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Advice to a Blue-Bird

 Who can make a delicate adventure

Of walking on the ground?

Who can make grass-blades

Arcades for pertly careless straying?

You alone, who skim against these leaves,

Turning all desire into light whips

Moulded by your deep blue wing-tips,

You who shrill your unconcern

Into the sternly antique sky.

You to whom all things

Hold an equal kiss of touch.

 

Mincing, wanton blue-bird,

Grimace at the hoofs of passing men.

You alone can lose yourself

Within a sky, and rob it of its blue!

 

Maxwell Bodenheim

From “Introducing Irony

1920

新婚旅行

うさを

あけたりしめたりしている

サバ

ふくらはぎ の なめらかな したたかな魚的に白い ふくらみ に

ミスプリント(ジャバと書いてある

何?

ジャワ科 ジャパン科)

のゆかたなど着せて

晴らす障子の うっすラ・イト

お宿のお蒲団 ぬくぬくと 悪気もなく

口をマさぐっては離れ うとう してる

鳩 だまれ

ずっとずっと吸っていたい

就職してるわけでもないのに

朝です、、、と目覚ましに叱られ

避難訓練みいたいなテレビのせわしなく

朝の汁が酸化する

お連れの おんな の かた は

と聞いてくれれば

わたしの妻です

と おんながてら に

かってらに

しとしとやかに

ところが

「その ガイ の 方 は」

と お宿 の おかみ は 尋ねる

「その 外部 の 方 は トーストは

めしあがれますか」  (差別用語を避けているみたいな様子 さすが京都)

納豆 と 言おうとして まちがえたの鴨

それとも時代が変わったの

時代がかわったおんなは みんな偏食視される

たべられますか めしますか めし/あがりますか

おかわり しますか? おかわり ありませんか?

おかわりした おんな かわった おん

この ひと おんな で ね

わたし も おんな で ね

でも わたし たち けっこん してます

けっこん

漢字を間違えて おかみは あわてて洗濯し始める

ぬるぬる と 真っ赤に

選択した 感じ では

なにがなんでも 血痕の疑いを洗い落として

おんな と おんな を

ふうふ(う)と(熱い汁を吹きながら)見なしたくない

たくない

らしい

なにしろ 観光地ですから と

そんな ささなこと を 言い訳にして

 

多和田葉子

傘の死体とわたしの妻」所収

2006

石神井書林の古書目録

石神井書林さんから古書目録が届きました!

石神井書林は詩集を扱う古書店としては有名な存在です。

目録販売が主で、店を持たない営業形態ですが、この目録の内容が素晴らしいです。

美しい写真が豊富に掲載されており、見ているだけで実に楽しい。

お値段は希少本だけにかなりお高めですが。

例えば、こちらの昭和15年発行の「山之口貘詩集」本人のサインと詩が書き込まれており、お値段15万円!

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また、こちらの北原白秋の「わすれなぐさ」大正4年発行、総皮装で、86400円。

 

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こちらは昭和27年刊行のロートレアモン「マルドロオルの歌」青柳瑞穂訳、オリジナルの銅版画5枚付きで151200円。

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このような希少な本の写真を見ているだけで、ため息がでますが、文章だけのページも楽しいです。

例えばこれなど。

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室生犀星自筆原稿、「汽車であった女」ペン書き400字詰め23枚、27万円とあります。

他にもコーネル革装、三方マーブル装、など、想像してみるだけでも楽しい。

 

目録が欲しくなった方はこちらを参照してください。200円切手を送付すれば、郵送してくれます。

 

森がある

ある娘の胸の前に暗い道路がひとすじ延びている、

夕闇か、夜明け前かはわからない。

道路に娘は立っていてそれから歩きはじめる、

道路に沿って道路の上を歩きはじめる、

あたたかい格好だよく備えた格好だ。

 

地虫が一匹、道路の先で歌っている、

大きい、大きい、ありったけの声で、

 ナスとパセリは仲がいい

 トマトとニラは仲がいい

 ニンニクとイチゴは仲がいい

 春菊とレタスがチンゲンサイを蝶から守る

娘の耳に、ありったけの声がかすかに届く、

娘はふるさとを思い出す自家用畑を思い出す、

そうして娘は元気を出す、

森が生える。

 

道路の左右に森が生える、

道路の右に針葉樹の森がひろがり、

道路の左に広葉樹の森がひろがり、

一頭の馬、100年生きた黒い馬がブナの陰から

娘が娘のまま歩いて森を抜けるのを遠くに見届ける、

地虫はまだ同じ歌を歌っている、

娘はききとる、

むねにきざむ、

くちずさむ、

娘のブーツの右足が地虫のすぐ脇を踏む、

 

森の終わりぎわの道路っぱたに男がふたりしゃがんでいる、

あれは無頼気取りのだ、そうだおしゃれだが踊れない奴らだ。

あれには森の終わりが森の始まりにみえる、

だからあれは自動車を森の終わりに乗りつけて平気でいて、

吸いなれない煙草を競って吸っていて、娘が通るのを

待っていて、

そこへ速度をもった電灯がふたつ向かってくる、

子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。

あれはふたりでひとつになって驚いて跳びすさって、

自分の腰が曲がっていることに

まだ、気がつかないでいる。

 

娘はもう森からずいぶん離れた場所まで歩いてきたのだ。

道路はいつまでたっても二手には分かれない、

娘は疲れて、明るく灯るカフェにはいる。

 

するとカフェは同じ顔した娘でいっぱいで、ほとんど満席で

ある娘は痩せある娘は肥り、

ある娘は妊娠しておりある娘は年取っており、

ある娘はもっと小さい娘を連れていて、

道路は黙って待っていて退屈しのぎにカフェの灯りを見ていて、

カフェの窓のほうは道路には目もくれずに、道路ぎわに生えたカツラの、

図ったような黄色と緑の散らばり具合を撮っていて、そのあいだに

一頭の馬、1000年生きた黒い馬がカフェの窓から漏れる灯りのなかを走り抜けてゆき、

 

日が昇る。

道路がカフェに目を戻すと灯りは消えていて、

誰もいない誰もいない冷たい朝になっていて、

娘がひとり、扉をあける──

娘の胸の前に明るい道路が水平に延びている、

道路と水平に両手をいっぱいに娘は伸ばす、

朝の光を全部吸い込むために。

娘の左手の道路の先から

娘の右手の道路の先へ

速度をもった塊がふたつ、娘の胸の前を横切ってゆく、

子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。

両目を見開いて、娘はふたつの速度を見送る、

乗ったことのない速度を見送る。

 

娘の準備は整っている、

あたたかい格好だよく備えた格好だ。

 なすとぱせりはなかがいい

 とまととにらはなかがいい

 にんにくといちごはなかがいい

 しゅんぎくとれたすがちんげんさいをちょうからまもる

自分の賛美歌を娘は歌いながら

道路を渡る、

そこへ

めきめきと森が生える。

 

大崎清夏

指差すことができない」所収

2014

私たちは海辺に住まう(抄)

 かつて、熱心に風の名を集めた人があった。その人によると、『万葉集』の末二巻のなかでは「アユノカゼ」に「東風」の二字を当てているという。そして、風が陸地に打ち上げるものを、人々は寄物と呼んだ。

 海からのくさぐさの好ましいものを、日本人に送ってよこした風の名が「アユ」であった。

 東風がどのような宝物を吹き寄せたのか、浜辺に立つ私たちには、もはや知るよしもない。

 けれども、私もまた、集めようと思う。風の名を。

 

城戸朱理

漂流物」所収

2012

生命あるものの濡れるところ(抄)

 それらは、自らが何かであることを洗い流されて、逆に、これから何かでありうるような薄明の領域に打ち上げられたのだろうか。

 そのようにも見える。そして、物言わぬ物たちは、その背中に海の響きを潜ませているようにも。

 カーゴカルトと呼ばれる原始的な信仰の形態を思い出してもらいたい。たとえば、未開の種族の居住地に飛行機が墜落する。すると、彼らは天から降ってきたその機械を、神からの贈り物と思い込み、機体と積荷は信仰の対象となる。

 そんな激しい価値の転倒が、浜辺では、いつも起こりつつある。ときに膝を付き、ときには頭を垂れるような姿勢になるのは、そこが地の果てであって、この世の外に限りなく近いところのように思われるからではないのか。波と戯れる人々も、また、半裸の姿で、自分が誰かであることを、なかば風に攫われつつあるように見える。

 潮風が、髪に躰に、微細な海のかけらを積もらせていく。波は、あまりにも無造作に寄せては返し、その無造作ゆえに、時の鼓動となる。そんな波を、以前、思いがけないところで目にして、驚きに打たれたことがあった。映画館のスクリーンで。あれは「カルメンという名の女」という映画だったろうか。珍しくもない、眺め、そして、鼓動。

 そのとき、生物の心臓も別の時を刻み始める。

 漂流物。すでに何かであることを終え、その名を失ったもの。それでも、再び、誰かが彼らに名前を与えることはできる。そして、そのときまで、彼らは未生の状態でまどろんでいる。

 

城戸朱理

漂流物」所収

2012

The Gift to Sing

 Sometimes the mist overhangs my path,

And blackening clouds about me cling;

But, oh, I have a magic way

To turn the gloom to cheerful day—

      I softly sing.

 

And if the way grows darker still,

Shadowed by Sorrow’s somber wing,

With glad defiance in my throat,

I pierce the darkness with a note,

       And sing, and sing.

 

I brood not over the broken past,

Nor dread whatever time may bring;

No nights are dark, no days are long,

While in my heart there swells a song,

       And I can sing.

 

James Weldon Johnson

From “Fifty years & Other Poems”

1917

詩と美術のコラボレーション(スペクトラム展)

本日スペクトラム展に足を運んできました!

@表参道スパイラルガーデンです。

キャプチャ

表参道のスパイラルガーデンの30周年記念企画としてスペクトラム展が開催されています。

栗林隆、榊原澄人、高橋匡太、毛利悠子の4人のアーティストがそれぞれのアート作品を展示しています。

今回、私が足を運んだのは、これらのアート作品とコラボレーションする形で4人の詩人がそれぞれ公開制作を行うというイベントがあったためです。

参加した詩人はカニエ・ナハ、三角みづ紀、大崎清夏、谷川俊太郎。豪華メンバーです。

残念ながら公開制作の現場には立ち会えなかったのですが、アート作品と共に4人の詩人の言葉が展示されており、アートと詩の言葉の融合という新しい試みを堪能できました。

写真撮影は自由、入場無料との事で、パチパチ撮ってきましたよ!

こちらは毛利悠子さんの「アーバン・マイニング:多島海」です。

後ろに見えるのはLED証明に切り替えたため不要となった街路灯です。手前の物は空き缶で作った回路。

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こちらが、アップの写真です。こうして見ると街路灯とは何か別の物体という感じがします。

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空き缶で作ったミニチュアの街路灯です。こちらは、なんだか可愛らしい。

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そしてこの作品について書かれた詩がこちら。カニエナハさんです。

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また、こちらの作品は栗林隆さんの「Vortex」です。

原発事故の汚染土をつめたフレコンバッグをイメージした立方体の中に入るとこのような輝くシャンデリヤが現れます。これは一個一個のガラスが文字になっており、内容はアインシュタインがルーズベルトに送った原爆の開発許可を求める手紙の文章です。ただし鏡文字なので読むためには振り返って影を見る必要があるとか。

 

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そしてこの作品には三角みづ紀さんの作品が。

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そして谷川俊太郎さん

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大崎清夏さんです。

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カニエ・ナハさんの作品が限定30部で販売していましたので、1冊購入。

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中身はこんな感じです。

 

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ただ詩の作品を掲示するだけでなく、もっと斬新なことが出来たかもしれないと考えると少し物足りない感もありましたが、アートと詩の融合という新しい試みはなかなか興味深いものでした。

2015/10/18まで開催していますので皆さんも足を運んでみてはいかがでしょうか?

