あの頃からみればなにもかもがらりとかはつた
だがいつみてもいいのは
此のひろびろとした大空だけだぞい
わすれもしねえ
この大空にまん圓い月がでると
穀倉のうしろの暗い物蔭で
俺等はたのしい逢引をしたもんだ
そこで汝あみごもつたんだ
何をかくすべえ
穀倉がどんな事でも知つてらあ
さうして草も燒けるやうな炎天の麥畑で
われあ生み落とされたんだ
それもこれもみんな天道樣がご承知の上のこつた
おいらはいつもかうして貧乏だが
われは秣草をうんと喰らつた犢牛のやうに肥え太つてけつかる
犢牛のやうに強くなるこつた
うちの媼もまだほんの尼つちよだつた
その抱き馴れねえ膝の上で
われあよく寢くさつた
それをみるのが俺等はどんなにうれしかつたか
そして目がさめせえすれば
山犬のやうに吼えたてたもんだ
其處にはわれが目のさめるのを色色な玩具がまつてただ
なんだとわれあおもふ
そこのその大きな鍬だ
それから納屋にあるあの犁と
壁に懸つてゐるあの大鎌だ
さあこれからは汝の番だ
おいらが先祖代代のこの荒れた畑地を
われあそのいろんなおもちやで
立派に耕作つてくらさねばなんねえ
われあ大え男になつた
そこらの尼つ子がふりけえつてみるほどいい若衆になつた
おいらはそれを思ふとうれしくてなんねえ
しつかりやつてくれよ
もうおいらの役はすつかりすんだやうなもんだが
おいらはおいらの蒔きつけた種子がどんなに芽ぶくか
それが唯一つの氣がかりだ
それをみてからだ
それをみねえうちは誰がなんと言はうと
決して此の目をつぶるもんでねえだ
山村暮鳥
「風は草木にささやいた」所収
1918
おもしろい詩ですね。山村暮鳥さんの詩集はもっていませんでした。機会があれば、手に入れようと思いました。暮鳥さんのものは、ぼくが所有している、大岡信さんが編纂された講談社の少年少女日本文学館 8 『明治・大正・昭和詩歌選』に3つの短い詩が載っていました。