秋夜

とんぼをつかまえ、蝉をとって帰るたび
母は眉をひそめて言った
「可哀想だから放しておやり」母はわたしがとんぼや蝉をとるのを嫌がった

若くて死ぬ人はこころが弱いか
こころが弱いからこの世をながく
生きぬくことができなかったか
二十七歳で母は死んだ

母が死んでからわたしはとんぼや蝉をとらなくなった
小さな虫たちの生命を大切にするようになった
幼い頭に母の言葉が沁みこんでいたのだろう
そして内気な寂しい子にもなった

秋の夜 ひとり机に向っていると
燈火を慕ってさまざまな虫がはいってくる
かるい羽音をたてて燈火をめぐり机に落ちる
わたしは捕えてはひとつひとつ窓から放してやる

大木実
「月夜の町」所収
1966

猿の日

 私たちの「猿の日」は、二年に一度、やって来る。慣れて見れば、深く詮索するほどのことをする日ではない。ただ、永く、何代となく続いてきた行事があるのだ。
 その日、私たちの娘という娘は、どの家でも、全裸になって、一日、そのための黒く塗られた袋に入って過ごす。どの家の娘も例外はないのだ。
 その小さな闇のなかで、一切の物音をたてず、一日、出て来てはいけないのである。もちろん、そのことに反抗する初めての娘がいる。だが、泣き叫ぶ彼女も、手足を縛られ、やがて、袋に入ることになる。
 それだけのことだ。ただ、彼女たちが、袋に入るときに、必ず、それぞれ、一輪ずつ水仙の花を持っているのを、誰かが見届けて、袋の口を結わえるのである。
 何故、それが、水仙の花でなければならぬのか。何故、黒く塗られた袋でなければならないのか。何故、病気の娘まで、全裸にならねばならないのか。
 多くの古い風習に似て、「猿の日」のことについては分からないことばかりだ。大体、猿の日が、どうして、猿の日なのか、何が猿なのか、知る者はいないのだ。
 この日を、人々は、普通の日と、全く、変わりなく仕事をして過ごす。ただ、彼らはきわめて無口である。その日が、猿の日であることを、一切、口にしない。もっとも、他の日でも、誰もが、猿の日のことは、絶対に、言葉にしてはならないのである。
 あるいは、それが、私たちの猿の日の、最も大事なことかも知れない。そのために、信じられぬほど、永い年月、それは、続けられて来たのかも知れない。
 数えきれぬ娘たちを、小さな深い闇に閉じこめて。
 ──夕暮れになると、彼女たちは、袋から出され、今度は、美しく粧って、遠い湖に向かう。いかなる呪縛によるのか。その夜、湖のほとりでは、夜明けまで、沢山の灯が揺れて、泣くような男女の歓びの声が、そこかしこで聴かれるのである。

粕谷栄市
「悪霊」所収
1989

乳の流れる歌

「雌ラクダをなだめる習慣」、ユネスコ無形文化遺産に登録
11月30日~12月4日にかけて、ナミビアのウィントフックでユネスコ無形文化遺産保護条約第10回政府間委員会会議が行われた。会議でモンゴルの「雌ラクダをなだめる習慣」が賛成され、緊急に保護する必要がある無形文化遺産に登録された。「雌ラクダをなだめる習慣」とは。子ラクダを拒絶した雌ラクダは、草も食べず水も飲まなくなって、毛並みも悪くなり、群れから離れて一頭で遠くを見て、時々ふり返っては鳴くようになる。そんな時、遊牧民はラクダの母子の心を通わせるための知恵を働かせ、雌ラクダを子ラクダに慣らすため叙情歌を歌うのである。リンベ(横笛)やモリンホール(馬頭琴)の伴奏で特別な歌を歌うと、母子が感動し心を通わせるようになる。この歌の内容は、栄養たっぷりの乳を飲むために生まれてきた可愛い子ラクダを、どうして拒絶するのか。朝起きると唇をぴくぴくさせて待っている。どうか濃い乳を飲ませてやって「フース、フース、フース」、「フース、フース、フース」などと、3、4番まで歌うと、雌ラクダの目から涙がこぼれて子ラクダに乳をやるようになるのである。(FBモンゴル通信より)

「どうか濃い乳を飲ませてやって」「フース、フース、フース」と
3、4番まで歌うと

母ラクダの目から涙がこぼれ、子ラクダに乳をやるのである

育児放棄したラクダの母と子に
こころ通わせるために、歌われる叙情歌

ホー、ソーソー、ソーソーソー(わたしにはそのように聞こえる)
だがしかし・・・

はじめて
乳が出るときのズキンとした痛みをわたしの胸は
覚えている

あのラクダの母親の涙は
母と子のこころが通った、涙ではない。

あれは自分のからだの中の血が、乳に変わるときの
痛みに、こぼれた涙だ。

閉ざされた自分が
開こうとする自分の未知の力に、敗れたときに疾る・・・痛み
それは、

ちのみごがいて
ちのははがいる

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
見よ。
わたしたちのからだもまた
血が流れる、
戦場なのだ。