詳細はこちらです。

詩集の美 「でらしね」

── 詩集の美を鑑賞する ──

詩集は読むだけでも、もちろん楽しいですが、もうひとつの楽しみは実際に詩集を手にとってその装丁を楽しむことにあると思います。

美しい装丁にパッケージされた詩集は、所有することの喜びを与えてくれます。

古今出版されてきた詩集の数々は素晴らしい装丁のものが多いですが、ここでは、私管理人自らが購入した詩集の中からお気に入りの品々を紹介していきたいと思います。

第一回は小林坩堝さんの「でらしね」です。

最初に手にとった印象は「カッコいい!」でした。

オレンジ色一色に統一されたカバーが鮮烈な印象を与えます。

挟み込んである解説も、カバーと同じ用紙で統一されています。

解説は瀬尾育生さんと久保隆さんです。

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オレンジのカバーを外すとこんな絵が。がらりと印象が違います。意外性があっていいですね。こちらが「本当の表紙」だそうです。

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2013年思潮社刊、定価2400円(税別)、装丁は斎藤種魚さんです。

斎藤さんは漫画家でもあり、「コシヒカリの見た夢」を出版されてらっしゃいます。

こちらもシュールな絵が薄緑色のモノトーンに統一されたカバーで美しいですね。

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「でらしね」とはフランス語で「根無し草」、転じて「故郷を喪失した人」を指します。

その名前に相応しく、デカダンスの雰囲気が濃厚な二十一篇の詩が収められています。幾つかは散文詩であり、小説を読んでいるかのようです。一般的な詩集より圧倒的に文字数が多いので満腹感もありますよ。

小林坩堝さんは1990年生まれ。この「でらしね」が第一詩集になります。

当サイトではこの「でらしね」から二篇の詩を掲載させていただいております。

是非読んで見てください!

沖へゆけと彼は云った

薔薇は咲いたら枯れるだけ

残念ながら、「でらしね」アマゾンでは品切れ状態のようです。購入の際は、直接思潮社ホームページで注文するほうが早いようですね。

思潮社ホームページはこちらをクリック

 

沖へゆけと彼は云った

まだ明けぬ夜のしじまに

彼は暗い海を指差し

沖へゆけ

と一言云った

彼はそれからだんまりだ

眼に小さな光を湛えて

彼は夜の灯台となった

沖へゆけ

海は荒れている

舟は不安定に波間を上下した

舟出に嵐

死にゆく者たちの為めにあるような

素晴らしい出航のとき

舟ははしる

波から波へそして沖へ

ランタンの灯はあかあかと

暗い夜風に瞬いて消えた

おお

この暗闇

すべてを

この世の凡そすべてを

呑み込んでなお余りある引力の不思議

セイルは破れ

舵は朽ち

しかし舟の突端は沖を目指す

 

夜明けだ

水浸しの部屋で

模造船を毀す戯れごと

沖へ

沖へゆけ

ベッドのうえに眠るセイラー

きれいに浄水された水槽

一呼吸に死んでゆく細胞

歪んで視えるテレヴィジョン

あぶくを吐き出し乍ら伝えられる朝のニュース

Tsunami、

と聴いた

まるでそれ自体が一体の生物であるかのような

死骸の街

 

戸を開けて

沖はまだか

海は天にあるのか地にあるのか

ふやけた足裏では判らない

彼は知っていた筈だ灯台

うつくしい潮の満ち引き

あらわに転がるは

陽の強さに黒く瓦解する

日常

そして

目指されぬ標となった

わたしたちの骨のざわめき

つぎつぎと透き通って消えてゆく

沖へと向かう舟の夢 夢

 

波音・・・・・、

 

小林坩堝

「でらしね」所収

2013