お前が凍てついた手で 最後のマツチを擦つたとき、焔はパツと透明な球体をつくり 清らかな優しい死の床が浮び上つた。
誰かが死にかかつてゐる 誰かが死にかかつてゐると お前の頬の薔薇は呟いた。小さな かなしい アンデルゼンの娘よ。
僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、いつも浮んでくるのはその幻だ。
原民喜
「原民喜詩集」所収
1951
ザンバという巨象がいた
ぼくはその象の話なら度々聞いている
それは昔からザンバと呼ばれる象で
澄んだ夜空のように青黒い肌と
半月のように冷たい牙を持っていて
ひとりの仲間もなく
さまよい歩いている象なのだと
ザンバという名の巨象はたしかにいた
ぼくはその象の遠吠えなら度々聞いている
それが嘘ではない証拠に
そいつはタンガニイカの高原や沼地の中を
あるいはガンジスの上流の森林や
ゴビの砂漠の砂塵のなかを
実に恐ろしい巨体で
どしりどしりと歩いているのだ
ザンバの年令は幾百才と言ったか
幾千才と言ったか忘れてしまう
なにしろぼくの生れる以前からの話だから
幾才と言ったらいいか分らない
だが巨象ザンバの名を聞くたびに
ぼくは宇宙の半分を聞いてしまった気がして
度々泣いてしまうのだ
ザンバの肌はあまりにも青黒い空のようで
ザンバの牙はあまりにも冷めたくて
ザンバの耳や鼻なら
あまりにも寂寥の象らしいから
巨象ザンバはたしかにいるのだ
ぼくはその象の足跡なら度々見ている
その象の足跡は
覗けない大地の井戸のほど深々しいから
ぼくはひと目見ただけで分るのだ
そしてぼくはザンバの話なら
小さい子になら何時でもできるのだ
巨象ザンバはたしかにいると
ぼくはその象の永劫の遠吠えを
度々聞いているのだと
村上昭夫
「動物哀歌」所収
1967
家がわたしの家でなくなった。
わたしが家を追い出された。
家のない人間が犬よりも猫よりも困りものだということがわかった。
ねどこ、きもの、食器、はきもの、てぬぐい、その他いろいろ、必要なものだということがわかった。
なんにものこっていなかった。
肉体だけがわたしのものだった。
そいつがひもじがってわたしをこまらせるのだ。
しばらくわたしはかんがえてみた。
もうなんにも持たぬことだ。なんにもしないことだ。
死ぬも生きるも恥と外聞の外でやる。
乞食にだってならぬことだ。
どこにでもはいりこんで
手あたりしだいに食って
そこにへたりこんでうごかぬことだ。人間の仲間はずれになってやることだ。
追い出された自分の家の戸をこじあけて
今夜はぐっすりと
そこで睡眠をとってやろう。
秋山清
「ある孤独」所収
1966
わたしは水を通わせようとおもう
愛する女の方へひとすじの流れをつくつて
多くのひとの心のそばを通らせながら
そのときは透明な小きざみで流れるようにしよう
うねうねとのぼつていく仔鰻のむれを水の上に浮かべよう
その縁で蛙はやさしくとび跳ね
その岸で翡翠は嘴を水に浸すようにしよう
この水辺の曙は
まだだれも歩いたものがないのだから
ひと知れず愛する女をそこに立たせよう
もし女が小さい声で唄いはじめたら
わたしは安心して蝉の鳴いている水源地へ歩いていこう
嵯峨信之
「愛と死の数え唄」所収
1957
帆が歌つた
暗い海の空で羽博いてゐる鴎の羽根は、肩を回せば肩に触れさうだ。
暗い海の空に啼いてゐる鴎の声は、手を伸ばせば掌に掴めさうだ。
掴めさうで、だが姿の見えないのは、首に吊したランプの瞬いてゐるせゐだらう。
私はランプを吹き消さう。
そして消されたランプの燃殻のうへに鴎が来てとまるのを待たう。
ランプが歌つた
私の眼のとどかない闇深く海面に消えてゐる錨鎖。
私の眼のとどかない闇高くマストに逃げてゐる帆索。
私の光は乏しい。盲目の私の顔を照らしてゐるばかりだ。
私に見えない闇の遠くで私を瞶めてゐる鴎が啼いた。
鴎が歌つた
私の姿は私自身にすら見えない。
ましてランプや、ランプに反射してゐる帆に見えようか?
