ぼろぼろな駝鳥

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。

動物園の四坪半のぬかるみの中では、

脚が大股過ぎるぢやないか。

頸があんまり長過ぎるぢやないか。

雪の降る国はこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。

腹がへるから堅パンも食ふだらうが、

駝鳥の目は遠くばかり見てゐるぢやないか。

身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。

瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえてゐるぢやないか。

あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。

これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。

人間よ、

もう止せ、こんな事は。

 

高村光太郎

1928

椰子の実

名も知らぬ遠き島より

流れ寄る椰子の実一つ

 

故郷の岸を離れて

汝はそも波に幾月

 

旧の樹は生ひや茂れる

枝はなほ影をやなせる

 

われもまた渚を枕

孤身の浮寝の旅ぞ

 

実をとりて胸にあつれば

新なり流離の憂

 

海の日の沈むを見れば

激り落つ異郷の涙

 

思ひやる八重の潮々

いづれの日にか国に帰らん

 

島崎藤村

落梅集」所収

1901

初恋

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

 

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

 

わがこゝろなきためいきの

その髪の毛にかゝるとき

たのしき恋の盃を

君が情に酌みしかな

 

林檎畑の樹の下に

おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

小景

冬が来た

夜は冷える

けれども星は毎晩キラキラ輝く

赤ん坊にしっこをさせるお母さんが

戸を明ければ

爽やかに冷たい空気が

サッと家の内に流れこみ

海の上で眼がさめたよう

大洋のような夜の上には

星がキラキラ

赤ん坊はぬくとい

股引のままで

円い足を空に向けて

お母さんの腕の上にすっぽりはまって

しっこする。

 

千家元麿

自分は見た」所収

1918

傷ついて、小さい獣のように

心は 歌は 渇いている 私は 人を待っている

私の心は 貧しきひとを 私の歌は 歓びを

もの欲しい不吉な影を曳き 私は索めさまよっている

千の言葉をよびながら 見かえりながら歌っている

 

獣のように 重くまた軽く 私はひとり歩いている

日はいつまでも暮れないのに 私はとおくに

不幸な穉いこころを抱き 私は求め追うている

口ぜわしく歌いながら 繰り返しながら呼んでいる

 

雪は 道は 乾いてしまった 私は人を呼んでいる・・・・・・・

それは来るかしら それは来るだろう いつかも

くらい窓にたたずんで 私は 人をたずねていた

 

だあれも答えない 誰も笑わない 私はひとり歩いている

最後の家の所まで 私はとおくに 日はいつまでも暮れないのに

私はひとり歩いている 私はとおくに歩いている

 

立原道造

立原道造詩集」所収

1939

永訣の朝

きょうのうちに

とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い蓴菜のもようのついた

これらふたつのかけた陶椀に

おまえがたべるあめゆきをとろうとして

わたくしはまがったてっぽうだまのように

このくらいみぞれのなかに飛びだした

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

蒼鉛色の暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといういまごろになって

わたくしをいっしょうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまえはわたくしにたのんだのだ

ありがとうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから

おまえはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽 気圏などどよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・・・・

・・・・・ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまっている

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまっしろな二相系をたもち

すきとおるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていこう

わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ

みなれたちゃわんのこの藍のもようにも

もうきょうおまえはわかれてしまう

  (Ora ora de shitori egumo)

ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう

あああのとざされた病室の

くらいびょうぶやかやのなかに

やさしくあおじろく燃えている

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらぼうにも

あんまりどこもまっしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて

   こんどはこたにわりゃのごとばがりで

   くるしまなぁよにうまれでくる)

おまえがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率の天の食に変わって

やがてはおまえとみんなとに

聖い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1922

蹄鉄屋の歌

泣くな、

驚ろくな、

わが馬よ。

私は蹄鉄屋。

私はお前の蹄から

生々しい煙をたてる、

私の仕事は残酷だろうか。

若い馬よ、

少年よ、

私はお前の爪に

真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。

そしてわたしは働き歌をうたいながら、

──辛抱しておくれ、

  すぐその鉄は冷えて

  お前の足のものになるだろう、

  お前の爪の鎧になるだろう、

  お前はもうどんな茨の上でも

  石ころ路でも

  どんどんと駆け廻れるだろうと──、

私はお前を慰めながら

トッテンカンと蹄鉄うち。

ああ、わが馬よ、

友達よ、

私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ。

私の歌はぞんざいだろう、

私の歌は甘くないだろう、

お前の苦痛に答えるために、

私の歌は

苦しみの歌だ。

焼けた蹄鉄を

お前の生きた爪に

当てがった瞬間の煙のようにも、

私の歌は

灰色に立ち上がる歌だ。

強くなってくれよ、

私の友よ、

青年よ、

私の赤い焔を

君の四つ足は受け取れ、

そして君は、けわしい岩山を

その強い足をもって砕いてのぼれ、

トッテンカンの蹄鉄うち、

うたれるもの、うつもの、

お前と私とは兄弟だ、

共に同じ現実の苦しみにある。

 

小熊秀雄

小熊秀雄詩集」所収

1935

わらいのひらめき

あのしめやかなうれいにとざされた顔のなかから、

おりふしにこぼれでる

あわあわしいわらいのひらめき。

しろくうるおいのあるひらめき、

それは誰にこたえたわらいでしょう。

きぬずれのおとのようなひらめき、

それはだれをむかえるわらいでしょう。

うれいにとざされた顔のなかに咲きいでる

みずいろのともしびの花、

ふしめしたおとめよ、

あなたの肌のそよかぜは誰へふいてゆくのでしょう。

 

大手拓次

藍色の蟇」所収

1936

 

死の遊び

死と私は遊ぶ様になつた

青ざめつ息はづませつ伏しまろびつつ

死と日もすがら遊びくるふ

美しい天の下に

 

私のおもちやは肺臓だ

私が大事にして居ると

死がそれをとり上げた

なかなかかへしてくれない

 

やつとかへしてくれたが

すつかりさけてぼたぼたと血が滴る

憎らしい意地悪な死の仕業

 

それでもまだ死と私はあそぶ

私のおもちやを彼はまたとらうとする

憎らしいが仲よしの死が。

 

村山槐多

槐多の歌へる」所収

1919

私の詩

裸になつてとびだし

基督のあしもとにひざまづきたい

しかしわたしには妻と子があります

すてることができるだけ捨てます

けれど妻と子をすてることはできない

妻と子をすてぬゆゑならば

永劫の罪もくゆるところではない

ここに私の詩があります

これが私の贖である

これらは必ずひとつひとつ十字架を背負うてゐる

これらはわたしの血をあびてゐる

手をふれることもできぬほど淡々しくみえても

かならずあなたの肺腑へくひさがつて涙をながす

 

八木重吉

定本八木重吉詩集」所収

1927