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吉日

 一年生の新しい教科書の裏へ、私の名とともに、父が大正九年四月吉日と書いてくれたのを覚えている。その、吉日というのがいぶかしく、吉日という読み方と意味を、父から聞いたようにもおもうがさだかでない。
 父は吉日という言葉が好きだったようだ。私へくれる手紙の日附はきまっていつも吉日だった。それが月のはじめでも終りでも、三月吉日、五月吉日、十月吉日というふうに。生母を早く亡くした父は幼い日から苦労をしたようだし、私の知っている後半生も決して幸せなものではなかった。
 キチニチ、キチジツ、──私の使っている辞書にはこう出ている。めでたい日。よい日がら。物事をするのに良い日。
 友達の娘が小学校へ入学したお祝いに、私はこころばかりの贈物をし手紙を書いた。その手紙の終りの日附に私は四月吉日と書いた。四月一日でも、四月二日でもなく、その時の私の気持は、どうしても四月吉日でなければならなかったのだ。

大木実
「蝉」所収
1981

働かざるもの食うべからず

ぐうたらで、不平家で、ろくでなしで、腹へらし。
木の頭、木の手足の操り人形だった、ピノッキオは。
顔のまんなかに、先もみえないほどの長い鼻。
耳はなかった。だから、忠告を聞くことができなかった。

悪戯好きで、札つきの横着者で、なまけもの。
この世のありとあらゆる仕事のうちで、ピノッキオに
ほんとうにすばらしいとおもえる仕事は、ただ一つだった。
朝から晩まで、食って飲んで、眠って遊んでという仕事。

勉強ぎらい、働くこと大きらい、できるのはただ大あくび。
貧しくてひもじくて、あくびすると胃がとびだしそうだ。
けれども誰にも同情も、物も乞うこともしなかった。
食べるために働くひつようのない国を、ひたぶるに夢みた。

この世は性にあわない。新しいパン一切れ、ミルク・コーヒー、
腸詰のおおきな切り身、それから砂糖漬けの果物。
巴旦杏の実のついた甘菓子、クリームをのせた蒸し菓子、
一千本のロゾリオやアルケルメスなどのおいしいリキュール。

それらを味わいたければ身を砕いて働けだなんで、
ぼくは働くために生まれてなんかきたんじゃないや。
腹へらしのなまけものの操り人形は、ぶつぶつ言った。
まったくなんで世の中だろう。稼ぎがすべてだなんて。

こころの優しい人があわれんで、パンと焼鳥をくれた。
ところが、そのパンは石灰で、焼鳥は厚紙だった。
服を売って、やっと金貨を手に入れて、土に埋めた。
水もどっさり掛けたが、金貨のなる木は生えなかった。

胃は、空家のまま五カ月も人が住んでない家のよう。
それでもピノッキオは言いはった。骨折るのはまっぴらだ。
操り人形が倒れると、駆けつけた医師はきっぱりと言った。
死んでなきゃ生きてる。不幸にも生きてなきゃ死んでいる。

*コッローディ「ピノッキオ」(柏熊達生訳)

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

軽いロマンス

菫の花の匂ひのする
若いアミの傍で
洒落たグライダアについて考へる

「僕のグライダアを何いろに塗らうかな」
「ゴリラいろにお塗りなさい」
お ゴリラいろのグライダアは釘抜きのやうに空をすべり
一杯の熱い珈琲が
僕たちの意味ないわらひを温める

友よ
かうしたひと時の
またかへらない淡い日を惜しみ
ちひさな町の公園を横切つたことがあるか
それは落葉にみちた

北園克衛
「定本・若いコロニイ」所収
1932

女を愛するとは

女を愛するとは
ひとりの女のすがたを描きかえることだ
また葡萄のひと房のなかに閉じこめることた
死からも水晶からも解き放つことだ

もう真つすぐに立つことができない女に
しずかな大理石の台座を与えよう
女の日日はむなしい心づかいに疲れはてて ふと
階段に立つていい知れぬ遥かなものを感じておもいにふける

