Category archives: 1960 ─ 1969

空へ消える

手でそっとぼくに触れてみた
ぼくは昨日のぼくと全く同じものだ
一つつきりだ
ぼくに加わつたものは今日のこの顔ばかりだ
かなしいときに
うれしいときに
一日を静かに通りぬけていくこの顔だけだ
しかしいま何も持つていないぼくがどんなにそれに堪えているか
だが時には真白い空をたぐりよせて
ひねもすぼくをそれに縫い合せて
それから空の中へひと羽摶きはばたいて消え去つてしまうことがある

嵯峨信之
「魂の中の死」所収
1966

祈り

母よ目をおひらき下さい
花びらばかりです
この世の中空は
あなたを焼いた炎の海の
波頭が瞼のむれみたいに消え残っていて
はれぼったい八重桜の花びらばかりです
緑の炎える葉っぱを食べあきて肥った毛虫のわたしを
間もなく火葬にしてくれるためにあかるむ炎の花びら
母よ目をおひらき下さい
この世の白い中空は
八重桜の紅で耀きたとうとして
わたしにはなやかな眠りの波頭をよせる
母よ花びらばかりです花びらばかりです

宗左近
「炎える母」所収
1967

洗濯

酒を飲み
ユリを泣かせ
うじうじといじけて
会社を休み

いいところはひとつもないのだ
意気地なし
恥知らず
ろくでなしの飲んだくれ

われとわが身を責める言葉には
限りがない
四畳半のしめっぽい部屋のなかで
立ち上ったり坐ったり

わたしはくだらん奴ですと
おろおろと
むきになって
いまさら誰に訴えよう

そうかそうかと
誰かがうなずいてくれるとでもいうのか
もういいよもういいよと
誰かがなだめてくれるとでもいうのか

路傍の乞食が
私は乞食ですと
いまさら声を張りあげているような
みじめな世界

しめっぽい四畳半の真中で
僕はあやうく立ち上がり
いそいで
洗い場へ駆けてゆく

小さなユリのシュミーズを洗い
パンツを洗い
誰もいないアパートの洗い場で
見えない敵にひとりいどむ

水は
激しく音をたてて流れ
木の葉は梢で
かすかに風にうなずく

黒田三郎
小さなユリと」所収
1960

夜ふけ、ふと目をさました。

私の部屋の片隅で
大輪の菊たちが起きている
明日にはもう衰えを見せる
この満開の美しさから出発しなければならない
遠い旅立ちを前にして
どうしても眠るわけには行かない花たちが
みんなで支度をしていたのだ。

ひそかなそのにぎわいに。

石垣りん
表札など」所収
1968

午前の仕事を終え、
昼の食事に会社の大きい食堂へ行くと、
箸を取りあげるころ
きまってバックグラウンド・ミュージックが流れはじめる。

それは
はげしく訴えかけるようなものではなく、
胸をしめつける人間の悲しみ
などでは決してなく、
働く者の気持をなごませ
疲れをいやすような
給食がおいしくなるような、
そういう行きとどいた配慮から周到に選ばれた
たいそう控え目な音色なのである。

その静かな、
ゆりかごの中のような、
子守唄のようなものがゆらめき出すと
私の心はさめる。
なぜかそわそわ落ち着かなくなる。
そして
牛に音楽を聞かせるとオチチの出が良くなる、
という学者の研究発表などが
音色にまじって浮かんでくる。
最近の企業が、
人間とか
人間性とかに対する心くばりには、
得体の知れない親切さがあって
そこに足の立たない深さを感じると、
私は急にもがき出すのだ。

あのバックグランド・ミュージックの
やさしい波のまにまに、
溺れる
溺れる
おぼれてつかむ
おおヒューマン!

石垣りん
表札など」所収
1968

あなたに

わたしが 眠っている間
わたしの少しずつが
見えない 揚羽にでもなって
ひらひら 飛び立ってゆくのではないか
そんな具合に 少しずつ
私は 減ってゆくのではないか
減りながら
そしてわたしは
岩になってゆく
かやくさになってゆく
鵠になってゆく

信じてくれますか
しんじつ めざめのたびごとに
こうして わたしは
別のもの
おもいがけないものにと
変りはててゆく
あなたと わかれてからのわたしは・・・・

高野喜久雄
「存在」所収
1961

公共

タダでゆける
ひとりになれる
ノゾミが果される、

トナリの人間に
負担をかけることはない
トナリの人間から
要求されることはない
私の主張は閉めた一枚のドア。

職場と
家庭と
どちらもが
与えることと
奪うことをする、
そういうヤマとヤマの間にはさまった
谷間のような
オアシスのような
広場のような
最上のような
最低のような
場所。

つとめの帰り
喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると
その足でごく自然にゆく
とある新築駅の
比較的清潔な手洗所
持ち物のすべてを棚に上げ
私はいのちのあたたかさをむき出しにする。

三十年働いて
いつからかそこに安楽をみつけた。

石垣りん
表札など」所収
1968

こころ

潜水服をきる
水のなかにもぐる
ためではない
空のなかに
舞いあがる
ために

   ない命綱がひかれて
   しまったのだから

蹴る
蹴る
浮かばない浮かばない

   しかも命綱は
   垂れて光っているから

空のなかに
舞いあがら
ねばならない

   ゆっくり逆立ちして
   ない命綱を切る

舞いあがれ
ないからこうして
潜水服をきて
向きをかえて

空のなかに
舞い
落ちて
ゆこう
というのだ

宗左近
「こころ」所収
1968

仲間

行きたい所のある人、
行くあてのある人、
行かなければならない所のある人。
それはしあわせです。

たとえ親のお通夜にかけつける人がいたとしても、
旅立つ人、
一枚の切符を手にした人はしあわせです。
明日は新年がくる
という晩、
しあわせは数珠つなぎとなり
冷たい風も吹きぬける東京駅の通路に、
新聞紙など敷き
横になったり 腰をおろしたりして
長い列をつくりました。

この国では、
今よりもっと遠くへ行こうとする人たちが
そうして待たされました。
十時間汽車に乗るためには、
十時間待たなければ座席のとれないことをわきまえ
金を支払い。

でも、
行く所のある人
何かを待ち
何かに待たれる人はとにかくしあわせ。

かじかんだ手の浮浪者が列の隣りへきて、
横になりました。

大勢のそばなので
彼は今夜しあわせ。
ひとりぽっちでない喜び
ああ絶大なこの喜び。
彼は昨日より
明日よりしあわせ。
何という賑やかな夜!

目をほそめて上機嫌の彼。
やがて旅立つ 誰よりもさき
誰よりも上手に寝てしまった 彼。

石垣りん
表札など」所収
1968

余白のある手紙

ひとつの余白の多い手紙をあなたは読みふける
砂漠からながれでた青い流れのように
それを書いたひとのおもかげはもう跡かたもなく消えている
ふたりのあいだには匂うような日があつたのだろう
言葉すくなく語られている幸福が
いまあなたの顔をしずかにあげさせる
あなたはもつと空が明かるくなればいいとおもつているようだ
どこまでもつづいてる真白い空が
小さく区切られると
それはあなたの心のなかの遠い小さな空になる
そのひとはいまその空の下に立つている
そのひとのかすかなもの憂い動きを
あなたは遠い祖先のたれかの動きのように感じはじめている

嵯峨信之
「魂の中の死」所収
1966