猿の日

 私たちの「猿の日」は、二年に一度、やって来る。慣れて見れば、深く詮索するほどのことをする日ではない。ただ、永く、何代となく続いてきた行事があるのだ。
 その日、私たちの娘という娘は、どの家でも、全裸になって、一日、そのための黒く塗られた袋に入って過ごす。どの家の娘も例外はないのだ。
 その小さな闇のなかで、一切の物音をたてず、一日、出て来てはいけないのである。もちろん、そのことに反抗する初めての娘がいる。だが、泣き叫ぶ彼女も、手足を縛られ、やがて、袋に入ることになる。
 それだけのことだ。ただ、彼女たちが、袋に入るときに、必ず、それぞれ、一輪ずつ水仙の花を持っているのを、誰かが見届けて、袋の口を結わえるのである。
 何故、それが、水仙の花でなければならぬのか。何故、黒く塗られた袋でなければならないのか。何故、病気の娘まで、全裸にならねばならないのか。
 多くの古い風習に似て、「猿の日」のことについては分からないことばかりだ。大体、猿の日が、どうして、猿の日なのか、何が猿なのか、知る者はいないのだ。
 この日を、人々は、普通の日と、全く、変わりなく仕事をして過ごす。ただ、彼らはきわめて無口である。その日が、猿の日であることを、一切、口にしない。もっとも、他の日でも、誰もが、猿の日のことは、絶対に、言葉にしてはならないのである。
 あるいは、それが、私たちの猿の日の、最も大事なことかも知れない。そのために、信じられぬほど、永い年月、それは、続けられて来たのかも知れない。
 数えきれぬ娘たちを、小さな深い闇に閉じこめて。
 ──夕暮れになると、彼女たちは、袋から出され、今度は、美しく粧って、遠い湖に向かう。いかなる呪縛によるのか。その夜、湖のほとりでは、夜明けまで、沢山の灯が揺れて、泣くような男女の歓びの声が、そこかしこで聴かれるのである。

粕谷栄市
「悪霊」所収
1989

One comment on “猿の日

  1. 「猿の日」は粕谷栄市様の許諾をいただいた上で掲載しております。
    無断転載はご遠慮ください。

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