行きたい所のある人、
行くあてのある人、
行かなければならない所のある人。
それはしあわせです。
たとえ親のお通夜にかけつける人がいたとしても、
旅立つ人、
一枚の切符を手にした人はしあわせです。
明日は新年がくる
という晩、
しあわせは数珠つなぎとなり
冷たい風も吹きぬける東京駅の通路に、
新聞紙など敷き
横になったり 腰をおろしたりして
長い列をつくりました。
この国では、
今よりもっと遠くへ行こうとする人たちが
そうして待たされました。
十時間汽車に乗るためには、
十時間待たなければ座席のとれないことをわきまえ
金を支払い。
でも、
行く所のある人
何かを待ち
何かに待たれる人はとにかくしあわせ。
かじかんだ手の浮浪者が列の隣りへきて、
横になりました。
大勢のそばなので
彼は今夜しあわせ。
ひとりぽっちでない喜び
ああ絶大なこの喜び。
彼は昨日より
明日よりしあわせ。
何という賑やかな夜!
目をほそめて上機嫌の彼。
やがて旅立つ 誰よりもさき
誰よりも上手に寝てしまった 彼。
石垣りん
「表札など」所収
1968