── 一子乾の徴兵検査日に
鮫のからだのやうに
ぺらりとむけてゆく
海の曙。
──かつて薔薇石鹸で
官女の肌着を洗濯した
そのにごつたゆすぎ水。
──いまは、すりへつてまるくなつた貝や、てんぼう、足んぼう、目も鼻も
ながれた顔、ずんべらぼうなこころなどが底ふかくしづんでゐるだけの
海。
ああ、かくまで消耗しつくした
水脈のはるかさ、遠さよ。
血のうせた頬の
死のふくらみ。
さだめし、いま、人類のあたまに
毛といふものはのこつてゐまい。
水のあま皮を突いて
突然、釘の先が出た。
潜水艇だ。
息苦しくてたまらなくなつて
ほつとしてうきあがつたのだ。
そのとつ先に、たちまち、
世界ぢゆうの生きのこつた神経があつまつて聴く。
アジアも、ヨーロッパも
のこらず禿げたといふ風信を。
金子光晴
「落下傘」所収
1948