お前が凍てついた手で 最後のマツチを擦つたとき、焔はパツと透明な球体をつくり 清らかな優しい死の床が浮び上つた。
誰かが死にかかつてゐる 誰かが死にかかつてゐると お前の頬の薔薇は呟いた。小さな かなしい アンデルゼンの娘よ。
僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、いつも浮んでくるのはその幻だ。
原民喜
「原民喜詩集」所収
1951
お前が凍てついた手で 最後のマツチを擦つたとき、焔はパツと透明な球体をつくり 清らかな優しい死の床が浮び上つた。
誰かが死にかかつてゐる 誰かが死にかかつてゐると お前の頬の薔薇は呟いた。小さな かなしい アンデルゼンの娘よ。
僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、いつも浮んでくるのはその幻だ。
原民喜
「原民喜詩集」所収
1951
マッチ売りの少女
誰も自分を救ってくれない淋しさの中で
凍えて死んでいった少女
現代の日本で
父親に虐待され
母親にも守られず
痛さと 愛されない苦しさ
でもきっと
だれか救い出してくれる筈
今か今かと待っていたのに
ああ
10歳の命は 裏切られて消えた
マッチ売りの少女が見た幻想は幸せな未来だったのでしょうか
厳しい現実にいる人間が望むものは明るい未来なのか、安らかな死への流れなのか、
アンデルセンを子供の頃に読むのと、大人になってから読むのとでは自分の中の解釈が真逆にも広がると気づき、驚かされました。