午前の仕事を終え、
昼の食事に会社の大きい食堂へ行くと、
箸を取りあげるころ
きまってバックグラウンド・ミュージックが流れはじめる。

それは
はげしく訴えかけるようなものではなく、
胸をしめつける人間の悲しみ
などでは決してなく、
働く者の気持をなごませ
疲れをいやすような
給食がおいしくなるような、
そういう行きとどいた配慮から周到に選ばれた
たいそう控え目な音色なのである。

その静かな、
ゆりかごの中のような、
子守唄のようなものがゆらめき出すと
私の心はさめる。
なぜかそわそわ落ち着かなくなる。
そして
牛に音楽を聞かせるとオチチの出が良くなる、
という学者の研究発表などが
音色にまじって浮かんでくる。
最近の企業が、
人間とか
人間性とかに対する心くばりには、
得体の知れない親切さがあって
そこに足の立たない深さを感じると、
私は急にもがき出すのだ。

あのバックグランド・ミュージックの
やさしい波のまにまに、
溺れる
溺れる
おぼれてつかむ
おおヒューマン!

石垣りん
表札など」所収
1968

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