怒りがあり、憎しみがあり
決壊を待つ、沸騰がある。
ちのみごがいて
ちのははがいる

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
血を流すのではない
わたしを敵に明け渡すのではなく
わたしをわたしに明け渡す
つぎの命を育てる
乳を流す

赤い血が、赤味を漉して、白い乳に変容したときの
身の内にも戦いがある

血と血の、戦いを戦うな
血を流す人と人の、血を流す国と国の
こころ通わせるために、歌も言葉もあるのだと

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
傷口から噴き出す
怒りの血を
傷口にあてがわれた唇に
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
注いで憎しみを育てるわけにはいかないと
血はみずからに敗れて
血を乳に変えるために。

血は泣くのだ、赤いまま流れることをこらえて
父母が流した血と
赤い同じ血を、血は流れたくて

血は泣くのだ、まだ終わっていない、怒りを
まだ終わっていない、悲しみを

血は泣くのだ
こどものように、痛くてなくのだ
母になる前に

ちは
なみだをこぼして
ちちになる

険しい峠をこえるように
じぶんの赤さをこえて
母になるために

ゆるせないものを
ゆるすために

ちを
いのちにかえるために

血はいちど
あまりのいたみに
その目に
涙をこぼすのだ

白い
乳になるまえに

しを
いのちにかえるために

血の流れる歌から
乳の流れる歌になるために

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー

宮尾節子
晴れときどき」宮尾節子ブログより転載
2016

なんにもなかつた畳のうへに
いろんな物があらはれた
まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
声をかぎりに詩を呼び廻はつて
白紙のうへにあらはれて来たやうに
血の出るやうな声を張りあげては
結婚生活を呼び呼びして
をつとになつた僕があらはれた
女房になつた女があらはれた
桐の箪笥があらはれた
薬罐と
火鉢と
鏡台があらはれた
お鍋や
食器が
あらはれた

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

そのふくふくとしてやらかいもの。

子どもはふくふくとやらかいものをくばるので
ママはわたしをとしょうりのところに連れて行く。

子どもはてぇげぇはんけなので
ぼけたみかんを大わらいして
二つたべて、三つたべて、四つめを半分こしてたべられる。
子どもはこたつの角にさす西日を
きれいと思い、
たいくつを転がして
しかし笑いながら、
指先でその影をなぞってあそぶことができる。

子どもはしわしわの千円札の、
価値がわからなくても、意味を見ることができる。

今日会ったとしょうりが近いうちまるぶのは、
とてもよくあるおはなしなので、わたしは名前をおぼえたりしない。
ママはわたしを色んなとしょうりのところへ連れて行くので、
初めて会うとしょうりに、ぼうくなって、と言われると
その人が知ってるわらいがおになれる気がする。
最後にわたしに会えてうれぇしかったろうあの人は、とママがゆうので
わたしはママの、ありがとうねぇ、ということばだけおぼえて
その人がまるぼことはわすれる。

ふくふくとやらかいものを置いて帰る道で
ママは、としょうりは子どもを見るとうれぇしけだら、とゆうので
ふくふくとやらかいとはわたしのうれしけことと知る。

ママは少し小さくなったので
わたしは左右にゆれながらちぃと大またに歩いて
だからふだんもまっすぐに歩かない。
わたしはママのもってる千円札も
きっとしわしわなんだろうとおもっている。

しかしてぇげぇとしょうりは先にまるばぁんて
時々おもう。ふりかえったら
だれもいない。しかし
だれもいないところから来て、
だれもいないところにわたしは帰ってしまうから
だれもいないのは始めからかと
おもい出して、ママとふたり
左右にゆれて、歩いて帰る。

右手にさっき半分にわったみかんを持っている。
西日のときの影は、長くてあたまはねぇこくて
わたしは影の、あたまの先を
手をのばしてなでてみる。

そのふくふくとしてやらかいもの。

清水あすか
「頭を残して放られる」所収
2006

長い髪によごれたリボンを結んであそぶ彼の女

長い髪によごれたリボンを結んであそんだ彼の女は
夜になると部屋にくらく座つたまゝ動かない
疲れた心臓の尖端をヂヨキヂヨキ鋏で切りはぢめる
─────ウドンを買つて来て食べやう
─────また心をはさみ切つてはいけない

昨日はアルコールにふくれた蛙が死んだよ
今日は偽瞞にみちた小さな脳髄の蛙が死んだよ
どつちもざまの悪い骸骨となつた
何もない胃をがりがり食ひ破る鼠も死んだ
─────絶淵には
   白いペンギン鳥が糞だらけになつて死んでゐる

飢餓は歯をくろくよごしてゐる
私は葱を嚙んで晩飯にしても寝られる
煙突のやうに無愛想につゝ立つたまゝでも平気だ
私はすでに私のためには苦しまないが
ヂヨキ ヂヨキ ヂヨキ…………………………
そんな顔をしないで
疲労の頂点できりきりまはつてゐる心臓をねむらせろ
─────ウドンを買つて来て食べやう
─────夏ミカンを買つて来て食べやう

