子どもはふくふくとやらかいものをくばるので
ママはわたしをとしょうりのところに連れて行く。
子どもはてぇげぇはんけなので
ぼけたみかんを大わらいして
二つたべて、三つたべて、四つめを半分こしてたべられる。
子どもはこたつの角にさす西日を
きれいと思い、
たいくつを転がして
しかし笑いながら、
指先でその影をなぞってあそぶことができる。
子どもはしわしわの千円札の、
価値がわからなくても、意味を見ることができる。
今日会ったとしょうりが近いうちまるぶのは、
とてもよくあるおはなしなので、わたしは名前をおぼえたりしない。
ママはわたしを色んなとしょうりのところへ連れて行くので、
初めて会うとしょうりに、ぼうくなって、と言われると
その人が知ってるわらいがおになれる気がする。
最後にわたしに会えてうれぇしかったろうあの人は、とママがゆうので
わたしはママの、ありがとうねぇ、ということばだけおぼえて
その人がまるぼことはわすれる。
ふくふくとやらかいものを置いて帰る道で
ママは、としょうりは子どもを見るとうれぇしけだら、とゆうので
ふくふくとやらかいとはわたしのうれしけことと知る。
ママは少し小さくなったので
わたしは左右にゆれながらちぃと大またに歩いて
だからふだんもまっすぐに歩かない。
わたしはママのもってる千円札も
きっとしわしわなんだろうとおもっている。
しかしてぇげぇとしょうりは先にまるばぁんて
時々おもう。ふりかえったら
だれもいない。しかし
だれもいないところから来て、
だれもいないところにわたしは帰ってしまうから
だれもいないのは始めからかと
おもい出して、ママとふたり
左右にゆれて、歩いて帰る。
右手にさっき半分にわったみかんを持っている。
西日のときの影は、長くてあたまはねぇこくて
わたしは影の、あたまの先を
手をのばしてなでてみる。
そのふくふくとしてやらかいもの。
清水あすか
「頭を残して放られる」所収
2006
「そのふくふくとしてやらかいもの。」は清水あすかさんの許諾をいただいた上で掲載しております。
無断転載はご遠慮ください。
この詩を読んで興味を持たれた方は下記も参照してみてください!
詩集「頭を残して放られる」の出版元、南海タイムス社の記事
http://www.nankaitimes.com/toku_kiji/shimizuasuka.html
木村草弥さんブログによる紹介記事
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-2295.html