妖精の距離

うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった

脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた

麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
欲望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた

それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた

詩は形を持たぬ
という頑なな認識があり、私を捉えてはなさない。
書いているときの
ペンや鉛筆が紙を擦っているが、
これはこれで別の何かの仕事なのか?

言葉は処えらばず
遣って来て、掠めて去る。
私はおんなの名を呼びたいと思うとき
のように、その名を探している。

瀧口修造
「妖精の距離」所収
1937

One comment on “妖精の距離

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください