子供のころ、私の育った東京の下町には、夜店がでた。にぎやかに明るく、電燈を連ねて続く多くの店のはずれの方に、そこだけはなぜか別に、アセチレンガスを点けて、ひっそりとゆでた栗を売っている店があった。
小さな枡に盛りあげたゆで栗を、粗末な紙袋にいれてくれる。ほうっと温かく顔に湯気がかかり、また、手に伝わる栗のほのかなぬくみに、子供ごころにも秋を感じたものだ。
青年のころ、ひそかに慕ったひとがいた。
そのひとは私より年上で、働きながらひとり暮らしをしていた。思いつめた気持を私は永いこと言えずにいた。
いつだったか夕刻になり、急に栗ごはんをごちそうしてくれることになった。堅い栗の殻を、庖丁をじょうずに使いながらむいていく、そのひとの手もとを私はせつなく視つめつづけた。
いまはもう町に夜店もでない。ゆでた栗をあきなう、ひなびた店などもむろんみかけることもなくなった。
栗ごはんをごちそうしてくれたひとは、どうしていることか。思いつめたあのころのひたむきな気持を、私はとうに失くしてしまった。
大木実
「月夜の町」所収
1966