Category archives: 1960 ─ 1969

ある孤独 (家)

家がわたしの家でなくなった。
わたしが家を追い出された。
家のない人間が犬よりも猫よりも困りものだということがわかった。
ねどこ、きもの、食器、はきもの、てぬぐい、その他いろいろ、必要なものだということがわかった。
なんにものこっていなかった。
肉体だけがわたしのものだった。
そいつがひもじがってわたしをこまらせるのだ。
しばらくわたしはかんがえてみた。
もうなんにも持たぬことだ。なんにもしないことだ。
死ぬも生きるも恥と外聞の外でやる。
乞食にだってならぬことだ。
どこにでもはいりこんで
手あたりしだいに食って
そこにへたりこんでうごかぬことだ。人間の仲間はずれになってやることだ。
追い出された自分の家の戸をこじあけて
今夜はぐっすりと
そこで睡眠をとってやろう。

秋山清
「ある孤独」所収
1966

黒い蝿

貨車に積まれた牛たちは
首をすりつけ合い
ぼんやりと
眼をひらく

黒い蝿は
牛たちにたかりながら
ここまでいっしょにきた

貨車の中の牛たちは
自分を待ちうけている運命に向かって
ものうげに啼く

血ぶくれのした
黒い蝿は
遠くから
貨車にゆられながら
ゆっくりした絶え間ない牛のしっぽに追われながらここまできた

この執拗で残忍な同行者は
結局どこへ行くだろう
最後に
牛たちが
ばらばらの肉塊になり
鈎にぶらさがり
やがて
鈎だけが
宙にゆれるとき

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

 冬が終る。そこに誰かが立つてゐる。鴉が遠くで啼いてゐる。私は荒い日差しのなかで、足を引き摺つてゐる。
 彼等は晴れた空のなかにたくさんの巣を作つてゐる。彼等はまた湿つた砂地の上にたくさんの栖居を作つてゐる。──私には、ただ私の死後のしづけさが動いてゐる。

 私の身支度。──植込の草花は、みんな長い頸が折れて、みだれた添竹の向き向きに枯れてしまつた。

菱山修三
1967

リス

リスを見たことを
得意になって言うではないか
枝から枝へ渡ったリスを見ただけで
その手は新らしい棒をにぎり
その目はおさな児のように燃え
その口はまだ聞かなかった声をあげ
烈しく息さえ切らして迫ったではないか

だがそれでもなお
リスはつかまらなかったろう
リスは薄日のさす木の枝から次の木の枝へ
隠れては現われして捕え難い思惟のように
姿を消してしまったろう

だから言っておく
私には分るのだ
リスは極く小さないきものなのだ
リスを追うのに
棒などをふりまわすものではない
徒党をくんで追うものではない

リスは夜不思議な星がまたたく時刻に
素手でとらえるものなのだ
争いや疲れを癒した夜のてのひらに
やわらかくいだくものなのだ
いだいたならまた未知の明日のなかへ
さようならと離してやるものなのだ
あのリスの目と
ふさふさした尾のなかに
隠し絵のような世界があるのだ

村上昭夫
動物哀歌」所収
1968

着せかえ人形

雨の日の暮は暗く
部屋のすみ襖のかげの
座ぶとんに寝かせてならぶ
首だけの人形の顔

姫は口もとに紅をはき
役者の顔のくまどりに
千代紙のころもを着せる
鋏の音と姉のためいき

着せかえた人形たちの首を抜き
すげかえ遊ぶたそがれどき
虚構に生きる人の世の
はなやぎは一瞬にして地におちる

白装束に着せかえて
経帷子に箸の杖
紙箱の棺に寝かせて掌を合わす
とむらいさえも遊びであつた

斎藤怘
「葬列」所収
1969

南極では物は腐らない

あざらしの夫婦が並んで死んだ
永い旅から帰ってきたら
何の腐爛も起さずに
雌は立派に立ったままで
眼から氷柱を垂らしていた
犬が食ってしまったらしい雄は
赤い泥のような小さな糞となり
クレパス沿いに点々と並び
一番新しいらしいのが
一本湯気を立てていた

犬塚堯
南極」所収
1968

おれの食道に

おれの食道に
ガンをうえつけたやつは誰だ
おれをこの世にうえつけたやつ
父なる男とおれは会ったことがない
死んだおやじとおれは遂にこの世で会わずじまいだった
そんなおれだからガンをうえつけたやつがおれに分らないのも当然か
きっと誰かおれの敵の仕業にちがいない
最大の敵だ その敵は誰だ

おれは一生の間おれ自身をおれの敵としてきた
おれはおれにとってもっとも憎むべき敵であり
もっとも戦うに値する敵であり
常に攻撃しつづけていたい敵であり
いくらやっつけてもやっつけきれない敵であった
倒しても倒しても刃向ってくる敵でもあった
その最大の敵がおれに最後の復讐をこころみるべく
おれにガンをうえつけたのか

