としよつた農夫は斯う言つた

あの頃からみればなにもかもがらりとかはつた
だがいつみてもいいのは
此のひろびろとした大空だけだぞい
わすれもしねえ
この大空にまん圓い月がでると
穀倉のうしろの暗い物蔭で
俺等はたのしい逢引をしたもんだ
そこで汝あみごもつたんだ
何をかくすべえ
穀倉がどんな事でも知つてらあ
さうして草も燒けるやうな炎天の麥畑で
われあ生み落とされたんだ
それもこれもみんな天道樣がご承知の上のこつた
おいらはいつもかうして貧乏だが
われは秣草をうんと喰らつた犢牛のやうに肥え太つてけつかる
犢牛のやうに強くなるこつた
うちの媼もまだほんの尼つちよだつた
その抱き馴れねえ膝の上で
われあよく寢くさつた
それをみるのが俺等はどんなにうれしかつたか
そして目がさめせえすれば
山犬のやうに吼えたてたもんだ
其處にはわれが目のさめるのを色色な玩具がまつてただ
なんだとわれあおもふ
そこのその大きな鍬だ
それから納屋にあるあの犁と
壁に懸つてゐるあの大鎌だ
さあこれからは汝の番だ
おいらが先祖代代のこの荒れた畑地を
われあそのいろんなおもちやで
立派に耕作つてくらさねばなんねえ
われあ大え男になつた
そこらの尼つ子がふりけえつてみるほどいい若衆になつた
おいらはそれを思ふとうれしくてなんねえ
しつかりやつてくれよ
もうおいらの役はすつかりすんだやうなもんだが
おいらはおいらの蒔きつけた種子がどんなに芽ぶくか
それが唯一つの氣がかりだ
それをみてからだ
それをみねえうちは誰がなんと言はうと
決して此の目をつぶるもんでねえだ

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

大漁

朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。

濱は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだらう。

金子みすゞ
金子みすゞ童謡全集」所収
1930

晴れた日に

車一台通れるほどの
アパートの横の道を歩いて行くと
向こうから走ってきた
自転車の若い女性が
すれ違いざまに「おはようございます」
と声をかけてきた。
私はあわてて
「おはようございます」と答えた。
少しゆくと
中年の婦人が歩いてくるので
こんどはこちらからにっこり笑って
お辞儀をしてみた。
するとあちらからも
少しけげんそうなお辞儀が返ってきた。

大通りへ出ると
並木がいっせいに帽子をとっていた。
何に挨拶しているのだろう
たぶん過ぎ去ってゆく季節に
今年の秋に。

そういえば私の髪も薄くなってきた
向こうから何が近づいてくるのだろう。
もしかしたらもうひとりの私だ
すれ違う時が来たら
「さようなら」と言おう
自転車に乗った若い女性のように
明るく言おう。

石垣りん
やさしい言葉」所収
1984

倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木のり子
倚りかからず」所収
1999

男について

男は知っている
しゃっきりのびた女の
二本の脚の間で
一つの花が
はる
なつ
あき
ふゆ
それぞれの咲きようをするのを
男は透視者のように
それをズバリと云う
女の脳天まで赤らむような
つよい声で
 
男はねがっている
好きな女が早く死んでくれろ と
女が自分のものだと
なっとくしたいために
空の美しい冬の日に
うしろからやってきて
こう云う
早く死ねよ
棺をかついでやるからな
 
男は急いでいる
青いあんずは赤くしよう
バラの蕾はおしひらこう
自分の手がふれると
女が熟しておちてくる と
神エホバのように信じて
男の掌は
いつも脂でしめっている

滝口雅子
「鋼鉄の足」所収
1960

生れて何も知らぬ吾子の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。

その頬は赤く小さく、今はただ一つのはたんきやうにすぎなくとも
いつ人類のための戦ひに燃えないといふことがあらう。

生れて何もしらぬ吾子の頬に
母よ、悲しみの涙をおとすな。

ねむりの中に静かなるまつげのかげを落して
今はただ白絹のやうにやはらかくとも
いつ正義への決然にゆがまないといふことがあらう。

ただ自らの弱さと、いくじなさのために
生れて何も知らぬわが子の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。

竹内てるよ
「花とまごころ」所収
1933

耳たぶにときたま
妖精がきてぶらさがる
虻みたいなものだが 声は静かだ
(いまなにをしているの?)
街に降る雨を見ている
テレビは付けっぱなしだが
それはわざとしていることだ
だれもいない空間に
放映を続けるテレビ
好きなんだそういうものが
(それでなにをしているの?)
雨を見ている
雨って
ひとつぶひとつぶを見ようとすると
せわしなくて疲れるものだ
雨の向こうの
工場とか
突堤の先の
あれはなんだろう
流木だかひとだかわからない
たとえばああいうものを見ながら雨のぜんたいを
見ているのがいちばんいい
そういうものなんだ 雨は
(むずかしいのね ずいぶん)
何気ないことはなんだってむずかしいさ
虻にはわからないだろうけれど
(妖精よ あなたの
雨の
ひとつぶくらいのわたしですけど)

