茜と云ふ草の葉を搾れば
臙脂はいつでも採れるとばかり
わたしは今日まで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂は採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤な臙脂の採れるのを。
与謝野晶子
1942
茜と云ふ草の葉を搾れば
臙脂はいつでも採れるとばかり
わたしは今日まで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂は採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤な臙脂の採れるのを。
与謝野晶子
1942
わが故郷は、日の光蟬の小河にうはぬるみ、
在木の枝に色鳥の咏め聲する日ながさを、
物詣する都女の歩みものうき彼岸會や、
桂をとめは河しもに梁誇りする鮎汲みて、
小網の雫に淸酒の香をか嗅ぐらむ春日なか、
櫂の音ゆるに漕ぎかへる山櫻會の若人が、
瑞木のかげの戀語り、壬生狂言の歌舞伎子が
技の手振の戲ばみに、笑み廣広ごりて興じ合ふ
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、楠樹の若葉仄かに香ににほひ、
葉びろ柏は手だゆげに、風に搖ゆる初夏を、
葉洩りの日かげ散斑なる糺の杜の下路に、
葵かづらの冠して、近衞使の神まつり、
塗の轅の牛車、ゆるかにすべる御生の日
また水無月の祇園會や、日ぞ照り白む山鉾の
車きしめく廣小路、祭物見の人ごみに、
比枝の法師も、花賣も、打ち交りつつ頽れゆく
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、赤楊の黄葉ひるがへる田中路、
稻搗をとめが靜歌に黄なる牛はかへりゆき、
日は今終の目移しを九輪の塔に見はるけて、
靜かに瞑る夕まぐれ、稍散り透きし落葉樹は、
さながら老いし葬式女の、懶げに被衣引延へて、
物歎かしきたたずまひ、樹間に仄めく夕月の
夢見ごこちの流眄や、鐘の響の靑びれに、
札所めぐりの旅人は、すずろ家族や忍ぶらむ
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、朝凍の眞葛が原に楓の葉、
そそ走りゆく霜月や、專修念佛の行者らが
都入りする御講凪ぎ、日は午さがり、夕越の
路にまよひし旅心地、物わびしらの涙目して、
下京あたり時雨する、うら寂しげの日短かを、
道の者なる若人は、ものの香朽ちし經藏に、
塵居の御影、古渡りの御經の文字や愛しれて、
夕くれなゐの明らみに、黄金の岸も慕ふらむ
かなたへ、君といざかへらまし。
薄田泣菫
「白羊宮」所収
1907
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、河岸の日のゆふべ、
日の光。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
眼科の窓の磨硝子、しどろもどろの
白楊の温き吐息にくわとばかり、
ものあたたかに、くるほしく、やはく、まぶしく、
蒸し淀む夕日の光。
黄のほめき。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、またも
いづこにか、
なやまし、あはれ、
音も妙に
紅き嘴ある小鳥らのゆるきさへづり。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
はた、大河の饐濁る、河岸のまぢかを
ぎちぎちと病ましげにとろろぎめぐる
灰色黄ばむ小蒸汽の温るく、まぶしく、
またゆるくとろぎ噴く湯気
いま懈ゆく、
また絶えず。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
いま病院の裏庭に、煉瓦のもとに、
白楊のしどろもどろの香のかげに、
窓の硝子に、
まじまじと日向求むる病人は目も悩ましく
見ぞ夢む、暮春の空と、もののねと、
水と、にほひと。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、ただにやはらかに、くらく、まぶしく、
また懈ゆく。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
北原白秋
「邪宗門」所収
1908
私は太陽を崇拝する…
その光線のためでなく、太陽が地上に描く樹木の影のために。
ああ、喜ばしき影よ、まるで仙女の散歩場のやうだ、
其処で私は夏の日の夢を築くであらう。
私は女を礼拝する…
恋愛のためでなく、恋愛の追憶のために。
恋愛は枯れるであらうが、追憶は永遠に青い、
私は追憶の泉から、春の歓喜を汲むであらう。
私は鳥の歌に謹聴する…
それは声のためでなく、声につづく沈黙のために。
ああ、声の胸から生まれる新鮮な沈黙よ、「死」の諧音よ、
私はいつも喜んでそれを聞くであらう。
野口米次郎
1947
たぶん工場通ひの小娘だらう
鼻のしやくれた愛嬌のある顔に
まつ毛の長い大きな眼をひらいて
夕方の静かな町を帰つてゆく
つつましげに
しかし何処かをぢつと見て
群を離れた鳥のやうに
まつすぐに歩いてゆく
気がついてみると少しびつこだ
其がとんとわからないのは
娘の歩き方のうまさ故だ
かすかに肩がゆれて
小さな包を抱へた肘が上る
銀杏返の小娘は光つた眼をして
ひきしまつた口をして
こざつぱりしたなりをして
愛嬌のあるふざけたさうな小娘は
しかし何処かをぢつと見て
緑のしつとり暮れる町の奥へ帰つてゆく
私は微妙な愛着の燃えて来るのを
何もかも小娘にやつてしまひたい気のして来るのを
やさしい祈の心にかへて
しづかに往来を掃いてゐた
高村光太郎
「道程」所収
1914
またしても
ごうと鳴る風
窓の障子にふきつけるは雪か
さらさらとそれがこぼれる
まつくらな夜である
ひとしきりひつそりと
風ではない
風ではない
それは餓ゑた人間の聲聲だ
どこから來て何處へ行く群集の聲であらう
誰もしるまい
わたしもしらない
わたしはそれをしらないけれど
わたしもそれに交つてゐた
山村暮鳥
「風は草木にささやいた」所収
1918
青い桃をもぎとって
ふところへ入れると
女のような
華麗な表情になる
心臓に
桃がかちあふ
田舎道は熱烈で
喰ひ欠くと桃は真赤になる
自分は松の木によりかゝつて
川の南風をうけながら
大きい田舎の女と
真夏のおしやべりをする
佐藤惣之助
1942
私の耳の中では
ソバカラを鳴らすやうな
少しのしめり気もない乾ききつて
鉄砲をうちあふやうな音がきこえた
私は心で呟やく、あゝ、まだ戦争がつゞいてゐるのだと
とてつもない大きな大砲の音がひびく
ほんとうの戦争よりも激しい
貧困とたゝかふ者もある
そして夜がやつてくると
どしんどしんと窓は何ものかに
叩きつけられて一晩中眠れないのだ
やさしい秋の木の葉も見えない
都会の裏街の窓の中の生活
ときをり月が建物の
屋根と屋根との、わずかな空間を
見せてならないものを見せるやうに
しみつたれて光つて走りすぎる
煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も
これ以上つづくであらうか
愛といふ言葉も使ひ古された
憎しみといふ言葉も使ひ忘れた
生きてゐるといふことも
死んでゆくといふことも忘れた。
ただ人はゆるやかな雲の下で
はげしく生活し狂ひまはつてゐる。
私の詩人だけは
夜、眠る権利をもつてはいけない
不当な幸福を求めてはならないのだ
夜は呪ひ、昼は笑ふのだ
カラカラと鳴るソバカラの
耳鳴りをきゝながら
あゝまだ戦争は野原でも生活の中でも
つづいてゐるのだと思ふ。
そのことは怖れない
人民にとつて「時間」は味方だから
人と時とはすべてを解決するのだらう。
小熊秀雄
「哀憐詩集」所収
1940
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。
郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。
萩原朔太郎
「宿命」所収
1939