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無限に

一人が淋しい、

いやだ。

三人行くと、

二人の談話はよくあふが

やはり一人が淋しい、

いやだ。

そんなら五人はどうだ、

手を握る二組ができて

一人が残される。

その一人が淋しい、

無限に。───

七人、九人、十一人と、

奇数は無限にさびしい一人を生む

母の影だ。

一人が淋しい、

いやだ。

 

山村暮鳥

山村暮鳥全集「拾遺詩篇」所収

1924

The Lighted Window

 He said:

“In the winter dusk

When the pavements were gleaming with rain,

I walked thru a dingy street

Hurried, harassed,

Thinking of all my problems that never are solved.

Suddenly out of the mist, a flaring gas-jet

Shone from a huddled shop.

I saw thru the bleary window

A mass of playthings:

False-faces hung on strings,

Valentines, paper and tinsel,

Tops of scarlet and green,

Candy, marbles, jacks—

A confusion of color

Pathetically gaudy and cheap.

All of my boyhood

Rushed back.

Once more these things were treasures

Wildly desired.

With covetous eyes I looked again at the marbles,

The precious agates, the pee-wees, the chinies—

Then I passed on.

 

In the winter dusk,

The pavements were gleaming with rain;

There in the lighted window

I left my boyhood.”

 

Sara Teasdale

From “Rivers to the Sea”

1915

愛の詩集に

室生君。

僕は今君の詩集を開いて、

あの頁の中に浮び上つた

薄暮の市街を眺めてゐる。

どんな惱ましい風景が其處にあつたか

僕はその市街の空氣が

實際僕の額の上にこびりつくやうな心もちがした。

しかしふと眼をあげると、

市街は、──家々は、川は、人間は、

みな薄暗く煙つてゐるが、

空には一すぢぼんやりと物凄い虹が立つてゐる。

僕は悲しいのだか嬉しいのだか自分にもよくわからなかつた。

室生君。

孤獨な君の魂はあの不思議な虹の上にある!

 

芥川龍之介

「愛の詩集」所収

1918

扣鈕

南山の たたかひの日に

袖口の こがねのぼたん

ひとつおとしつ

その扣鈕惜し

 

べるりんの 都大路の

ぱつさあじゆ 電燈あをき

店にて買ひぬ

はたとせまへに

 

えぽれつと かがやきし友

こがね髪 ゆらぎし少女

はや老いにけん

死にもやしけん

 

はたとせの 身のうきしづみ

よろこびも かなしびも知る

袖のぼたんよ

かたはとなりぬ

 

ますらをの 玉と碎けし

ももちたり それも惜しけど

こも惜し扣鈕

身に添ふ扣鈕

 

森鴎外

うた日記」所収

1907

はつ鮎

藁科川に初鮎をつるかたがた

もしや脚絆わらぢの釣り支度で

竿をもたない年寄りがいつたら

お邪魔でもすこし席をあけて

釣りを見せてやつてください

背の高い半身不随の

もののいへない年寄です

彼はわれとわが心から

淋しく 苦しく 不仕合せで

釣りのほかには楽しみがなく

これといつて慰めもありません

老衰のうへに病気もてつだつて

重たい鮎竿がもてないため

さうしてひと様の釣りを見てあるきます

そんな老人にお逢ひでしたら

私の伝言を願ひます

私はここにきてゐると

うきや糸まきおもりなど

かたみの品もあるから

ゆつくり寄つて休むやうにと

どうぞ皆さんお願ひします

彼は私の亡くなった兄です

 

中勘助

「藁科」所収

1951

わかれる昼に

ゆさぶれ 青い梢を 

もぎとれ 青い木の実を 

ひとよ 昼はとほく澄みわたるので 

私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ 

 

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる 

追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで 

単調な 浮雲と風のもつれあひも 

きのふの私のうたつてゐたままに 

 

弱い心を 投げあげろ 

噛みすてた青くさい核を放るやうに 

ゆさぶれ ゆさぶれ 

 

ひとよ 

いろいろなものがやさしく見いるので 

唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ 

 

立原道造

萱草に寄す」所収

1937

赤いマリ

私は野原へほうり出された赤いマリだ!

力強い風が吹けば

大空高く

鷲の如く飛び上る。

 

おゝ風よ叩け!

燃えるやうな空気をはらんで

おゝ風よ早く

赤いマリの私を叩いてくれ。

 

林芙美子

蒼馬を見たり」所収

1929

臥床に私の精神が透徹つてくるときがある

土の上に生きて居ると云ふことが

ひとりでにほゝえまれてくるときがある

晝間は私から遠ざかつてゐたものが

ことごとく私をみつめて私の周圍へにじりよつてくるので

この押詰つた瞬間をもて餘して遂に泣けてしまふ時がある

 

どんなときにも子供は晴やかに話しかける

すでに子供ではない私しに話しかけてくれる

私は眞劒に子供の話しを聞いてやらなければならない

 

すべてを父と母との愛に任せ

よなよな

丹念に玩具の積木を積上げる子供にはいさゝかの不安もない

たゞそのかたわらにその子の父である私が

その積上げられたりこわれたりにほろほろになつてしまふ

 

みんなねむれよ

お互ひをへだてゝゐる間の灯を消して

口を閉ぢて靜かにねむつてしまへ

私は暗がりに みんなの安らかな寝息をきいて

ねむりとともにみんなのこゝろが一ツによりそつてゆくのをおもふ

 

あゝかくも子供は私しを慕つてくれるし

妻はかくも限りなく信頼してくれるのに

私はみた

ねむりの中にもその子供の丸い背に投げかけてゐる妻の手に

そのすきまのないいつぱいの緊張を

 

かなしいものにめざめた臥床をめぐつて

夜明前の冷氣がしんみりと沁込んでくるこの部屋のこの暗がりに

私はむつくりと蒲團の上に置直つて

自分自身の両手をしつかりと組合せ

自分自身の秘密な考へに興奮する

 

瀨尾貞男

「岐阜県詩集1933」所収

1933

月夜

姉は二十九で死んだ

つまり その人の

二十九歳までしか

私は知らない

故郷の 古い庭が

いい時候になると

姉はそこの椅子に坐つてゐた

花が好きだつた

物の成長が好きだつた

それだのに 自分の生命は

あんなに 気忙しく

燃やしてしまつた

花弁を顔にあてがふと

泣き笑ひのやうな表情をした

そんなに

寂しい顔の娘だつた

 

今では

私の父も 姉の傍にゐる

ついこの間まで私の側にゐた父が

「男の子たちは

まるで花には無関心でね」

情の声である

「まあ そして私の庭は・・・・」

 

私達 私たちの生の側には

いい月夜がある

それで きつと

情や姉のことを思ひ出すのだらう

 

津村信夫

「詩集 父のゐる庭」所収

1942

安乗の稚児

志摩の果安乗の小村

早手風岩をどよもし

柳道木々を根こじて

虚空飛ぶ断れの細葉

 

水底の泥を逆上げ

かきにごす海の病

そゝり立つ波の大鋸

過げとこそ船をまつらめ

 

とある家に飯蒸かへり

男もあらず女も出で行きて

稚児ひとり小籠に坐り

ほゝゑみて海に対へり

 

荒壁の小家一村

反響する心と心

稚児ひとり恐怖をしらず

ほゝゑみて海に対へり

 

いみじくも貴き景色

今もなほ胸にぞ跳る

少くして人と行きたる

志摩のはて安乗の小村

伊良子清白

孔雀舟」所収

1905