Category archives: 1960 ─ 1969

危険な先端

すべてのものが先端から落ちる、
いつの間にか、不意に。
銀杏の梢から最後の葉が落ちると、
高い竿の先端から一つの旗が落ちる。
敬愛された友人が
危険な先端から直角に落ちた。
ガラスをつらぬく夜の光のように
またゝくまに。
近くまた ひとりの友が
抛物線の形で
危険な先端から落ちるのを
放心して知らねばならない。

笹沢美明
「仮説のクリスタル」所収
1966

僕は生きられる

僕は生きられるだろう
僕は生きる
白菜の肌を舐めまわす
朝のかまどの火のように

僕は生きられるだろう
僕は生きる
夜ふけの皿の煮凝のように
肉と骨から完全に分離されて

僕は生きられるだろう
僕は生きる
中途でよじれちぎれながら
物をつかんでいる
枯れた蔓草のように

僕は生きられるだろう
僕は生きる
ただひとりでも僕は生きる
枯草の中で僕をつまずかせる
石のような
自分の生を確かめて

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

ビヤホールで

沈黙と行動の間を
紋白蝶のように
かるがると
美しく
僕はかつて翔んだことがない

黙っておれなくなって
大声でわめく
すると何かが僕の尻尾を手荒く引き据える
黙っていれば
黙っていればよかったのだと

何をしても無駄だと
白々しく黙り込む
すると何かが乱暴に僕の足を踏みつける
黙っている奴があるか
一歩でも二歩でも前に出ればよかったのだと

夕方のビヤホールはいっぱいのひとである
誰もが口々に勝手な熱をあげている
そのなかでひとり
ジョッキを傾ける僕の耳には
だが何ひとつことばらしいものはきこえない

たとえ僕が何かを言っても
たとえ僕が何かを言わなくても
それはここでは同じこと
見知らないひとの間で心安らかに
一杯のビールを飲む淋しいひととき

僕はたた無心にビールを飲み
都会の群衆の頭上を翔ぶ
一匹の紋白蝶を目に描く
彼女の目にうつる
はるかな菜の花畑のひろがりを

黒田三郎
「ある日ある時」所収
1968

登攀

うすよごれた鋲靴の踵を支点に
ピトンを打ち込む
その岩壁には ねむるべき石も
休むべきテラスもなかった
ぼくらをいまこんなに垂直にするものは
なんであろう
くろずんだハンマーを握り
ザイルを腰にまきつけ
ぼくらをいまこんなに薄明に近づけるものは

──山がそこにあるからだ
と 見知らぬ一人の登攀者は語ったが

あの雪渓と雷鳥のねむりはぼくらの渇き
霧にまかれ
きれぎれの雲をくぐり
おお そのながい苦痛のあとに
今行手に 一つの大きな夏がやってくる

ぼくは思う ふいにぼくの生涯が墜落する
この薄明のなかの
それは荒々しい季節の予感なのだ
と──

秋谷豊
「登攀」所収
1962

あなたをじっとみていると
私は真実だけになりました

あなたが濡れているときは
私も濡れてゆれました

あなたにふれると氷のように
私はつめたく隔てられ

あなたはいつか私になり
私があなたになったとき

あなたはひとりみまかって
私は私を失いました

いまは思い出のかけらばかり
毀れたあなたのかけらばかり

野田宇太郎
「夜の蜩 野田宇太郎全詩集」所収
1966

不安

僕は不安で堪らない
僕がサナトリュームにゐる間に
家に置いてきた子猫が
僕を忘れてしまひはせぬか

今の僕は小説を書くことを忘れ
小説からも忘れられるかもしれないことを
そんなに不安に感じてないが
ただこれだけが僕には気がかりだ

人生の事柄のなかには
見たところ下らない事柄のやうで
その根はひそかに深く人生の悲しみに通じてゐる
さういふ馬鹿にならないものがあるが

僕にはその一種と思へてならぬ
僕の好きな好きな子猫が
僕をあんなに慕つた子猫が
僕をケロリと忘れてしまふ悲しみ

高見順
死の淵より」所収
1964

ちいさな遺書

わが子よ
わたしが死んだときには 思い出しておくれ
酔いしれて なにもかもわからなくなりながら
涙を浮かべて お前の名を高く呼んだことを
また思い出しておくれ
恥辱と悔恨の三十年に
堪えてきたのは おまえのためだったことを

わが子よ
わたしが死んだときには 忘れないでおくれ
二人の恐怖も希望も 慰めも目的も
みなひとつ 二人でそれをわけあってきたことを
胸にはおなじアザをもち
またおなじ薄い眉をしていたことを 忘れないでおくれ

わが子よ
わたしが死んだときには 泣かないでおくれ
わたしの死はちいさな死であり
四千年も昔から ずっと
死んでいた人がいるのだから
泣かないで考えておくれ 引き出しの中に
忘れられた一個の古いボタンの意味を

わが子よ
わたしが死んだときには 微笑んでおくれ
わたしの肉体は 夢のなかでしか眠れなかった
わたしは死ぬまでは 存在しなかったのだから
わたしの屍体は 影の短い土地に運んで天日にさらし
飢えて死んだ兵士のように 骨だけを光らせておくれ

中桐雅夫
「中桐雅夫詩集」所収
1964

 

栗の実

 子供のころ、私の育った東京の下町には、夜店がでた。にぎやかに明るく、電燈を連ねて続く多くの店のはずれの方に、そこだけはなぜか別に、アセチレンガスを点けて、ひっそりとゆでた栗を売っている店があった。
 小さな枡に盛りあげたゆで栗を、粗末な紙袋にいれてくれる。ほうっと温かく顔に湯気がかかり、また、手に伝わる栗のほのかなぬくみに、子供ごころにも秋を感じたものだ。
 青年のころ、ひそかに慕ったひとがいた。
 そのひとは私より年上で、働きながらひとり暮らしをしていた。思いつめた気持を私は永いこと言えずにいた。
 いつだったか夕刻になり、急に栗ごはんをごちそうしてくれることになった。堅い栗の殻を、庖丁をじょうずに使いながらむいていく、そのひとの手もとを私はせつなく視つめつづけた。

 

 いまはもう町に夜店もでない。ゆでた栗をあきなう、ひなびた店などもむろんみかけることもなくなった。
 栗ごはんをごちそうしてくれたひとは、どうしていることか。思いつめたあのころのひたむきな気持を、私はとうに失くしてしまった。

大木実
「月夜の町」所収
1966

日付のない日記

私は生きた心地もなく
死と隣りあわせて住んでいた

だれかに触れられると
そのまま首がぽろりと落ちそうなので
石になったのかもしれないと思った

不安は日々に深くなって
もう何も見えないほど私を包んだ
果てしない砂漠に取り残されて
ひとり しょんぼりと
夜明けの夢のように 声もなくさめざめと泣いた

口をあけたような青い空も泣いた

樹も泣いた
鳥の軀も
馬の白骨も
みんな魔法にかけられて
身うごきもせずに ひっそりと
息をひそめて死の姿を見守っていた

それは堪え難いほど静かな世界だった
私は死と隣りあわせ
生きた心地もなく現実にたたずんでいるだけだった
ただ倒れまいとして

中村千尾
「日付のない日記」所収
1965

空への告白

私は来るのを待っています。
青い間から
大手をひろげて私を抱きあげてくれるものを待っています。
ねてもおきても窓を開けはなって
祈るようにほおづえをついて
いつも空ばかり見つめています。
それより他に方法はないんだと思っています。
あんまり一面に青い日は
私は悲しくて口笛や歌ばかり歌って何も考えまいとします。
それは青さがあまりにもはてしなく
待つことしか知らない私があわれに無力になってしまうのでヤケになるからです。
どうして私は待つことしか知らないのでしょう。
待つことは悪いことでしょうか。
自分でもわからないのです。
私は乞食かもしれません。
空を見つめて肉の切れはしが落ちてくるのを悲しんだり胸をときめかして待っている
最もいやしい怠け者の乞食かもしれません。

矢沢宰
光る砂漠」所収
1967