みゝずのうた

   この夏行脚してめぐりありけるとき、或朝ふと

   おもしろき草花の咲けるところに出でぬ。花を

   眺むるに餘念なき時、わが眼に入れるものあり、

   これ他の風流漢ならずして一蚯蚓なり、おかし

   きことありければ記しとめぬ。

 

わらじのひものゆるくなりぬ、

まだあさまだき日も高からかに、

ゆうべの夢のまださめやらで、

いそがしきかな吾が心、さても雲水の

身には恥かし夢の跡。

 

つぶやきながら結び果てゝ立上り、

歩むとすれば、いぶかしきかな、

われを留むる、今を盛りの草の花、

わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、

この花だにあらばうちもえ死なむ。

 

そこ這ふは誰ぞ、わが花の下を、

答へはあらず、はひまわる、

わが花盗む心なりや、おのれくせもの、

思はずこぶしを打ち擧げて

うたんとすれば、「やよしばし。

 

「おのれ地下に棲みなれて

花のあぢ知るものならず、

今朝わが家を立出でゝより、

あさひのあつさに照らされて、

今唯だ歸らん家を求むるのみ。

 

「おのれは生れながらにめしひたり、

いづこをば家と定むるよしもなし。

朝出る家は夕べかへる家ならず、

花の下にもいばらの下にも

わが身はえらまず宿るなり。

 

「おのれ生れながらに鼻あらず、

人のむさしといふところをおのれは知らず、

人のちりあくた捨つるところに

われは極樂の露を吸ふ、

こゝより樂しきところふらず。

 

「きのふあるを知らず

あすあるをあげつらはず、

夜こそ物は樂しけれ、

草の根に宿借りて

歌とは知らず歌うたふ。」

 

やよやよみゝず説くことを止めて

おのがほとりに仇あるを見よ。

智慧者のほまれ世に高き

蟻こそ來たれ、近づきけれ、

心せよ、いましが家にゆるぎ行きぬ。

 

「君よわが身は仇を見ず、

さはいへあつさの堪へがたきに、

いざかへんなん、わが家に、

そこには仇も來らまじ、安らかに、

またひとねむり貪らん。」

 

そのこといまだ終らぬに、

かしこき仇は早や背に上れり、

こゝを先途と飛び躍る、

いきほひ猛し、あな見事、

仇は土にぞうちつけらる。

 

あな笑止や小兵者、

今は心も強しいざまからむ。

うちまはる花の下、

惜しやいづこも土かたし、

入るべき穴のなきをいかん。

 

またもや仇の來らぬうちと、

心せくさましほらしや、

かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、

ゆきてはかへり、かへりては行く、

まだ歸るべき宿はなし。

 

やがて痍もおちつきし

敵はふたゝびまとひつく。

こゝぞと身を振り跳ねをどれば、

もろくも再びはね落され、

こなたを向きて後退さる。

 

二つ三つ四ついつしかに、敵の數の、

やうやく多くなりけらし、

こなたは未だ家あらず、

敵の陣は落ちなく布きて

こたびこそはと勇むつはもの。

 

疲れやしけむ立留まり、

こゝをいづこと打ち案ず。

いまを機會ぞ、かゝれと敵は

むらがり寄るをあはれ悟らず、

たちまち背には二つ三つ。

 

振り拂ひて行かんとすれば、

またも寄せ來る新手のつはもの、

蹈み止りて戦はんとすれば

寄手は雲霞のごとく集りて、

幾度跳ねても拂ひつくせず。

 

あさひの高くなるまゝに、

つちのかわきはいやまして、

のどをうるほす露あらず、

悲しやはらばふ身にしあれば

あつさこよのふ堪へがたし。

 

受けゝる手きずのいたみも

たゝかふごとになやみを増しぬ。

今は拂ふに由もなし、

爲すまゝにせよ、させて見む、

小兵奴らがわが背にむらがり登れかし。

 

得たりと敵は馳せ登り、

たちまちに背を蓋ふほど、

くるしや許せと叫ぶとすれど、

聲なき身をばいかにせむ、

せむ術なくてたをれしまゝ。

 

おどろきあきれて手を差し伸れば

パッと散り行く百千の蟻。

はや事果しかあはれなる、

先に聞し物語に心奪はれて、

救得させず死なしけり。

 

ねむごろに土かきあげ、

塵にかへれとほふむりぬ。

うらむなよ、凡そ生とし生けるもの

いづれか塵にかへらざらん、

高きも卑きもこれを免れじ。

 

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、

前にも増せる花の色香。

汝もいつしか散らざらむ、

散るときに思ひ合せよこの世には

いづれ絶えせぬ命ならめや。

 

北村透谷

1894

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