Category archives: 1970 ― 1979

泣かないで

母よ母よ
たうとうあなたは間違へてしまった
毎日みてゐる娘の顔を

<この子は早く母親に死に別れて
 わたしが子供のやうに育てたのよ・・・>
死んだ末の妹と間違へたのか
嫁に行った孫と間違へたのか
それから台所のすみにうづくまって
オイオイ泣いた
<何もわからなくなっちゃった
 何もわからなくなっちゃった>

わたしよ
鏡ののなかに 一本づつふえてゆくシラガを
そんなにもやすやすと じぶんにゆるすのなら
(まして)
老いてゆく母をゆるさねばならない
母が老いてゆくこと を―

あなたにはじめて腕相撲で勝ったむかし
わたしは笑ひながら
たくさん泣いた
けふはあなたが泣いたので
わたしは笑はうと必死だったのだ
<まあ奥さま 冗談ばかりおっしゃって・・・>

追ひこされることは ちっともつらくない
甥っ子と 海で 石投げをすると
はじめはわたしのほうがとんだ
それからだんだん
キャッチボールのとき わたしの手がいたくなって
ある日 彼のボールがとれなくなった
丁度あのころ
わたしはあなたを追ひこしたのだ
腕相撲に勝ったのは ほんとにつらかった

けれど今
あなたはわたしを もう一度追ひこして
ずっと先の方へ 行ってしまった
あなたが三分で忘れることを
わたしだって三日で忘れるのだから
永遠のなかでは たいしてちがいはない

母よ
時間が夢のやうに流れて
いとしいものがごちゃまぜになって
うらやましいわ

泣かないで

ほら わたしのシラガを ぬいてください
いつものやうに

吉原幸子
「夢 あるひは・・・」所収
1976

選択

<世界に深入りしたくない>
と言った さびしいひとは
逃げて行った たぶん
もうひとつの ”世界”のはうへ

深入りする まさにそのことが
わたしには いちばんまぶしい
願ひだったのに

ガラス扉にさへぎられて
黄金の葉ずゑが光り
”世界”は音もなく溢れつづけ
そのふちに ゆれながらふみとどまって

そしていま たうとう深入りできたよ! と
つぶやきながらガラスを破る
わたしに 待ってゐた風が流れこみ

(掌の傷を舐めながら)
逃げて行ったひとに
電話をかける

<死んだあとの 幸せの味は
いかがですか
こちらやっと不幸
まだ 肥りすぎてゐないなら
会ひませう いちど>

吉原幸子
「夜間飛行」所収
1978

マダム・レインの子供

マダム・レインの子供を
他人は見ない
恐しい子供の体操をするところを
見たら
そのたびぼくらは死にたくなる
だからマダム・レインはいつも一人で
買物に来る
歯ブラシやネズミ捕りを
たまには卵やバンソウコウを手にとる
今日は朝から晴れているため
マダム・レインは子供に体操の練習をさせる
裸のマダム・レインは美しい
でもとても見られない細部を持っている
夏ならいいのだが
雪のふる夜をマダム・レインは分娩していたんだ
うしろからうしろからそれは出てくる
形而上的に表現すれば
「しばしば
肉体は死の器で
受け留められる!」
球形の集結でなりたち
成長する部分がそのまま全体といえばいえる
縦に血の線がつらなって
その末端が泛んでいるように見えるんだ
比喩として
或る魚には毛がはえていないが
或る人には毛がはえている
それは明瞭な生物の特性ゆえに
かつ死滅しやすい欠点がある
しかしマダム・レインの所有せんとする
むしろ創造しようと希っている被生命とは
ムーヴマンのない
子供と頭脳が理想美なのだ
花粉のなかを蜂のうずまく春たけなわ
縛られた一個の箱が
ぼくらの流している水の上を去って行く
マダム・レインはそれを見送る
その内情を他人は問わないでほしい
それは過ぎた「父親」かも知れないし
体操のできない未来の「子供」かも知れない
マダム・レインは秋が好きだから
紅葉をくぐりぬける

吉岡実
サフラン摘み」所収
1976

兄弟

<じゅん子 兄ちゃんのこと好きか>
<すき>
<好きだな>
  <うん すき>
<兄ちゃんも じゅん子のこと大好きだ
 よし それではっと・・・何か食べるとするか>

天使の会話のように澄んだものが
聴えてきて はっと目覚める
夜汽車はほのぼのあける未明のなかを
走っている
乗客はまだ眠りこけたまま
小鳥のように目覚めの早い子供だけが
囀りはじめる

お爺さんに連れられて夏休みを
秋田に過しに行くらしい可愛い兄弟だった
窓の外には見たことのない荒海が
びしりびしりとうねりつづけ
渋団扇いろの爺さんはまだ眠ったまま
心細くなった兄貴の方が
愛を確認したくなったものとみえる

