詩集の美「はじまりはひとつのことば」

たたずまいの良い本というのがあると思います。
言葉では伝えにくいのですが、実際にふれてページをめくっていると、何ともいえない落ち着きの良さを感じるような本。

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この覚和歌子さんの「はじまりはひとつのことば」もそのような本のひとつです。
出版は「港の人」。活版印刷の詩集等も手がける鎌倉の出版社です。社名は北村太郎の詩から取ったとのこと。

まず、手触りが良いです。軽い上質な紙に絶妙な大きさに配置されたフォント。持っていてページをめくっているとそれだけで心が落ち着くようです。

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それから、細かい話ですが、本のページを開いて、机に置いても、紙がめくれません。
もう少し説明しますと大抵の本はページを開いておくと、紙が背表紙の糊面に引っ張られて、ページがばらっとなってしまいます。ところが、この本はそうならないのです。ふわりと開いたページを保持してくれます。製本の技術がしっかりしているからなのでしょうか?

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もうひとつ細かい話をすると(装丁について語るとどうしても話がディテールに傾きます)表紙の題字は型押しされています。写真では分かりにくいかもしれませんが、少しくぼんでいるのが見えるでしょうか?そしてその中の「こ」の字にのみ、薄い緑色が付けられています。

この隅々まで気の配られた装丁に29編の覚和歌子さんの詩篇が収められています。
1995年から2016年まで20年間に渡ってつづられてきた作品をまとめており、それぞれ大きくカラーが異なります。
四季の春夏秋冬それぞれを作品にしたバースデイカードのシリーズや、短い詩を連ねていく連詩。また渡部陽一さんの朗読CD用に書き下ろされた作品など。
ひとつひとつを大事に読んでいきたいです。
定価は2000円(税抜き)Amazonでの購入はこちらになります。

当サイトではこの中からタイトルでもある「はじまりはひとつのことば」を紹介しております。
ぜひご覧になってください。

古い詩集

僕は羽の汚れたペンで
少年のやうな詩を書いた
詩はいぢらしい詩集に編まれて
世の風の中にちらばつていつた
僕からも失くなつていつた

幾年――
僕は詩集をさがして歩いた
昨日 さびれた或る古本屋で
なつかしい彼に逅った
彼は十五銭
棚の埃にのってゐた

一円で僕は買はうと思つた
手にとってぺーヂをめくると
昔住んでゐた町角の夕陽が見えた
そこから黄ばんだ犬が一匹吠えて出て
僕の肩に跳びかかつた

丸山薫
「物象詩集」
1941

竹売りが竹売りに来る
妻が竹売りと大声で話している
まけろ、まけぬの問答がつづく
やがて竹売りが去り
新しい青竹が軒ばたにたてかかる
青竹がからりとした新緑の空に映える
私は青竹をつたって天にのぼる
じつに毎日天にのぼる
じつに毎日天からはきおとされる
ああ、病癒えず いまは毎日はきおとされているのである
はきおとされては
またかけのぼる日のことを考え
またはきおとされているのである
私は竹のような痩せ腕をさする
妻はせわしいせわしいと 新しい
青い生きものをふるように物干し顔をふりまわし
陽あたりのいい場所をみつけている

遠地輝武
「遠地輝武詩集」所収
1961

昼顔順列

昼顔は女だ
わたしは女だ
女は昼顔だ
昼顔はあなただ
あなたは女だ
わたしは昼顔だ
女はあなただ
あなたは昼顔だ
女はわたしだ
昼顔はわたしだ
わたしはあなただ
あなたはわたしだ

吉原幸子
「昼顔」所収
1973

奈々子に

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。

吉野弘
消息」所収
1957

山鴫

谷間は暮れかかり
燐寸を擦ると その小さい焔は光の輪をゑがいた

やうやく獲た一羽の山鴫
まだぬくもりのある その山鴫の重量に
私はまた別の重いものを感じた

雑木林を とびたった二羽の山鴫
褪せかけた夕映が銃口にあった

田中冬二
「晩春の日に」所収
1961

樹下の二人

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

高村光太郎
智恵子抄」所収
1923

旅情

ふと覚めた枕もとに
秋が来ていた。

遠くから来た、という
去年からか、ときく
もつと前だ、と答える。

おととしか、ときく
いやもっと遠い、という。

では去年私のところにきた秋は何なのか
ときく。
あの秋は別の秋だ、
去年の秋はもうずっと先の方へ行つている
という。

先の方というと未来か、ときく、
いや違う、
未来とはこれからくるものを指すのだろう?
ときかれる。
返事にこまる。

では過去の方へ行ったのか、ときく。
過去へは戻れない、
そのことはお前と同じだ、という。


がきていた。
遠くからきた、という。
遠くへ行こう、という。

石垣りん
表札など」所収
1968

隣りの死にそうな老人

隣りに死にそうな老人がゐる

どうにも私は
その老人が気になつてたまらない
力のない足音をさせたり
こそこそ戸をあけて這入つていつて
そのまま音が消えてしまつたりする
逢ふまいと思つてゐるのに不思議によく出あふ
そして
うつかりすると私の家に這入つてきそうになる

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

未婚の妹

昨日
ペルシャが死んだ
そういった季節が近づいていると私には分かっていたが、ペルシャは気丈に振る舞っていた。ある日、天鵞絨の鱗が点々と落ちているのをみつけ追いかけてみると、大きな珊瑚礁の裏で、小指だけ腐らせて死んでいた。