萩原恭次郎
死刑宣告」所収
1925

夏の一日

眺めのいい喫茶店で本を読んでいたら
後ろからクリームあんみつって聞こえてきた
タバコを取りだし文庫をテーブルの上におく
アイスコーヒーは氷がとけてきて二つの層になっている
濃い色の時間の経過と透明なほうの時間の積み重ねと
葉っぱをくわえて白線の横断歩道を移動するオランウータン
歩行する杖がコツッコツッ 突けば魚にも化け獣にも変身する
夏の帽子はちくちくする草で編まれていて
水に浮かぶ これから飲む水の音とにおいと
店内の壁や棚はウロコで埋めつくされていた
クリームあんみつのテーブルにお待たせしましたと男がやってきて
大きな声でしゃべりませんので
聞こえなかったらいってくださいといった
とぎれとぎれの消失がおとずれる聞こえなかったらしい
浮遊する耳の溝の痕跡を徘徊する
時計の針がひっかかったまま
聞こえなかったらしい語尾から辿る ウロコの重なり
唇を通して出てくるのは
可愛さまさる猿を演じる顎のそばのよだれ
夏の夕暮れ
自転車にのった

駅の北口から南口は砂丘になっている
前を走る一輪車の体が揺れて笑い声がたちのぼる
追って笑う まねして笑う 顔を汗が滝のようにながれ落ちる
笑うから風紋ができて 足はのめって膝をおっていっぺんで腹這いになった
頂上でつぎつぎ消えていく人の体は
死に投げだされ帰ってくる下りの砂を
ステテコ姿のおじいさんが向こうからやってきて
手をあげなさい そうじゃないと行ってしまうからここらのバスは
笑いながらバスに乗っておじいさんに手をふった
眺めのいい分かちがたい白日のもとにまた
腕が折れるほど 礼を言いたかった
汗はここでも落ちる恥ずかしいほどに落ちて
自分の住所を書いているメモ用紙にも落ちた
醤油屋の店主は すまなそうに なにも飲むものがなくてといった
醤油が並んでいる ぽん酢も並んでいる
利き酒日本一になったときの記念の巨大なガラスの器
酒飲むか 酒飲むからうまい酒おしえろ
駅前の足湯で両足をぶらつかせ
展望風呂まで突っ走った
きのう飲んだ酒は強力
きょう飲む酒は李白
見えない音の梢
顔近く ぎゃっと
木の皮に噛みつく

筏丸けいこ
現代詩手帖2012年6月号初出
2012

心太を食べる

みぶるいしている心太を
天突きに入れてトロトロと突き出している
暑いから何かに圧倒されていたい
フロイトはね
(どうしてフロイトなの?)
音楽に圧倒されるのを好まないといったのよ
ばかみたいね
感傷的でざんこくな人間だったのね
蒼い顔をしていた
ひやして
冷たくして
(冷たい板間が大好きです)
立膝して海苔をくずす
胡麻をひねる
人差指と親指のあいだの草の実の
ゆえしらない微かな音と匂いに傾いている
圧倒されたいわけ
冷たく酸いものをつるつるっと召しあがれ
汗が引いた
何だかわからない
なやましい感情にかきまわされるが
フロイトほどにはひどくない

財部鳥子
枯草菌の男」所収
1986

呪詛

たえずうたがひ、たえず嘆き、
たえず悶えるこの心を、
むしりとりたいのだ、
飢ゑた鳥の胃袋と、
とりかへてしまひたいのだ。

父は大酒に酔ひつぶれてゐた、
うづ高い青表紙の書庫にこもつて、
母はわびしさに泣いてゐた、
神よ、あの呪はれた受胎の日を、
ならうことならどうにかして下され。

燃えただれたその触手をのべて、
永遠に暗い、永遠に哀しい、
しかも永遠にみだらな、
ここのところを、
焼きとつてくれぬか。

みづからを墜し、
もの皆を墜落に導き、
しかもなほいのりを忘れぬ──。
これは天国への、
これは地獄への隧道だ。

なまぬるい日あたりに、
三白草よ、おごれ、
饐えるまで、腐るまで、
目もくらむするどい悪臭に、
聖なる園をけがしたいのだ。

ゐたたまらなさに歌口をしめして、
今吹き鳴らす野笛のしらべに、

ああ、転調!
すべての転調!

怪しい香をくろ髪に焚きこめて、
この遠慮がちな食慾に、
あらゆる饗宴をゆるさうか、
私の魂よ、
無智になれ、盲目になれ。
地もやぶれよと踊り狂ふ二神、
ああ、消えてはうつり、
うつつては消え、
息する間もなくのべられる真紅の場面、
快楽よ、
かくて私はお前の肉になりたいのだ。

深尾須磨子
「呪詛」所収
1925

I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

  或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

──やっぱり I was born なんだね──
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
──I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね──
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
──蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね──
 僕は父を見た。父は続けた。
──友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは──。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
──ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体──

吉野弘
幻・方法」所収
1959