こよいその庭でぼくは緑をささげる一本の樹だ
ぼくはゆたかな時を頭上にいただき
生命をいつも足もとにじかに感じて立つ愛の木だ

女を愛するとは
ほんとうの姿にたえず女を近づけることだ
神の姿を追つていくたびとなく描きかえることだ

嵯峨信之
「愛と死の数え唄」所収
1957

禿

── 一子乾の徴兵検査日に

 鮫のからだのやうに
ぺらりとむけてゆく
海の曙。

 ──かつて薔薇石鹸で
 官女の肌着を洗濯した
 そのにごつたゆすぎ水。

 ──いまは、すりへつてまるくなつた貝や、てんぼう、足んぼう、目も鼻も
   ながれた顔、ずんべらぼうなこころなどが底ふかくしづんでゐるだけの
 海。

ああ、かくまで消耗しつくした
水脈のはるかさ、遠さよ。
血のうせた頬の
死のふくらみ。

さだめし、いま、人類のあたまに
毛といふものはのこつてゐまい。

水のあま皮を突いて
突然、釘の先が出た。
潜水艇だ。
息苦しくてたまらなくなつて
ほつとしてうきあがつたのだ。

そのとつ先に、たちまち、
世界ぢゆうの生きのこつた神経があつまつて聴く。
アジアも、ヨーロッパも
のこらず禿げたといふ風信を。

金子光晴
落下傘」所収
1948

林檎の香

季節は老いゆく ゆるやかに
ひと日ひと日の陽のきらめきを
樹樹の根かたに蒼くしづめながら

時は透明な火となり樹の管をのぼる
なか空にひろがる枝枝の網目に
まろやかな果實を熟れさせるために

老いた季節は ある夜ひそかに
しろがねの夢を吐瀉してたち去る
果肉のなかに 凍る香りをとどめて

那珂太郎
「空我山房日乗其他」所収
1985

人魚姫に

声と一緒に多分
おまえはことばも
捨ててしまうべきだったのだ
声を失くしたおまえのことばは
おまえの中で
なんと重たく疼かったことか
ことばはもうけっして
おまえの外へは出ていかず
いつもただ おまえの中にふりつもった
愛に熟れていこうとするおまえの
ういういしいからだの中で
閉じこめられたことばはおまえを閉じこめた
おまえにはわからなかったのだ
愛はからだからもはじまることなど
ああ だからこそ
おまえはいのちと引きかえに
ことばたちに望みを託したのにちがいない
おしげもなくなげ捨てた
おまえのうつくしいからだから

ときはなたれた愛のことばたちが
すきとおった泡になって
遠くさらに遠く
とびちっていくのがみえる

征矢泰子
綱引き」所収
1977

こころ

潜水服をきる
水のなかにもぐる
ためではない
空のなかに
舞いあがる
ために

   ない命綱がひかれて
   しまったのだから

蹴る
蹴る
浮かばない浮かばない

   しかも命綱は
   垂れて光っているから

空のなかに
舞いあがら
ねばならない

   ゆっくり逆立ちして
   ない命綱を切る

舞いあがれ
ないからこうして
潜水服をきて
向きをかえて

空のなかに
舞い
落ちて
ゆこう
というのだ

宗左近
「こころ」所収
1968

道へ

それぞれのはじまりについて、わたしはなにもしらないが、はじける泡の生じるさまを眺めるくらいはしていたはずだ

(星々の獣道)にたって、草木の靡くのに耳をすませていたのだったか、蜜蜂や蝶の描くおぼつかない風の起こりを嗅いだのだったか、いずれにしてもこまかな粒のその内側へ、封じられた声を辿って虹はたなびき、いや、蛹や繭が雨露のあたたかさに揺すられたのか

やがて櫻の葉のふちに指をそわせ、蟬が啼くのにくすぐられた胸に、桃や枇杷の種を宿す

鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ

狸を見たか
はたして陽炎が産毛に抱かれる日に
かれらの瞳は走ったか
笹笛をさずけて

まりにゃん
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

原っぱ

 原っぱには、何もなかった。ブランコも、遊動円木も
なかった。ベンチもなかった。一本の木もなかったから、
木蔭もなかった。激しい雨が降ると、そこにもここにも、
おおきな水溜まりができた。原っぱのへりは、いつもぼ
うぼうの草むらだった。
 きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。
はじめてカミキリムシをつかまえたのも。きみは原っぱ
で、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。は
じめて口惜し泣きした。春に、タンポポがいっせいに空
飛ぶのをみたのも、夏に、はじめてアンタレスという名
の星をおぼえたのも、原っぱだ。冬の風にはじめて大凧
を揚げたのも。原っぱは、いまはもうなくなってしまっ
た。
 原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のもの
でもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもない
ものがあった。きみの自由が。

長田弘
深呼吸の必要」所収
1984