沖へゆけと彼は云った

まだ明けぬ夜のしじまに

彼は暗い海を指差し

沖へゆけ

と一言云った

彼はそれからだんまりだ

眼に小さな光を湛えて

彼は夜の灯台となった

沖へゆけ

海は荒れている

舟は不安定に波間を上下した

舟出に嵐

死にゆく者たちの為めにあるような

素晴らしい出航のとき

舟ははしる

波から波へそして沖へ

ランタンの灯はあかあかと

暗い夜風に瞬いて消えた

おお

この暗闇

すべてを

この世の凡そすべてを

呑み込んでなお余りある引力の不思議

セイルは破れ

舵は朽ち

しかし舟の突端は沖を目指す

 

夜明けだ

水浸しの部屋で

模造船を毀す戯れごと

沖へ

沖へゆけ

ベッドのうえに眠るセイラー

きれいに浄水された水槽

一呼吸に死んでゆく細胞

歪んで視えるテレヴィジョン

あぶくを吐き出し乍ら伝えられる朝のニュース

Tsunami、

と聴いた

まるでそれ自体が一体の生物であるかのような

死骸の街

 

戸を開けて

沖はまだか

海は天にあるのか地にあるのか

ふやけた足裏では判らない

彼は知っていた筈だ灯台

うつくしい潮の満ち引き

あらわに転がるは

陽の強さに黒く瓦解する

日常

そして

目指されぬ標となった

わたしたちの骨のざわめき

つぎつぎと透き通って消えてゆく

沖へと向かう舟の夢 夢

 

波音・・・・・、

 

小林坩堝

「でらしね」所収

2013

2 comments on “沖へゆけと彼は云った

  1. 「沖へゆけと彼は云った」は小林坩堝さんの許可をいただいて掲載しています。
    無断転載は禁止です。

    この詩を読んで興味を持たれた方は是非下記のサイトもご覧になってください。

    ツイッターアカウント
    @desertcarrot

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください