たびびと

地球生成の かげを 辿って

あるいてゆく 人がいる

 

永久に 空っぽの ルックを背負い

やぶれた 認識の シャッポを かぶり

 

露出した 観念の 岩と岩の間を

秋天に 浮かみ出たり また隠れたり

 

こんな わびしい 涸渇の道を

その人は 一人で あるいている

 

蔵原伸二郎

乾いた道」所収

1954

森のうへの坊さん

坊さんがきたな、

くさいろのちいさなかごをさげて。

鳥のやうにとんできた。

ほんとに、まるで鴉のやうな坊さんだ、

なんかの前じらせをもつてくるやうな、ぞつとする坊さんだ。

わらつてゐるよ。

あのうすいくちびるのさきが、

わたしの心臓へささるやうな気がする。

坊さんは飛んでいつた。

をんなはだかをならべたやうな

ばかにしろくみえる森のうへに、

ひとひらの紙のやうに坊さんはとんでいつた。

 

大手拓次

藍色の蟇」所収

1912

月と美童

月映えの、露の野道の

ほんの濃い、向うの靄で。

ぼうわう、ぼうわう、

あ、なにかしろく吠えてる。

 

水芋のてらてらの葉の

その前を、音はしてたが、

ぼうわう、ぼうわう、

お、誰か、ひきかへしてる。

 

美しい童よ、角髪の子よ、

怖がるでない、怖がるでない。

ぼうわう、ぼうわう、

あれはただ吠えるだけだよ。

 

月がまた雲を呼ぶのだ、

ぼうとした紫なのだ。

ぼうわう、ぼうわう、

小さい蛾までが輝くのだ。

 

な、みんなが思ひ出すのだ、かうした晩は、

美しい童よ、童のむかしを。

ぼうわう、ぼうわう、

前の世の聖母の円かな肩を。

 

匂やかであつた、世界は。ふじぎぬのやうな

光と空気とに織られてゐた。

ぼうわう、ぼうわう、

ああした夜露にも吠えてゐた何かだつたよ。

 

北原白秋

海豹と雲」所収

1929

何処へ

己が売つて了つた田の中で

水鶏が鳴いてゐる

己は悲しくなつて田の方を見ないで通つて来た

 

元己が家の畑の中に

青々と麦が育つてゐる

己は悲しくなつて畑の方を見ないで通つて来た

 

己が借金の為にとられた杉山が

真黒になつて茂つてゐる

己は悲しくなつて山の方を見ないで通つて来た

 

己は悲しくなつてもうこの村には居られない

己は何処へ行かう

何故己は死ねずに

この村に居るだらう

 

野口雨情

都会と田園」所収 連作詩「己の家」より

1919

 

野糞先生

かうもりが一本

地べたにつき刺されて

たつてゐる

 

だあれもゐない

どこかで

雲雀が鳴いている

 

ほんとにだれもゐないのか

首を廻してみると

ゐた、ゐた

いいところをみつけたもんだな

すぐ土手下の

あの新緑の

こんもりした灌木のかげだよ

 

ぐるりと尻をまくつて

しやがんで

こつちをみてゐる

 

山村暮鳥

」所収

1925

メランコリア

外から砂鉄の臭ひを持つて来る海際の午後。

象の戯れるやうな濤の呻吟は

畳の上に横へる身体を

分解しようと揉んでまはる。

 

私は或日珍しくもない原素に成つて

重いメランコリイの底へ沈んでしまふであらう。

 

えたいの知れぬ此のひと時の衰へよ、

身動きもできない痺れが

筋肉のあたりを延びてゆく・・・・・

限りない物思ひのあるやうな、空しさ。

鑠ける光線に続がれて

目まぐるしい蝿のひと群れが旋る。

私は或日、砂地の影へ身を潜めて

水月のやうに音もなく溶け入るであらう。

 

太陽は紅いイリュウジョンを夢見てゐる、

私は不思議な役割をつとめてるのではないか。

 

無花果樹の陰の籐椅子や、

まいまいつむりの脆い殻のあたりへ

私は蝿の群となつて舞ひに行く。

 

壁の廻りの紛れ易い模様にも

ちょつと臀を突き出して止まつて見た。

 

窓の下に死にゆくやうな尨犬よ。

私はいつしかその上で渦巻き初める、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

砂鉄の臭ひの懶いひとすぢ。

 

三富朽葉

「三富朽葉詩集」所収

1926

小さい家庭

僕はいま小さい家庭をつくりかけてゐる

まるで小鳥の巣に似たやうなものを

自分は毎日

二つの心を持ち合って

一枚のまづしい蓆を編むやうに

たてとよことの糸をよりあわせてゐる

自分はこの小さい家庭を愛する

この小さい家庭にまだ幸福は来てゐない

平安が宿つてゐない

秩序がない

けれども生命に充ちてゐる

 

温かい日常の心はうるはしく澄んでゐる

自分をそこなふものとは戦ふ

自分を愛しないものには愛させるやうにする

いやな世界とも戦ふ

真実でないものとも戦ふ

 

自分のこの小さく優しい犠牲の精神は

自分にとつて永い味方であり

自分を鎧ふべききびしい味方だ

土を掘るやうな新しさと胸打つ鼓動を感じ合ひながら

少しづつ築き上げ

また盛り上げてゐる

 

暁明がくるとともに

ぱちぱち燃える薪の音がする

空では星がきえ始める

僕は起き出てそれに従ふ

この世の愉快なくるしいどよみに従ふ

 

机の上には塵も見えない

書物はみな一つ一つに呼吸をして

あついペエジの羽ばたきをやる

妻は木綿の朝のきものをきて

もう猛り立つ犬と庭で遊んでゐる

僕もその仲間にはいる

犬は高く高く吠え猛つて

朝の挨拶をする

僕らもする

 

室生犀星

「第二愛の詩集」所収

1919

帰郷者

自然は限りなく美しく永久に住民は

貧窮してゐた

幾度もいくども烈しくくり返し

岩礁にぶちつかつた後に

波がちり散りに泡沫になつて退きながら

各自ぶつぶつと呟くのを

私は海岸で眺めたことがある

絶えず此処で私が見た帰郷者たちは

正にその通りであつた

その不思議に一様な独言は私に同感的でなく

非常に常識的にきこえた

(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)

どうして(いまは)だらう!

美しい故郷は

それが彼らの実に空しい宿題であることを

無数の古来の詩の賛美が証明する

曽てこの自然の中で

それと同じく美しく住民が生きたと

私は信じ得ない

ただ多くの不平と辛苦ののちに

晏如として彼らの皆が

あそ処で一基の墓となつてゐるのが

私を慰めいくらか幸福にしたのである

 

伊東静雄

わがひとに与ふる哀歌」所収

1935

山麓の二人

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は

険しく八月の頭上の空に目をみはり

裾野とほく靡いて波うち

芒ぼうぼうとひとをうづめる

半ば狂へる妻は草を藉いて座し

わたくしの手に重くもたれて

泣きやまぬ童女のやうに慟哭する

──わたしもうぢき駄目になる

意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて

のがれる途無き魂との別離

その不可抗の予感

──わたしもうぢき駄目になる

涙にぬれた手に山風が冷たく触れる

わたくしは黙つて妻の姿に見入る

意識の境から最後にふり返つて

わたくしに縋る

この妻をとりもどすすべが今は世に無い

わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し

闃として二人をつつむこの天地と一つになつた

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1938

蛙の死

蛙が殺された、

子供がまるくなって手をあげた、

みんないつしよに、

かはゆらしい、

血だらけの手をあげた、

月が出た、

丘の上に人が立つてゐる。

帽子の下に顔がある。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917