あまり世界が暗いので
キリコ硝子
のように街をあるく
Lanvin
Balensiaga
Chanel
Schiapalelli
緑の室で
いきなり黒いパラソルだか
白いピアノだかもしれない影
にぶつかる
黄色い曲線にまきこまれながら
固い音楽に削られていく
ぼく
そして
あの
悲劇的な卵型の空間
北園克衛
「真昼のレモン」所収
1954
僕は近ごろ、大へんお節介になってきて自分でも困っている。公衆電話にながい列ができていたりすると、わざわざそこへ行って、あちらに空いた公衆電話がありますよ、と告げに行ったり通りががりのポストの口に、入りかけた手紙がはみ出しているのを見ると、手で押し込みに行ったりする。
他人に話しかけるのがきらいで、他人から話しかけられるのもきらいだった自分の変わりようが、自分ながらふしぎでならない。
たてこんだ食堂で、空いた席はないかとさがしている人を見ると、食事の終わった僕は、立ち上がって、手招きする。向うが気づかないと、ここが空きますよ、声をかけたりする。それを、そういう僕を、同行の家族たちは、嫌がって、恥ずかしがる。
電車のなかで、銅貨を唇にひっつけている小学生を見たので、汚いからやめなさい、といったら、その子はプイと向うへ行ってしまった。交叉点で、シグナルを待っているとき、向うのアスファルトが、逃げ水に光って、自動車がうつっている。誰も気がつかないので、傍におしゃべりしている若い女性たちに、指をあげて、ほれ、あれが逃げ水、といってやったら、彼女たちは、チラッと僕の顔を、怪訝そうに見て、精神異常者のひとり言と思ったのか、不快そうな顔をして、またしゃべりつづけた。
僕も、他人の教えたがり、お節介はきらいだったから、彼女たちの気持はよくわかる。それなのに、他人がみな友人や、わが子のように感じられて、話しかけるのが平気になり、きらわれていると知りながら、黙っておれないのだ。
電車で、前の席に、しきりにチューインガムを噛む若い女性が坐っている。服装もよいし、顔だちも、嫌な感じではない。だが、そのガムを噛む口つきを見ることに僕は耐えがたい。ときどき口をつき出すように前歯で噛んだりする。僕は、彼女がガムを噛むのを不快に思っていることを、なんとか知らせようと思って、じぃーと、口さきを見つめることにした。彼女は僕に無関心である。けれども、あまり見つめるので、なんとなく気がついたらしい。僕の方を見なくなった。それが意識的なのがわかる。つまり、僕が彼女の美しさに非常に惹かれ、関心をあつめている男性と見えたのであるらしかった。僕は、そうではないと思わせるために、眉をしかめ、目にできるだけ怒りを込め、そして、口だけに視線をあつめていることを見せるよう努力した。しかし彼女は僕の視線を、頬で感じて、たのしんでいるだけだ。
たしかに彼女はたのしんでいる。一心不乱にチューインガムを噛んでいる。それがなぜ、僕に不快なのだろう。彼女がたのしそうだからか。他人の幸福は、僕の不幸か、たしかにそれもそうだが、彼女を叱る理由はなにもない。食後満足して妻楊枝をくわえて歩いている人を見るのも不快である。彼が幸福そうだからか。
男女が手をつないで歩いているのを見るのも不愉快である。彼らが幸福であるからか。嫉妬ごころであろうか。その原因をいろいろ考えてみると、結局、周囲、他人への無関心が不快の一つの原因であるらしいことに思い当たった。手をとりあった男女のうち、男は、そういう視線を感ずると、恥ずかしそうにする、それを見ると、僕には大へん好ましく思える。女は全然、他人周囲がわからない。これも、けれども、やめなさい、と怒鳴る理由がはっきりしない。
チューインガムの女に、僕は注意することはできない。「禁煙」の貼り札にならんで「禁ガム」という表示でもないかぎり、僕はお節介をやくわけにはいかないであろう。声をかけられないために、僕は苦しむ。
僕は、この人は早く降りるだろうと思って、その人の前の釣革にぶら下っていた。僕は席がほしかった。その人は近くで降りる人であることは、服装や持物で判断できた。その人は、しかし、僕の期待に反して、次の駅に来ても、次の次の駅に来ても降りなかった。他の席の客は入れかわるのに、なんということであろう。彼は読んでいた新聞をたたんだ、やっと空くか思ったのも束の間、彼は眠りはじめた。僕は憤慨した。彼の皮膚の色の茶色なのも不愉快である。その口の結び具合、しわまで不快になってきた。なんだ、そんなところにホクロなんかつけやがって、と首すじの黒子も気に入らない。しかし僕は彼に怒鳴るわけにはいかない。その人はなにも悪いことはしていない。なにも誤っていない。
それなのに、その人は僕にうらまれている。なにを、その存在を、である。席を占めていることを、である。在ることが、他人にとって邪魔なのである。存在は罪である。悪である。
