母よ母よ
たうとうあなたは間違へてしまった
毎日みてゐる娘の顔を
<この子は早く母親に死に別れて
わたしが子供のやうに育てたのよ・・・>
死んだ末の妹と間違へたのか
嫁に行った孫と間違へたのか
それから台所のすみにうづくまって
オイオイ泣いた
<何もわからなくなっちゃった
何もわからなくなっちゃった>
わたしよ
鏡ののなかに 一本づつふえてゆくシラガを
そんなにもやすやすと じぶんにゆるすのなら
(まして)
老いてゆく母をゆるさねばならない
母が老いてゆくこと を―
あなたにはじめて腕相撲で勝ったむかし
わたしは笑ひながら
たくさん泣いた
けふはあなたが泣いたので
わたしは笑はうと必死だったのだ
<まあ奥さま 冗談ばかりおっしゃって・・・>
追ひこされることは ちっともつらくない
甥っ子と 海で 石投げをすると
はじめはわたしのほうがとんだ
それからだんだん
キャッチボールのとき わたしの手がいたくなって
ある日 彼のボールがとれなくなった
丁度あのころ
わたしはあなたを追ひこしたのだ
腕相撲に勝ったのは ほんとにつらかった
けれど今
あなたはわたしを もう一度追ひこして
ずっと先の方へ 行ってしまった
あなたが三分で忘れることを
わたしだって三日で忘れるのだから
永遠のなかでは たいしてちがいはない
母よ
時間が夢のやうに流れて
いとしいものがごちゃまぜになって
うらやましいわ
泣かないで
ほら わたしのシラガを ぬいてください
いつものやうに
吉原幸子
「夢 あるひは・・・」所収
1976