第二の遺書

 神に捧ぐる一九一九年二月七日の、いのりの言葉。
 私はいま、私の家へ行つて歸つて來たところなのです。牛込から代々木までの夜道を、夢遊病者の樣にかへつて來たとこです。
 私は今夜また血族に對する強い宿命的な、うらみ、かなしみ、あゝどうすることも出來ないいら立たしさを新に感じて來たのです。其の感じが私の炭酸を滿たしたのです。
 あゝすべては虐げられてしまつたのだと私は思ひました。何度か、もうおそらく百度くらゐ思つた同じことをまた思ひました。
 親子の愛程はつきりと強い愛はありませうか、その當然すぎる珍しからぬ愛でさへ私たちの家ではもう見られないのです。何といふさびしい事でせう。
 しかも、とりわけて最もさびしい事は其の愛が私自身の心から最も早く消えさつてゐることなのです。私は母の冷淡さをなじつても、心に氷河のながれが私の心の底であざわらつてゐることを感ぜずには居られませんでした。私がかく母をなじり、流行性感冒の恐ろしさを説き、弟の手當を説いたかなりにパウシヨラケートな言葉も實は、私の愛に少しも根ざしてはゐないのでした。それどころか、恐ろしい、みにくい、利己の心が、たしかに其の言葉を言はせたのです。眞に弟を思つたのではないのです。私はたゞたゞ私自身の生活の自由と調和とが家庭の不幸弟の病氣等に依つてさまたげられこはれんことを恐れて居るのです。弟の病氣が重くなつては私の世界が暗くなるからなのです。
 ああ眞に弟を思ひその幸福のためにいのつてやる貴いうつくしい愛はどこへ行つたのでせう。またはいつ落としてしまつたのでせう。其れはとにかくない物なのだ。私の心のみか、私の家の中にはどこにもないものなのだ。何たるさびしさでせう。私は母をなじつて昂奮して外へ飛び出し、牛込から乘つた山の手電車の入口につかまつてほんとに泣きました。涙がにじみ出ました、ほんとです。ほんとです。このさびしさが泣かずにゐられませうか。私は泣きました。愛のない家庭といふ世にもみにくい家庭が私のかゝり場所かと思つて。それよりも私を、このみにくい私を、何たる血族だらう。このざまは何だらう。虐げられてしまつたのだ。すつかり虐げられてしまつたのです。もとはこれではなかつた。少なくとも私の少年時代は。
 神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。
 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。
 神さま、ほんとです。いつでも私をおめし下さいまし。愛のない生がいまの私のすべてです。私には愛の泉が涸れてしまひました、ああ私の心は愛の廢園です。何といふさびしさ。
 こんなさびしい生がありませうか。私はこの血に根ざしたさびしさに殺されます。私はもう影です。生きた屍です。神よ、一刻も早く私をめして下さいまし。私を死の黒布でかくして下さいまし。そして地獄の暗の中に、かくして置て下さいまし。どんな苦をも受けます。たゞ愛のない血族の一人としての私を決してふたゝび、ふたたびこの世へお出しにならない樣に。
 私はもう決心しました。明日から先はもう冥土の旅だと考へました。
 神よ、私は死を恐れません。恐れぬばかりか慕ふのです。たゞ神さまのみ心に逆らつて自殺する事はいたしません。
 神よ、み心のまゝに私を、このみにくき者を、この世の苦しい涙からすくひ玉はんことを。くらいくらい他界へ。

村山槐多
「村山槐多詩集」所収
1919

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