誤った判断をした自分への攻撃は忘れて、僕は全身をあげて、その人物への憎悪をたぎらせた。しかも、一言も彼にいうことはできない。彼は、その人は、どの駅にも降りず、ついに僕の降りる駅に止ったとき立ち上った。僕は、その人のうしろから、ぶちまけられない怒りにふくれ上った僕は、まさに嘔吐せんばかりに、青ざめて、疲れて、暗いホームの上を歩いて行った。
僕も、在ることが、存在していることが、生きていることが、他人にとってたいへんな罪になっているのだろうか。
杉山平一
「ゼピュロス」所収
1977
紅い花の咲く
大きな木は
椅子のようにできています
小さい子供が
鈴のように
花の木の椅子にのぼって
あそんでいます
日がくれて
子供がかえるころ
私も一人で
花の木の椅子にこしかけます
ここからは海がみえます
なつかしいおともだちよ
ここから私はあなたを呼びます
月がでるまで私はここで
深いことを夢みていたく思います
山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947
山本栄作さんというお人は
伊豆の山里に生まれ育ち
農業をなりわいとした。
細い端麗な面差しと
すわっていてもまっすぐに伸ばした背筋の
くずれることはなかった。
よく働き
静かに言葉少なに話した。
健康な九人の子に恵まれた。
年をとって恋女房に先だたれたあと
自身病気勝ちになっても
起きられれば
家のまわりの仕事に気を配っていた。
ある日
畑の土をせっせと掘り返し
大石をどけながら
長男の嫁にいったそうだ。
こうしておくと
いまに柔らかぁい大根ができる、と。
去年の夏
栄作さんは八十四歳で死んだ。
いまごろ
土ふところの中では
白い大根がみずみずしく育っているか。
石垣りん
「略歴」所収
1979
もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった
かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやりと空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと座っていたことがある
今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか
運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである
もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ
そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると
黒田三郎
「黒田三郎詩集」所収
1968
書物を開くと
ぼくらの中に遠い世界がひろがる
乾いた幹を飢えた稲妻がたおすとき
こんな不安な夜の中で
ひとはたがいの存在をたしかめ合う
灯をつけるように
ひとはお前の開かれたところへ来て
静かな休息をみいだす
やさしい祈りや愛をみいだす
その一つは世界のひとびとにつづく
すべての知恵のしるし
お前のかなしみにひかる声によって
ぼくらの人生は慰められる
燃える叢をよこぎって
ひとが昼間ずっとあるいてきた
強烈な夏の日の思想とともに
秋谷豊
「冬の音楽」所収
1970
きみは聞いただろうか
はじめて空を飛ぶ小鳥のように
おそれと あこがれとで 世界を引きさくあの叫びを
あれはぼくの声だ その声に
戦争に死んだわかもの 貧しい裸足の混血児
ギブスにあえぐ少女たちが こだましている
愛をもとめて叫んでいるのだ
きみは見ただろうか
ぼくがすすったにがい蜜を 人間の涙を
この世に噴きあげるひとつのいのちを
あれはきみの涙だ そのなかに
夢を喰う魔術師 飢えをあやつる商人
愛をほろぼす麻薬売りが うつっている
その影と ぼくらはたたかうのだ
おお なぜ
ぼくらは愛し合ってはいけないのか
ほんとうにあの叫びを聞いたなら
ほんとうにあの涙を見たのなら
きみもいっしょに来てくれたまえ
遠い国で
ぼくらがその国の最初の二人になろう
木原孝一
「木原孝一詩集」所収
1956
京浜国道を霊柩車が走ってきた。
私が歩いてゆく、前方から
と、
運転台と助手台で
二人の男が笑っている
何やら話しながら
ことに助手台に坐っている赤ら顔の大男が
まことに愉快そうに
ワッハッハと、声がきこえそうな表情で
笑っているのである。
静かな運転
霊柩車は私のかたわらを通り過ぎてゆく
うしろには柩がひとつ
文句のないお客様である。
そのあとから色の違うタクシーが三台続いた
いずれ喪服の親類縁者
ひっそりさしうつむいて乗っている
それも束の間
葬列はゆるやかに走り去っていった。
「駄目だ」
私は思わず振り返り、手を挙げて叫んだ、
芝居の演出者のように
「やり直し
も一度はじめから
はじめから出直さないことには!」
広い大通りのまんなか
である。
石垣りん
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」所収
1959