Category archives: 1990 ─ 1999

静かな日

目は見ることをたのしむ。
耳は聴くことをたのしむ。
こころは感じることをたのしむ。
どんな形容詞もなしに。

どんな比喩もいらないんだ。
描かれていない色を見るんだ。
聴こえない音楽を聴くんだ。
語られない言葉を読むんだ。

たのしむとは沈黙に聴きいることだ。
木々のうえの日の光り。
鳥の影。
花のまわりの正午の静けさ。

長田弘
心の中にもっている問題」所収
1990

もう一枚の舌の行方

まっさらな舌
どんなことばの欠けらものせたことがない
どんな食物もあじわったことがない
うまれたばかりのま新しい舌
それら聖なる純白の舌千の舌万の舌
なにかとてつもない予言を発するにふさわしい
それらうまれたてのきよらかな舌よ
白くすきとおってやわらかいその舌たちは
この世にうまれてほんの数分で脱けおちてしまうので
うみおとす当の本人さえみたことはないのだけれど
ねえ母さん
つぎからつぎへとうまれてきて
こっそりときえていく
あれらまっさらな舌たちは
いったいどこにいるのでしょうね
すりかえられた舌ともしらずわけしりがおに
鴨のオレンジ・ソースなどうれしげに食べている
どんな痴れ言だってぬけぬけといいとおしてみせる
わたしたちの舌のどこかに
かすかにあのまっさらのすきとおった
ついに一切から不可蝕のまま
消えていった舌たちへのうしろめたさがのこっていて
それで時々
ひとはぴったりと心よりそったつもりのおしゃべりの最中
とりつくしまもなくふいにこわばる舌の上で
ことばのつぎほ見失ったりするのではないでしょうか

征矢泰子
花の行方」所収
1992

発芽

十四歳の冬の朝
雨戸をあけると
光と綿ぼこりの積まれた
学習机の上に
あらゆるイメージが死んでいた
出来事はすでに片付けられ
時間が乾拭きにやってくるのを
待つだけ

学校は蛇のようで
制服に呑まれ
手にはその日ごとに買う電車の切符
ビーナスが林間をさまよおうとも
裳裾をひきずり
隣りに座り直そうとも
私には垂れた腕ばかりの自分しか
確かめられない
夢で 時々
誰かをひどくののしって目が覚めた
(なんとつまらないことを)
とは思わなかった
ただ 満たされた幸福な気持がして
身を起こしてぼんやりした
激しいものが出口を探している
それがなぜ
ニクシミの激しさでしかないのか

十四歳の冬の朝
光と綿ぼこりの積まれた
学習机の上で
私は冬の初めてのにおいをかぎ
イメージの鉄格子から
つばを吐き捨てる人を見た

井坂洋子
地上がまんべんなく明るんで」所収
1994

もしもそのとき

もしもそのときがあるなら
胸騒ぎを押さえている
もしもそのときがあるなら
ぼくも疾風になって行くことができるだろうか
暗いガラス窓には
ぼくを見つめる二つの目が光っている
陽子はくろずんだ瞳をようやく閉じ
もしもそのときがあるなら
そんなことはありえないという
吐息に近い願いのむこうがわで
束の間の哀しい睡りについている
ティッシュペーパーに手をのばし
タンが出るときの用意を忘れていない
もしもそのときがあるなら
ああそれっきりだ
もしもそのときがあるなら
胸騒ぎを押さえている
胸騒ぎではない
すでに知らされていることだ
さからっているから
胸騒ぎになるだけだ
暗いガラス窓には
ぼくを見つめる二つの目が光っている
もうどうしようもないのに
凋むまいと
あきれるほど
大きな眼に
なっている

倉橋健一
「藻の未来」所収
1997

季節

線路に下りて
夢中で餌を啄ばんでいた小さな鳩は
気がつかなったのだ
忽ち
プラットホームに進入してくる電車の
風圧に巻き込まれ
小さな身体が
無惨にも轢殺された
眼の前で
一羽の小さな鳩が死んだとき
隣国から
一人の青年の死が届いた
どこから射ったのか
銃弾が胸を貫き
群衆の見ている前で
仰向けに倒れた
血が流れている右手の先に
コーラの赤い缶が転がっていた
そして
熱い飢餓地帯で母親の痩せた乳房をくわえた
小さな命が
またひとつ絶えた
私がいつも歩いている町では
家の庭に
あじさいの花が咲きはじめ
いま紅色に変ったところだ

