風と語る言葉

いとけなき少年の日より

私は常に魂のありかを風に求めてゐた

空にそよぐ葉つぱから、初めて人間の智慧を拾うてから

私は風と話をする心をもつた

今、私は母と散歩に出たある夕暮れを思ひ出す

道のほとりに風に散った木の葉より

秘められた人間の悲哀を拾うたことを思ひ出す

その木の葉を掌にとつて

「風はどこからも生れやしない

風は土に萌え出た人間の愛葉脈さみしい草の愛木の葉のような心に生れて

どこにも住家なくまづしい灰色の寝台をそこここにおくきりなのだ」

さう呟いた憂欝な日から私は風と話をした

 

何時であつたか

「生れたのは嘘だ、信ずるのも嘘だ、さういふ気がします」

ひとり私が祈禱の夜だった、雨と太陽に、日に焼け痩せた顔を見せて、言つたことがあるそれも忘れた日であつた

「未だお考へはつきませんか」と

庭の椅子の本のペーヂに面ふせてゐたとき

風は樫の葉の上から、私の首に手をかけて言つた

「否」私はさう言つて、また本を読んだ

結局本はさみしさの泉で

さういふ風の話のみが、私を生かして来た

 

私がいつも黙つてゐると

風はさみしく其処に坐つてゐるのを見る

夕暮れ首をすぼめて

高い空の方から、小鳥や雲とたはむれる姿とも思へず

帰つてゆく風は、窓辺に来て沈んでゐる

「ご飯は?」とその寒げな姿に言ふ

「腹が空いても菜つ葉のやうなさみしい空気きりなんです」

「草の根のやうなものを嚙み水のやうに下るのも我慢するのです」

「痩せましたねお貰ひさん!あたたかにしておいでお貰ひさん」

さうも言はれさうだ

夕暮れ門口に立つた、思ひやり深い家婦の瞳に

 

痩せた魂は何処まで吹かれてゆくのだらう

風もそれは知らないと言ふ

生れればもう吹かれるそれだけが真実だと言ふ咽喉も痛い悲しい思ひを呑み下して血とするきりだといふ

愛は悲しみで木の葉が真実を知つてゐるきりだといふ

立ち上る煙や木の葉が美しかつた朝は

あなたのお祈りをしばし自然の小さい者にかけて下さい

私はどつかでよろこびますと言ふ

風はさう言つて一層さびしい顔をくもらせる

おお私は人間の世のことは風にたづねまい

風は木の葉に自分は窓に共に語らう

 

春もま近いきさらぎとなつた

風よ野に行かう草原に日の照る所に

せめて君や草や私達三人してお互いにしんみりと話し慰め合ふ

今日はあたたかい土曜の午後だ

春あさい丘にまろくすわつて話でもきかしておくれ

草木芽ぐむ春を小鳥さへづる春を見も知らぬ処女の胸に思ひわく春を

たくさんの慰めを詩として私に与へておくれ

 

萩原恭次郎

1919

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