港の人(抄)

なにか滴るような音がする
水だろうか
暗闇にベッドから下りて調べにいく気はしない

水でなければ
なんでありうるか
夢のなかの答えはいくつもある

今日は平穏な一日だった
窓のそとが
うす暗くなるまで雨がふりつづき
風がないのに
夜なかにかけてゆっくりやんでいった

鞍をつかんで
地面を蹴るような思いをしたのは
いつのことだったろう

むろん空は青かったし
水は
そのためにあったようだった
愛する人の体じゅうからあんなに汗がしたたるなんて
思いもしなかった
コップを持っていく自分の指が
とってもあお白くみえた

あれは

そうにきまっている
そうでなければ
なんでありえないか
夢のなかの答えがいくつかあったって
ほかのいろであるわけがない
あしたも
おなじいろの天気であればいい

北村太郎
「港の人」所収
1989

光る魚、百円硬貨がいく枚か

やえさん?でしょう
(レールの)白く光っている川のむこう岸
すこし離れたところに立っているそのひとはやえさん、だと思う
やえさんの
みじかく刈り上げた
ふわふわした銀髪がちらっと見えて
ちいさい足元にまとわりついているちいさい影
(そこ)
(いつか長身のナミザキさんの立っていた場所に近いところ)
ナミザキサーンと呼んだ記憶の
声のひびきが水に落ちた小石
波紋になって音の輪をひろげていった
あかるい水底にやえさん
ではなくナミザキさん
ではない石 白い石がころんと落ちていて
ひかるレールが二本 頭上を走っていった
三十五日前の彼岸の大雪
三十日前の桜の満開
十五日前の八重桜
いまは新緑のまぶしい筒の中を湧き立っている樹々のセクス
こずえの先まで
みずのながれ
みずのながれ

きっと無限のいのちのながれがそこから
光の泡になってはじき出されていて
ぽん ぽん
ぽん ぽん
かるくかるく
やえさん空にかえってゆくのですか

四月二十七日。
 ヨコスカ市に住む八十二歳の江川八重さんは、妹さんの三回忌にひとりで上京。(妹さんのご家族が東京のどこかにいるのでしょう)連休前の混んだ電車の中で外人の女のひとに「ドーゾ」と席を譲られる。
嬉しかった八重さんのはにかんだ笑顔
外人の女のひとの白い肌の笑顔
が市井の 井戸の底にのぞかれるありふれた
ブリキの星々になって

今日の朝刊の、
「声」の、

水底に一瞬
光る魚
百円硬貨がいく枚かサイフからこぼれ落ちていた
腰骨の中に沈んでいる
まあるく硬い金属の冷たさに
指をふれ
ぎざぎざの端をまさぐる まさぐる
(これは手帖、これはシャープペン、これはティッシュ、これは鏡、口紅のケース、封を切っていない手紙、鍵)
掃きよせられた光が
小魚のかたちに群がっている影を踏んで
ドア の黒い鍵穴のひとのかたちへ流れこむ

ひとにぎりのにごりが
しずかに沈殿してゆく

新井豊美
「半島を吹く風の歌」所収
1988

握手

手をさし出されて
握りかえす
しまったかな?と思う いつも
相手の顔に困惑のいろ ちらと走って

どうも強すぎるらしいのである
手をさし出されたら
女は楚々と手を与え
ただ委ねるだけが作法なのかもしれない

ああ しかし そんなことがなんじゃらべえ
わたしは わたしの流儀でやります

すなわち
親愛の情ゆうぜんと溢れるときは
握力計でも握るように
ぐ ぐ ぐっと 力を籠める
痛かったって知らないのだ
ブルガリヤの詩人は大きな手でこちらの方が痛かった
老舎の手はやわらかで私の手の中で痛そうだった

茨木のり子
「茨木のり子詩集」所収
1969

きさらぎ

子供が野遊びからかえってきた
日が暮れて寒かったと言う
手や足に野焼の匂いがまだのこっている
枯草や芒や茨の燃える匂いがのこっている

さて僕は
夜ふけの机によりかかって
おもむろに自分の火を放つのだ
このこころに
このこころの枯草に

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

田沢温泉

機織虫が夜どほしないてゐました
青い蚊帳の上を 銀河がしらじらとながれてゐました
こぼれ湯が石に冷え
燈火に女の髪の毛のやうに
ほつそりと秋がゐました

田中冬二
「晩春の日に」所収
1961

岸辺へ

それは光のように透明で
幻のようにとらえがたく
実態はあっても型を持つことはない
手のひらに掬えばただの水なのに
空の下に置くと
いつの間にかあふれ出ようとしている
近づくと見失うが
はなれているときには
よしきりがキリキリ鳴き
さざ波の寄せてくる水の風景が
ほとんど愛という
至上の言葉に思えたりするから
最初のかなしみに似たその葦の岸辺に
わたしはくり返し戻りつづけるのだろう
某月某日
その河の長い橋を渡り水郷に入る
変貌する町まちの上空を
旋回する白い風も
光る葉先まで ひとり
かえってゆく

新井豊美
「半島を吹く風の歌」所収
1988

川の水は流れている
なんといふこともない
来てみれば
やがて
ひそかに帰りたくなる

原民喜
原民喜詩集」所収
1951

夜の胸飾 ほのかな月の光りの木影の水のやうに
暗らい扉のむかうで私は睡眠の歌にゆられてゐる

靑い庭のラムプ 消えて行く幸福の足音のやうに
霧にしめつた枝と枝との中に その光りはちらばり

逃げてゆく影 美しい影 瀕死のラムプよ
靑銅の鐘は絶えず悲哀と恐怖を告げてゆく

その傍で しぼんだ薔薇の叢で 私を取圍く失心
ゆるやかな樹魂の呟く神秘を心地よく耳にしながら

告白と悔懺と祈祷と 石と水と火と
それら無言の囁 神のやうに惡魔に似て

漂泊に疲れし肉よ 巡禮に倦みし心よ
私は瞶める 永遠に閉ぢられて開くことのない窓を

楠田一郎
「楠田一郎詩集」所収
1938

器官

陰謀を抱かぬ男
男のふじつぼのように尖った肛門は華美だ 開いたまま過ごす
曲った股の間を占め 鰓と多くの触毛を持ち欲望するときうごく
常にそこがすっかり見える姿勢をとり 変えぬ
眠る際暗に穴をなし首を埋めてしまう
敵視する者には眼に卑猥な魔術の傘として映るので背後から見て蔑む
女にすらその部分で触れねばならず 避けるためにそれから厚い肉の被布を拡げ残忍に包む
無邪気であろう 男に廟と後架の区別がつかず
回廊の果て こもると色づいた甘藍のようになり 全身その器官で被われる
それにだけ承諾された男にとって他の機能は無益だ
男はその輝くものの底に溢れ 深い裂け目から濡れたぐにゃぐにゃの首や手を垂らし
胎児の優しさまで降りた蛆の視線を痙攣する穴の儀式に恋げかける

鎌田喜八
「エスキス」所収
1956

秋の日の象皮色の滑らかな道を
ころころと生首などを(おまえの首だ)
ひきずりながら歩いているおまえの気持はどんな気持か
首がおまえを見ている(おまえの首だ)
ひきずられながら 皮肉な目で
おまえの生のひろがりを測っている
そのひろがりの彼方には どこまでも
秋の日の象皮色の滑らかな道
ただもう秋の日の象皮色の滑らかな道

渋沢孝輔
「漆あるいは水晶狂い」所収
1969