辻征夫
河口眺望」所収
1993

頓死

夕暮の海岸
僕だけしかゐない
波打際の流木の上にテープレコーダーを置いて
僕は一服
A面には ある禅寺の勤行
太鼓と鐘と青年僧の読経
いま その裏側に 刻々 波音が記録されてゐることであらう
崩れる波
息をのみこむやうにしてふくれあがり
三段にも 四段にも 音たてて
レースのやうにひろがり 散らばってゐる
新月も見えはじめたが
夜陰ともなれば如何なることになるのか
「大統領の陰謀」によるとニクソンは
録音テープによつて自ら墓穴を掘つたといふ
僕には失ふべき何物もない
ひき返すうすい海水は斜めに流れ
上げ潮になつてゐるらしい
再生するのがたのしみだ
しかし その時
天地の秘事盗聴は不埒!!
流木の下の砂が削り去られてゐたのだ
流木が僅かに動き くるりとゆらぎ
流木の上のものが落ちた
塩水が入りこんで テープは止まり
ボタンも 蓋も びくともしない
駄目になつたのは 僕か
ああ テープレコーダー君

小山正孝
「山居乱信」所収
1986

ゴオルドラッシュ

とんでもない話が、
北から舞ひこんできただ、
お前さんグズグズするな、
そこいら辺にあるロクでもねいものは、
みんなほうり投げて出かけべい。
家にも、畑にも別れべい、
いまさら未練がましく
縁の下なんかのぞくでねいぞ。
どうせ不景気つづきで此処まで来ただ、
札束、縁の下に隠してあるわけなかべ。
餓鬼を学校さ、迎へに行つてこいよ、
授業中であらうが
かまふもんか引つぱつて来い。
若し先生が文句、云つたら
かまふもんかどやシつけて来い
――まだ授業料、収めねい餓鬼は手を挙げろ! と
 ぬかしくさつた
地主の下働き奴が
貧乏なわし等の餓鬼つかまへて
雀の子ぢや、あんめいし
今更チウでもコウでもねいもんだ。

さあ、餓鬼にもスコップ持たして
河の中、ホックリ返へさせるだに。
手といつたら猫の手でも借りたい
砂金掘りだに――。
わしの餓鬼をわしが連れて行くだに、
明日は村ぢうの餓鬼は一人も
学校さ、行かねいだらうと、云つて来い、
何をあわてて、カカア脚絆裏返しにはくだ。
わしも六十になつて
今更、山を七つも越して行き度くねいだが、
ヅングリ、ムックリ、ろくに口も利かねいで、
百姓は百姓らしくと思ひこんで、
あれもハイ、これもハイと、
お上の、おつしやる通り貧乏してきただ
山を七つ越せば、
キラキラ、金がみつかるとは――、
何たるこつちや、今時、冥利がつきる
やい、ウヌは何をぼんやり
気抜けのやうに立つてけつかる、
その繩を、こつちの袋に入れるだ。
唐鍬を入れたら砥石を忘れるなよ。

これ以上、貧乏する根気が無うなつたわい、
破れかぶれで、この爺が山越えする気持は、
村の衆の誰の気持とも同じだべ、
やあ、やあ、空がカッと明るくなつたわ、
未練がましい家へ火をつけた。
それもよかべ、度胸がきまるべ、
ついでに其の火の中へ
餓鬼を投りこんだら、尚更な――、
身軽になつたら
さあ、出かけべい村の衆。
明日はこの村には役場と駐在所だけが
ポツンと立つてゐべい、
村はみなガラあきになるべ、
やれ、威勢よく、石油鑵、誰が、ブッ敲くだ、
どんどん、タイマツつけて賑やかなこつた。
馬の野郎まで
行きがけの駄賃に、
馬小屋のハメ板ケッ飛ばしてゐるだ、
俺達も別れに、
役所の玄関に
ショウベン、じやあ/\やつて行くべよ。

何を、嫁はメソ/\泣いてゐるだ、
どうせ太鼓腹、
ツン出しては歩るきにくかべ、
腹の子、オリないやうに馬車の上に
うんとこさ、布団重ねて
乗つて行つたらよかべ。
――お天道さまと、生水とは
何処へ行つてもつきものだに。
河原に着いたら餓鬼共の、
頭、河に突込んで
腹、さけるほど水のませろ、
ヘド吐いたら、砂金飛び出すべよ。
せつぱつまつた村の衆の
七つの山越だに。
焼くものは、焼くだ、
ブッ潰すものは、ブッ潰し、
一つも未練残らねいやうにしろ。
生物といつたら
ひとつも忘れるでねいぞ、
村ひとつブッ潰し
砂金山へ出かけるだ、
行列、三町つづいて
たいまつ、マンドロだ、
牛もうもう、猫にやんにやん、
なんと賑やかなこつた、
山七つ越して
河床、ひつくりかへして
もし砂金なかつたら
また、山七つ越すべいよ
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越すべい
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越して町へ出べい、
町へ出たら、ズラリ行列
官庁の前にならべて皆舌べろりと
出したらよかべいよ、
歳がしらのわしが音頭とつたら
皆揃つて舌噛み切つて死ぬべ。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

はじめて会ったその人がだ
一杯を飲みほして
首をかしげて言った
あなたが詩人の貘さんですか
これはまったくおどろいた
詩から受ける感じの貘さんとは
似ても似つかない紳士じゃないですかと言った
ぼくはおもわず首をすくめたのだが
すぐに首をのばして言った
詩から受けるかんじのぼろ貘と
紳士に見えるこの貘と
どちらがほんものの貘なんでしょうかと言った
するとその人は首を起こして
さあそれはと口をひらいたのだが
首に故障のある人なのか
またその首をかしげるのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940