おれがおれを敵として攻撃しつづけたのは
敵としてのおれがおれにとって一番攻撃しやすい敵だったからだ
どんな敵よりも攻撃するのに便利な敵だった
おれにはもっともいじめやすい敵であった
手ごたえがありしかも弱い敵だった
弱いくせに決して降参しない敵だった
どんなに打ちのめしても立ち直ってくるのはおれの敵がおれ自身だったからだ
チェーホフにとって彼の血が彼の敵だったように

アントン・チェーホフの内部に流れている祖先の農奴の血を彼は呪った
鞭でいくらぶちのめされても反抗することをしない
反抗を知らない卑屈な農奴の血から
チェーホフは一生をかけてのがれたいと書いた
おれもおれの血からのがれたかった
おれの度しがたい兇暴は卑屈の裏がえしなのだった
おれはおれ自身からのがれたかった
おれがおれを敵としたのはそのためだった

おれは今ガンに倒れ無念やる方ない
しかも意外に安らかな心なのはあきらめではない
おれはもう充分戦ってきた
内部の敵たるおれ自身と戦うとともに
外部の敵ともぞんぶんに戦ってきた
だから今おれはもう戦い疲れたというのではない
おれはこの人生を精一杯生きてきた
おれの心のやすらぎは生きるのにあきたからではない

兇暴だったにせよ だから愚かだったにもせよ
一所懸命に生きてきたおれを
今はそのまま静かに認めてやりたいのだ
あるがままのおれを黙って受け入れたいのだ
あわれみではなく充分にぞんぶんに生きてきたのだと思う
それにもっと早く気づくべきだったが
気づくにはやはり今日までの時間が
あるいは今日の絶体絶命が必要だったのだ

敵のおれはほんとはおれの味方だったのだと
あるいはおれの敵をおれの味方にすべきだったと
今さらここで悔いるのでない
おれ自身を絶えず敵としてきたための
おれの人生のこの充実だったとも思う
充実感が今おれに自己肯定を与える
おれはおれと戦いながらもそのおれとして生きるほかはなかったのだ
すなわちこのおれはおれとして死ぬほかはない

庭の樹木を見よ 松は松
桜は桜であるようにおれはおれなのだ
おれはおれ以外の者として生きられはしなかったのだ
おれなりに生きてきたおれは
樹木に自己嫌悪はないように
おれとしておれなりに死んで行くことに満足する
おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかりよく生きてきた
安らかにおまえは眼をつぶるがいい

高見順
死の淵より」所収
1966

美しい日没

そこにお前は立ちつくす
森の上の美しい日没
その異様なしずかさのなかで
お前は思う
もはやもとにかえることはできない
道化たしぐさも
愛想笑いも
もはや何ひとつ役に立たない
虚勢をはることも
たれにそうせよと言われたことでもなかった
笑うべき善意と
卑しい空威張り
あげくの果は
理由もなくひとを傷つけるのだ
お前を信じ お前の腕によりかかるすべてのものを
思うことのすべては言い訳めいて
いたずらに屈辱の念を深める
屈辱 屈辱のみ
自転車にも轢かれず
水たまりにも落ちず
ふたつの手をながながと垂れ
そこにお前は立ちつくす
ああ 生れてはじめて
日没を見るひとのように

黒田三郎
小さなユリと」所収
1960

カラス麦

土の肉体を たちきる
どこから呼ぶのだ
アブラクサス ガラ ガラ ツェ ツェ
ぬぎ捨てた古靴
そのぬぎ捨てた おまえの古靴の踵をけむりの如くひかりが貫ぬいて

カラス麦は

戦争や記憶や
愛を
太陽にむかって

カラス麦は

見つめられるごと
額をかがやかせ
茎はのび
じゅぴてるの羽根と思想よりも あおく染め

カラス麦は

アブラクサス ガラ ガラ ツェ ツェ と
つまさき立って茎はのび
千万の
きょうじんな意志の針金をゆすって
古靴のさき
未来の夜明けの
穴があいて
青い いくせいそうの頭上のみのりを
たわわに弾く

───────

あなたとむかいあっていると
まぶしくって
声はききとることができないが
言葉の揺れる速度にあわせて
口のまわりが
鳥の翔びたつごとくひかるので
それと わかる

日高てる
カラス麦」所収
1965

立ち往生

眠れないのである
土の上に胡坐をかいてゐるのである
地球の表面で尖つてゐるものはひとり僕なのである
いくらなんでも人はかうしてひとりつきりでゐると
自分の股影に
ほんのりと明るむ喬木のやうなものをかんじるのである
そこにほのぼのと生き力が燃え立つてくるのである
生き力が燃え立つので
力のやり場がせつになつかしくなるのである
女よ、そんなにまじめな顔をするなと言ひたくなるのである
闇のなかにかぶりを晒らしてゐると
健康が重たくなつて
次第に地球を傾けてゐるのをかんじるのである

山之口貘
山之口獏詩文集」所収
1963