不意に私のなかでこの兄弟が
一寸法師のように成長しはじめる
二十年さき 三十年さき
二人は遺産相続で争っている
二人はお互いの配偶者のことで こじれにこじれている
兄弟は他人の始まりという苦い言葉を
むりやり飲みくだして涙する

ああ そんなことのないように
彼らはあとかたもなく忘れてしまうだろう
羽越線のさびしい駅を通過するとき
交した幼い会話のきれはし 不思議だ
これから会うこともないだろう他人の私が
彼らのきらめく言葉を掬い
長く記憶し続けてゆくだろうということは

茨木のり子
人名詩集」所収
1971

黄金分割

重大な責任をとった
というときに
重大でない部分は
各自の責任に
移される
そこからかろうじて一歩を
踏み出さねばならぬ
われらをうごかしたのは
いわば運命であり
国家もまた運命である だが
運命もまた
信ずべきなにかである
だまされた で
すむはずはない
信じ切った部分と
見捨てられた部分
もはや信じえない部分とを
詩人であるかぎり
整合しなければならないのだ
黄金の分割のために

石原吉郎
「足利」所収
1977

構造

 よろこびは いかなる日にあったか。あるいは苦しみが。よろこびと苦しみの その構造を除いて。いかなる自由においてえらばれたにせよ えらばれたのは自由でも 苦悩でもなく つねにその構造であったということを。語りつがれたものはその構造でしかなく 構造をうながしたものは 永久に訪ねるもののない原点として残りつづけたし 残りつづけるのだということを 一度だけは確認する必要があるだろう。
 ゆえに 語りつがれなければならないのはつねに それを強いた構造ではなく それが強いられた構造である。しいられた果てを おのれにしいて行く さらに内側の構造である。
 その構造において 構造をそのままに おのれにしいる静寂があったということを およそ語りつぐものは一人であり 語りつがれるものもまた一人である。
 われらが構造にやすんじあえるのは まさにそのゆえである。

石原吉郎
「禮節」所収
1974

背後

きみの右手が
おれのひだりを打つとき
おれの右手は
きみのひだり手をつかむ
打つものと
打たれるものが向きあうとき
左右は明確に逆転する
わかったな それが
敵であるための必要にして
十分な条件だ
そのことを確認して
きみは
ふりむいて きみの
背後を打て

石原吉郎
「斧の思想」所収
1970

また

 私はトゲトゲの多い小さい草の実だから、それで人にとりつこうとするほかなかったのだ。
 その人もやっぱりさびしい旅行者だったので、草の実をはこんだけれどおしまいには私を落した。
 トゲが折れ摩滅した時、はなれて落ちるのは草の実として当然のことにちがいない、それで事は成就するのだから──
 だから悲しみというものは人間に必要なことに属するのだ。
 かんじんなことは何が成就したかを知ることだ。そしてそのことでさびしさをいやす努力をすることだ。
(タトエバ仮リニ、詩ヲカクト云ウコトダケデモ・・・・)

永瀬清子
短章集「流れる髪」所収
1977

時刻表

大型時刻表と
小型時刻表と
二つの列車時刻はどう違いますか。そういう問いあわせが
旅行斡旋所へくる。
笑わせはするが
それもそうだ、と思う。

私のこれまでの旅の度数は
たぶん、
百回、二百回を数える。
その時どきに
旅疲れにひっくるんで
使い棄てに放り出した時刻表は何冊を数えるだろう。

太く短く。
細く長く。
という時間哲学がある。これに照らして
どうやら私は
後者のタイプか。
そうだとすれば小型の方が時刻操作に役立つだろう。

ところがこのごろ
ひどく皺よった私の時間は
胸のあたりでつかえたり、しゃっくりしたり、
震えたりする。
そうだとすれば大型で
いくらかでも幅ひろくする方がいい。

手こずるのは、
太くもほそくもない
長くもみじかくもない
精神的漂白という奴。
こいつは
大型、小型のどちらに組みこまれるか。

近頃流行は
ディスカバー・ジャパンという
旅のそそのかし。
さては、
金権暴力横行地方の
暗黒裏面ひっぺがしの旅。その発掘であるか。

 (いや、何に。
  ただ遠くへ行きたい、だとさ)

こんどの旅に
大型、小型の
どちらの時刻表を買うか。
Kiosk なんぞと文字マークをくっつけてる
駅ホームの売店で訊いて
時間をムダにしない方の一冊を選ぶとしよう。

伊藤信吉
「望郷蛮歌 風や天」所収
1979

言葉の死

言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときはもう死んでいた。

言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった、
いつでも言葉とは一緒だったが。

言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ、
いったい言葉が死ぬなんて。

言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか、
そうじゃないと誰もが知っていた。

言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。

言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。

言葉が死んでいた。
誰にもアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。

言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「私だ」と名乗る誰もいなかった。

長田弘
言葉殺人事件」所収
1977