だが私からランプと帆ははつきり見える。
凍えて遠く、私は闇を回るばかりだ。
丸山薫
「帆・ランプ・鴎」所収
1932
貨車に積まれた牛たちは
首をすりつけ合い
ぼんやりと
眼をひらく
黒い蝿は
牛たちにたかりながら
ここまでいっしょにきた
貨車の中の牛たちは
自分を待ちうけている運命に向かって
ものうげに啼く
血ぶくれのした
黒い蝿は
遠くから
貨車にゆられながら
ゆっくりした絶え間ない牛のしっぽに追われながらここまできた
この執拗で残忍な同行者は
結局どこへ行くだろう
最後に
牛たちが
ばらばらの肉塊になり
鈎にぶらさがり
やがて
鈎だけが
宙にゆれるとき
木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966
冬が終る。そこに誰かが立つてゐる。鴉が遠くで啼いてゐる。私は荒い日差しのなかで、足を引き摺つてゐる。
彼等は晴れた空のなかにたくさんの巣を作つてゐる。彼等はまた湿つた砂地の上にたくさんの栖居を作つてゐる。──私には、ただ私の死後のしづけさが動いてゐる。
私の身支度。──植込の草花は、みんな長い頸が折れて、みだれた添竹の向き向きに枯れてしまつた。
菱山修三
1967
チーズと発音すれば 笑い顔をつくる事
ができます でも ほほえみはつくれま
せん ほほえみは気持の奥から自然に湧
いてくる泉ですから その地下水の水脈
を持っているかどうか なのですから
めったに笑わない顔があります でも
澄んだきれいな眼をしています いつも
遠くをみつめていて なんだか怒ってい
るような表情です しかし彼は怒ってい
るのではありません 地下水の水脈に水
を溜めている最中なのです
水が満たされて 彼がほほえむのはいつ
の事? 誰に対して?
たぶん そのために 明日があります
川崎洋
「ほほえみにはほほえみ」所収
1998
ぼくは 飢える
ぼくは 買出す
ぼくは 警官の眼をくぐる
ぼくは 並ぶ
ぼくは 車輌にぶらさがる
ぼくは リュックを背おう
ぼくは 身体が蝉のぬけがらのようにかさかさになる
ぼくは センカ紙の本をひろげる
ぼくは 芋の尻っぽを食う
ぼくは 腕いっぱいに大根をぶらさげる
ぼくは 服がすりきれる
ぼくは 靴が焼け跡にやぶれる
ぼくは 足が筋肉の運動だけになる
ぼくは 神経が意のままにならなくなる
ぼくは 女優の裸体のポスターにふるえる
ぼくは 性欲がとがる
ぼくは 勃起する
ぼくは 痙れんする
ぼくは 射精する
ぼくは 不能になる
ぼくは 防空壕に腰をおろす
ぼくは 暗い
ぼくは 眠りにつきはなされる
ぼくは ひとりだ
ぼくは ひとりの群衆だ
ぼくは いつも食卓の夢だ
ぼくは ぼろの袖口を噛む
ぼくは それを呑みこむ
ぼくは 舌なめずる
ぼくは 鼻をならす
ぼくは 唾液だ
ぼくは 犬のようだ
ぼくは おあずけだ
ぼくは 飢えそのものだ
ぼくは 示威に登録にゆく住民だ
ぼくは 叛乱に登録にゆく住民だ。
木島始
「木島始詩集」所収
1953
星はこれいじょう
近くはならない
それで 地球の草と男の子は
いつも 背のびしている
岸田衿子
「いそがなくてもいいんだよ」所収
1995