白い四角
という緑
の立体
黒い円筒
という
紫
の平面
つぎは
黄いろい空間
のある
直線
の
街
夜
は
非常に円いハンカチ
のために
青くなる
髭
または
髭
のなか
の雷
それらのため
の
完全に重いピンクの薬
北園克衛
「煙の直線」所収
1959
白い四角
という緑
の立体
黒い円筒
という
紫
の平面
つぎは
黄いろい空間
のある
直線
の
街
夜
は
非常に円いハンカチ
のために
青くなる
髭
または
髭
のなか
の雷
それらのため
の
完全に重いピンクの薬
北園克衛
「煙の直線」所収
1959
―─雪が降って来た。
―─鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。十何年も昔のこと、「キリン」という 童詩雑誌でみつけた詩だ。雪が降って来ると、私はいつもこの詩のことを思い出す。 ああ、いま、小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。勤勉、真摯、調和、そんなものともどこかで関係を持っている。
井上靖
「運河」所収
1967
つたえてよ
風も雲もつたえてよ
女が ひとりここにいたと
歴史の風に吹かれていたと
吹かれ吹かれて 消えていったと
影ものこさず 匂いものこさず
一りんの薔薇よりも みじかくちいさく
生まれたことの おそろしさと
生きることの酷薄にも 細い首をもちあげて
うなだれることなく生き抜いたと
生きるにかなうひとつのことばを
空の太陽にかけようとして
投げつづけることのたたかいと
たぐりつづけることのたたかいに
飢え 渇き 飽くこともなく焼かれつづけて
ぼろぼろになって死んでいったと
洞窟のなかには
鍋も お釜も
髪の毛ひとすじも
なかった と
福中都生子
「やさしい恋歌」所収
1971
だまって
通る人を
見あげ見おくっている。
この六つくらいの子どもを
ぼくは自分の幼い子とくらべた。
しろい肩がみえ
メリヤスのシャツがやぶれている。
板きれをしいて
ズボンに下駄ばきのひざをだき、
ちいさな紙箱と
横にボール紙に
「私ノ父ハ軍属トナッテ――」と、六、七行かいてある。
止まる人も
読む人もない。
地下鉄からでてくる段々の中途で
人の足をとめるにはわるい場所だ。
いま出てきた人が
ひととおり途だえたとき。
両手をつきあげて
子どもは大きなあくびをして
ちょうどふりかえったぼくをみて、にこっとした。
秋山清
「象のはなし」所収
1959
昼すぎに人通りのない坂路を歩いてゐると、右手にある大きな煉瓦建の倉庫のなかで、ガラガラツ・・・・と螺旋のもどるような音がした。するとそこにある8といふ番号のついた鉄の扉の下から、水のようなものが流れ出て、土にしみながら蛇のやうにクネクネうねつて足の下まで来たので、あはてゝからだをよけると、こんどはその方へ向きを変へて来た。で、反対の方へそらすとそこへもついて来る。逃げ出すと、それも又大へんな速さで追つかけて来た。一生懸命に畑の方へ走つたが、やつぱりついて来る。それがもう踵にとゞきさうになつて、自分は息が切れて倒れさうになつた時、ちやうど頭の上にさし出た樅の梢をめがけて、エイツと飛びつくと、水のやうなものは足の下を通りぬけて、一直線に半丁ばかり先の方にあつた馬車の下まで行つたと思つたら、馬も車も二寸ほどの破片になつて飛び散つてしまつた!・・・・
稲垣足穂
「シヤボン玉物語」所収
1923
梅雨のみどりの中で
カキツバタがきれいだった
前に
こんな女のひとがいた
わたしはハサミで
その一本を切ってきて
机の上に挿した
まったく どこもかしこも
清潔にしていたひとだった
だが 急に
カキツバタは壺をぬけ出すと
みどりの中へもどっていった
あのひとのように
ながめられるので
はずかしかったのだろうか
わたしは後を追っていってさがした
カキツバタは数本
おなじかっこうをしていたが
はにかんだのですぐわかった
しかし どうしたのだろう
わたしのカキツバタは
お尻に長いゴムテープをつけていた
わたしはそのテープで
もどった理由がやっとわかった
あのひとも去っていったが
「会者定離」のそんなテープを
お尻につけていたのだろう 多分。
土橋治重
「STORY」所収
1958
突然、大粒の雨が落ちてきた。家並みのうえの空が、
にわかに低くなった。アスファルトの通りがみるみる黝
くなり、雨水が一瞬ためらって、それから縁石に沿って
勢いよく走りだした。若い女が二人、髪をぬらして、笑
いあって駈けてきた。灰いろの猫が道を横切って、姿を
消した。自転車の少年が雨を突っ切って、飛沫をとばし
て通りすぎた。
雨やどりして、きみは激しい雨脚をみつめている。雨
はまっすぐになり、斜めになり、風に舞って、サーッと
吹きつけてくる。黙ったまま、ずっと雨空をみあげてい
ると、いつかこころのバケツに雨水が溜まってくるよう
だ。むかし、ギリシアの哲人はいったっけ。
(・・・魂はね、バケツ一杯の雨水によく似ているんだ
・・・)
樹木の木の葉がしっとりと、ふしぎに明るくなってき
た。遠くと近くが、ふいにはっきりしてきた。雨があが
ったのだ。
長田弘
「深呼吸の必要」
1984
大きい魂は親の魂である
小さい魂は子の魂である
アワアワと小さい魂は言っている
アワアワと大きい魂は言っている
連れ添って飛んでいる親と子の間では
アワアワはアワアワだと分かるのだ
地上でだれかが小さい魂を呼んだ
小さい魂は大きい魂の制止を無視して
地表近くまで急降下した
岸辺には若草が萌えていた
川魚が銀色に光って見えた
小さい魂は歓喜してアワアワと言った
全速力で追ってきた大きい魂は
ひとことも言わずに小さい魂をつかむと
高空へ飛び去った
しばらくして高空で
大きい魂が小さい魂を抱えて
ゆったりと飛んでいるのが見えた
あそこでも小さい魂はアワアワと言っている
あそこでも大きい魂はアワアワと言っている
広部英一
「愛染」所収
1990