ちいさな遺書

わが子よ
わたしが死んだときには 思い出しておくれ
酔いしれて なにもかもわからなくなりながら
涙を浮かべて お前の名を高く呼んだことを
また思い出しておくれ
恥辱と悔恨の三十年に
堪えてきたのは おまえのためだったことを

わが子よ
わたしが死んだときには 忘れないでおくれ
二人の恐怖も希望も 慰めも目的も
みなひとつ 二人でそれをわけあってきたことを
胸にはおなじアザをもち
またおなじ薄い眉をしていたことを 忘れないでおくれ

わが子よ
わたしが死んだときには 泣かないでおくれ
わたしの死はちいさな死であり
四千年も昔から ずっと
死んでいた人がいるのだから
泣かないで考えておくれ 引き出しの中に
忘れられた一個の古いボタンの意味を

わが子よ
わたしが死んだときには 微笑んでおくれ
わたしの肉体は 夢のなかでしか眠れなかった
わたしは死ぬまでは 存在しなかったのだから
わたしの屍体は 影の短い土地に運んで天日にさらし
飢えて死んだ兵士のように 骨だけを光らせておくれ

中桐雅夫
「中桐雅夫詩集」所収
1964

 

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