焼けた骨の前でたくさんの女たちが列をつくり誰かの対岸であり続けた。砂浜のように広がった骨に無数の鱗が混ざっている。前に並んでいた、背の低い女はそれを一枚つまみあげ、舌で粉をぬぐうと、蛍光灯に透かしてみせた。
「彼の瞳の色と全く同じね」
「はあ」
「私、ペルシャの鱗がずっと欲しかったの。他人の鱗って、なかなか拾えるものじゃないでしょ。自分の鱗なんかはシャワー浴びると排水口にいやというほど溜まってくるけど。でもそれって、彼の瞳が欲しいだけだったのかもしれない」
女は、長い爪をジェルで磨きあげていた。
「あなたが一番はじめにペルシャの死体を見つけたんでしょ」
「そうです」
「私だったら、目玉をひとつ、持って帰る。いや、色のついたところだけ少し削って、あとはそのままにしておく。誰にも気づかれないように」
「目玉以外は、いらないんですか」
「うん。だって私、ペルシャの目玉が炎の熱でぞんざいに燃えてゆくことを思うとどきどきして嬉しくなる。瞳が好きだからって、ペルシャの全部を好きになる必要なんてないじゃない」
女たちは泣くこともなく
淡々と作業を進めていった
やがて、私の番になった
はしで小さな骨をつかみ、
妹がまたそれをつかむ
ペルシャの骨を運ぶ妹のことを
細い糸で絡め取るように女たちは眺めた
それをはねのけるように妹は、
「私がペルシャのかわりをしなきゃいけないってことでしょ」
と言う
大きい骨を納め終わると
どこからかぬるい女がやってきて
ホームセンターで売っているような
灰色のちりとりで粉まで壷に収めた
(シーシーシー)
(鱗が骨にぶつかる音)

妹はすべてわかっていたようだった
妹は私より二週間も遅く生まれたが、気がつけばペルシャの次に身体が大きかった。
それでも私は、妹は、ずっと、妹であるものと思い込んでいた。
「お姉ちゃん、不安なの」
「いや」
「わかるよ。ペルシャって、みんなからばかにされていたものね。みんなペルシャのこと、大好きだったのに。でも大好きだったからばかにするんだよ、怖いし悲しいから」
「おまえはばかにされないよ」
「いや。お姉ちゃんは私のこと、怖くなるんだわ」
妹は妙に疑り深いところがあった
そのくせすぐあきらめたような
哀しい受容のしかたをする
「ペルシャにね、一度だけ家に招待されたことがある。そこで、いろいろ話したの。今の身体になる前の話とか。帰り際、指で剥きたてのざくろをねじこまれた。唇がつぶれて、赤く腫れたよ。その時から、もうずっと、今日のことばっかり考えてた」
「知らなかった」
そう答えると
何かを思い出そうとして唇に触れた
「私たちのパパも、昔は女だったんだわ」

妹は私のとなりで初潮をむかえた
その訪れさえも
妹は知っているように思えた
「赤いかな」
「わからない、暗いから」
「ああ。朝が来るのがこわくなった」
妹の鱗が息するように蠢いた
「私、青い血が流れている生き物をしっている。みんな子どもを残さないの、闇から生まれて、闇に還るから。私もそうだったらいいのにってずっと願ってた。青いといいな」
妹は水浴びをしに布団を抜け出す
シーツを洗ってやる
(しかし
私のからだの
まっくらなところを流れているその血は
果たして
赤い色をしているのだろうか)

家に帰ると、妹は荷物の整理をはじめた
「無くなっちゃうんだね」
「何が」
「子宮とか」
「・・・・そうだね」
「とっておくことってできないかな」
「腹を切るってこと」
「そうじゃなくて」
もどかしそうな顔をする
「ペルシャはすっかり、子宮のことなんて忘れてしまっていた。だってペルシャが働かなければ私たちは殖えてゆかないから。でも私、きっと男になっても忘れないわ。なにもかも、全部忘れない。悲しいことも全部。それにペルシャの子宮、焼け残ってた。残ってたの」
「そう」
妹は葬式の後に何を言うか
ずっと前から考えていたのだろう
「私が燃えるまで、あなた死んだらだめだからね。見てよ、確かめて」
(だからそれまでお姉ちゃんの子宮二人で大事にしよう。私はずっとあなたの妹でいたいだけだから)

久しぶりに布団を並べて二人で寝た
妹は私の布団にもぐりこむと
私の腹に両腕をまわし
ぴったりと背中に額をつけて言った
「お姉ちゃん約束して」
「なに」
「朝が来るまで、振り向いちゃだめよ」
「うん」
「でもずっとそこにはいて」
「わかった」
ペルシャのこどもはペルシャの鱗の数よりも多く今も街中にあふれてゆき、私はどんどん小さくなる、瞼をおろせば私は橋の上に立っている、妹の名前を呼ぶ、私は妹がざくろを食べたことを知っていたような気がした。夢で見たのだ、その時は私が食べさせた、鶴が、琴を持った男が、思い出が、妹の子宮が、河を流れてゆく

私のとなりで
女がうまれて女が死んで
男がしんで男が産まれて
妹がうまれて妹が死んで
弟がしんで弟が産まれて
私がうまれて
私だけがうまれ続けて

水沢なお
現代詩手帖2016年1月号初出
2016