、何であるのか全くわからないと思って眠っていた。ヨタカの声のようなものであると思った
「鳥(とり)の羽毛(うもう)には、ダニがついていることがあるので、さわったら手(て)洗(あら)いをしましょう。」
たくさんの小さな細かい虫が集まって宇宙を作るように鳥を作っているのであるのだな。羽毛はやがて腐ってバラバラになるだろうし、緑色になるだろうと思った
「フラミンゴミルクは、食道(しょくどう)の一部(いちぶ)である素(そ)のうから出(で)る、栄養(えいよう)ほうふな液体(えきたい)です。」
ハトがピジョンミルクを出すように、フラミンゴからはフラミンゴミルクが出るんだな。ドロドロな液体が多い地球なので演奏して歌ってしまうよ。なまこも歌うだろう
「シロハラウミワシのえものの90~95%が、魚(さかな)とウミヘビだったという研究(けんきゅう)があります。」
ウミヘビは、たくさん、いるんだな。私はウミヘビをあまり見たことがないような記憶がある。水族館でウミヘビがたくさん泳いでいると、水族館の屋根を破って鳥が来る!

小笠原鳥類
夢と幻想と出鱈目の生物学評論集」所収
2015