上林猷夫
「鳥の歌」所収
1994

ミオの星から

なんども生まれかわる星がある
闇に光り 闇に消えて 
ある日 秋の町にとどくのだ
あたりにはぼうぼうと
赤い夕日が燃えていて
その一点に
ミオの光はともるのだ
私は書こう あなたに
生まれ変わるための
長い年月について
そこにとどくときのよろこびと
消えるときのおののきについて
何億年も残るのは 私の体を包んだ
もう一つの金色の光であったことを

稲葉真弓
「アンサンブル」掲載
1992

ぶくろ界隈夕景

陽が暮れて
街街の 仕切られた灰色の窓が
バタバタと落ちはじめる
まっ先に 微かな音が
エスカレーターの段差が硬くたたまれるようにして
世の中の寸法を合せてしまうと
このあたりでは すんなりした脚で有名な
娼婦が ひときれの肉を煮る銅鍋を抱えて
過去に抱かれるようにぼんやりと
どこかへ向って馳けていく 誰も知らないところへ

雲が星によって閉じつけられるのか
星が雲によってくだかれたか
街街の部屋の片隅で
女たちが ひどい脱色のために
細くなった髪の流れを
きついピンクのクリップで捲きあげて
産み落した筈の影の子供に
何ごとかささやいているのがみられた
ときには小さな庭の
トウモロコシの 青くむくんだ葉かげで
のびのびとおしっこをする隣家の女もある
捨て猫とならんでじっとして
そこを吹く風は闇によって
殊更涼しいにちがいない

森原智子
1999

薔薇のゆくえ

ばらは さだめ しり
かぜと でかけ た
まちも むらも ない
いしの あれの で
ばらは かたち とけ
うたに なった よ

うたは かおり すい
つばさ ひろげ た
ほしも みずも ない
いわの はざま で
うたは くだけ ちり
ゆきに なった よ

谷川雁
「白いうた青いうた」より
1995

朝、床屋で

春めいてきた朝。
理髪店の椅子に仰向けになり、
顔を剃ってもらってゐる。
ラジオは電話による身の上相談の時刻。
どこにもありさうな家庭のいざこざ。
だが、どこにも逃げ場がない、と
思ひこんで迷ってゐる、涙声の女。

つい貰ひ涙がこぼれさうになるのを、
唾をのみこんでこらへてゐるが、駄目だ。
こめかみを伝って、耳の孔に
流れこまうとするのを、自分では拭へない。
すると、剃刀を休めたあるじが、
タオルの端でそっと拭いてくれた。
何だか失禁の始末でもしてもらった気分だ。
椅子ごと起されると、鏡の中から
つるんとした陶器製の顔が、
わたしを見つめてゐる。
───いいんだ、それでいいんだ。
さう言ってゐるやうな澄まし顔だ。
何がいいのか、よく分らない。

安西均
「指を洗ふ」所収
1993

アンタッチャブル・ワールド

汗ばんだあなたの裸身を両手でだきしめるとき。
わたしはのこされた最期の現実に触っているのだ。
もっと多くのものに触りたい手のさびしさは。
氾濫するうつつの映像にただむなしくさしのべられて。
さわれないうつつ、ふれあえないうつつ。
こんなにもたえずいっぱい見つづけながら。
その指先はけっしてとどかないうつつは。
鏡の中にとじこめられている。

目ざめても目ざめてもまるでなおゆめのつづき。
のようなこの日々のよそよそしさは。
少しずつたましいをやせほそらせてゆく。
溺れても溺れても濡れない海の中で。
生きているうつつにさわれないでなお生きていく。
身体はどこまでたましいを生かしつづけることができるだろうか。
どれほどにはげしく、どれほどに深く。
あなたに触りつづけたとしても。
一人のあなたでは世界はまずしすぎるとしたら。

征矢泰子
「花の行方」所収
1993