ニーナが、なまあたたかい舌で、わたしの右手をなめた。
「わたし、犬」
あたりをクンクン嗅ぎながら部屋の隅に這っていった。
そこにニーナの寝床が吊りさげられた毛布で仕切られている。
冬の間、アンドレシェフスキー夫妻はこの一室を使って暮らしている。ストーヴにオリーヴの根をくべて、わたしたちは数人で話していた。ニーナが犬を演じだしても誰も気にとめない。
わたしはニーナの犬をひとりじめにした。
ニーナが、「行かない」と言いだしたら行かない。オリーヴの若木のそばで、「これはニーナの木」と言ったとき、わたしには、ほんとうにそれがニーナの木のように思えた。
今は犬になってしまった。
食事になってもテーブルにつかない。這ったまま吠えているので、スープ皿を床におろしてやらなければならなかった。
スプーンを使わずにハアハア言って食べ終わると、ストーヴの火を見ている。じっとしているから、もう気がまぎれたのだろう、とひとりが話しかけてみても口をきかない。
しばらく頭を振っていたが、ぐったりとわたしの膝に寄りかかってきた。まだ、顔をあげて「ウーッ」とうなる。
なかなか犬をやめないのはわたしのせいもあるのかもしれない。
犬の気持をうけいれて、やわらかい赤い髪をなでている。
川田絢音
「サーカスの夜」所収
1984
「赤い髪」は川田絢音さんの許諾をいただいた上で掲載しております。
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頑なさが描かれているのがよいですね。
川田絢音さんの詩集は大分集めましたが、絶版になっている物が多く、こうして読ませていただけるのは有り難いです。